A: 「〇〇チャレンジ」への批判
まずは,ここから始めたい.「〇〇チャレンジ」はチェーンメールの一種である.それについては異論はなかろう.チェーンメールの定義にそのまま当てはまっている.違うとすれば,媒体がメールじゃなくてSNSのメッセージであるというくらい.
そして,「〇〇チャレンジ」はチェーンメール的なものだから,よくない!という批判がある.私も積極的に批判するものでもないが,あまりヨシとはしない立場を取る(その理由が本稿の趣旨).
B: Aに対する反論
そのような批判に対して,チェーンメールや不幸の手紙は,デマを撒き散らしたり,人を不安にさせることで社会的な混乱の元になるからよくないであって,「〇〇チャレンジ」はそれらとは違う!という反論がある.人を楽しませるものだから,いいじゃないか!との主張である.
たしかに,いま流行っているいろいろなチャレンジ,それから,ちょっと前に流行ったアイスバケツチャレンジ,そのようなものは,いわゆるこれまでのチェーンメールや不幸の手紙で語られるような内容ではない.しかし,不幸の手紙はさておくとしても,子どもたちの間でときどき流行る恋愛モノのチェーンメールだって,内容は他愛のないものであり,それをもって批判への反論材料にするのは少し弱い.
その他,仲間はずれが出るからダメなんだ,いやそんなの単に人間関係の問題じゃないか,とか,時間を削がれるのが問題だ,そんなのたいした時間じゃないだろ,とか,いろいろとAに対するB的な反論は主張されているが,いずれも,そうともいえるしそうでないともいえる的な議論がなされているようで,ここでは放っておくことにしたい.
C: Bに対する再批判
さて,ではここで,本稿の趣旨である,「『人を楽しませる内容なんだから,よいだろう?』に対する反論」を試みよう.
そもそも「人を楽しませる内容である」というところをまずは疑っていただきたいのである.面白いと思っているのはあんたたちだけなのよ(あんたたちだけかもしれないのよ)?という状況をぜひとも考えていただきたい.さらに,これは,人間関係が絡んでいて下手に断れない,というオマケも付く.
そして,それをX人に回す,しかもX>1であるという点が最大の問題なのだ.新型コロナウイルス騒動で「実効再生産数」という言葉を耳にした人も多いことだろう.Xが1より大きいと,感染は指数関数的に拡がっていく.チェーンメールも同様で,特定の価値観がじわじわと拡がっていく.ああ,考えるだに恐ろしい.
話を簡単にするために「ブックカバーチャレンジ」で考えてみよう.読書習慣を拡めようという考えには私も賛成である.ただし,その拡散方法として,チェーンメール的なやり方が妥当か否か.ぜひ,考えてみていただきたい.
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