2020年8月31日月曜日

京大の無料オンライン講義紹介の記事

 「視聴者の理解度高く驚いた」京都大学がコロナと社会考える無料オンライン講義を配信中という記事が面白かったので紹介したい.

理解度の高さ?

「新型コロナ×人文学」というテーマでオンライン講義を配信したら,理解度が高くて驚いたという話題が冒頭で出てくる.まあ,1万5千人も聴講者がいれば,その中には理解力が高い聴講者は必ず出てくるだろう.その意味で不思議な話ではない.それよりも,1万5千人も聴講者を集めたことが注目に値する.

どのような手段で広報したのか,京大のブランド力なのか,そのあたりの記述が一切ないので,この記事からは読み取れないが,調べてみたら面白そうだ.

オンライン講義の特長として,スケーラビリティがある.対面講義ではかなわないメリットである.オンライン講義の利点として語られるポイントは「それ,対面講義でも同じようにやればいいじゃん」と思うことがしばしばあるが,さすがに1万5千人相手の対面講義は考えにくい.嵐のコンサートじゃあるまいし.

チャット機能の効果

続けて,チャット機能で学生の「ひそひそ話」が実現できた,と語る.「チャット欄は奇跡のような空間」だそうだ.まあ,この効果はわからないでもない.

研究会などで,リアルな発表の裏でチャットやTwitterなどを使いヒソヒソ話をするという文化は,IT系では既に確立されているものである.古くは2000年代前半のWISSなどでは,そのプラットフォーム構築と効果などについて盛んに議論されていたことを思い出す.

実は,私はこれあまり好ましいとは思っていない.学生同士の「ひそひそ話」を容認するというのはどうしても講師へ失礼だという印象が拭えないからである.しかし,一方で,学習効果を高める機能がありそうだということもわかる.一長一短あるはずで,先に説明したようにそれなりに歴史があるので,そのあたりの議論も尽くされているはず.

オンライン講義と身体性

さらに,オンライン講義の圧倒的なデメリットとして,身体性の欠如について言及されている.これは,私もかねてからずっと指摘してきたことだ.改めて気付いた「対面の良さ」だそうである.まあ,前期にずっとオンライン講義をしてきた皆さんは多かれ少なかれ気付いているはずだと思うけど.

出口教授の言葉を引用する.

「この先、社会のオンライン化がいくら進んだとしても、我々の生が24時間オンライン化されるわけではない。我々の生には、つねに身体的に生き、他者と交わっている部分が残るはずです。」

だそうだ.さもありなん.

2ページめの後半では,「オンライン化で存在意義失う?大学のあり方に課題も」という議論が展開されている.このあたりは,Facebookグループで盛んに議論されている内容と大きく被っているものと思われるので省略.まあ,面白い記事なので一読をおすすめします.



2020年8月29日土曜日

「ITエンジニアのためのプロジェクトマネジメント入門」

新刊のお知らせです.三菱総研の澤部直太さん,西山聡さんと共著で,「ITエンジニアのためのプロジェクトマネジメント入門 PMBOK第6版準拠」という本を書きました.

まあ,書いたといっても私が担当した箇所は各章の末尾に置かれている演習の部分だけですが…….本文は澤部さんと西山さんお二人による渾身のご執筆です.

2009年にソフトバンククリエイティブから出版された「 演習と実例で学ぶ プロジェクトマネジメント入門」,さらには2012年に改定された同書の第2版がありました.前作もわりと好評だった本ですが,さすがに少し古くなってしまいました.初版はPMBOK第3版,改訂版は第4版対応ということで,PMBOKも第6版となっているいま,さすがに古いよねー,と.

本書は大幅に書き直したものを,版元も変えて,再度,世に問う!という次第.前作は,農工大で澤部・西山コンビが実施していたプロジェクトマネジメント特論の講義ノートを元に私が大幅に加筆して書籍化したという経緯があり,編著者の飯尾を名乗らせてもらいましたが,今回は大部分の執筆をお二人にお任せしました.

前作も大学で実施されているプロジェクトマネジメント講義の教科書として,様々な大学でご活用くださっていたようです.今回も教科書としてお使い頂けるように工夫してあります.なにしろ2021年から私も「プロジェクトマネジメント」の科目を持つ予定なので,自分で使いやすいように工夫しました.各章の末尾に用意した演習をうまく使えば,1学期ぶんの講義はもう完璧!ぜひご活用くださればと存じます.

講義資料(英語版)と課題セット(日本語版)も用意してあります.大学の講義,もしくは会社の若手に対する教育などで使ってみたいという方がいらっしゃいましたら,遠慮なく飯尾までご連絡ください.資料(PDF版・Keynote版)と課題のワークシート一式(MS Word版)をお送りいたします.

2020年8月27日木曜日

ST比とオンライン教育

大学の活動状況や性質を測る指標はいろいろあるが,そのなかで,大学関係者はほぼみな知っているが関係者以外には意外と知られていない重要な指標がいくつかある.そのひとつが「ST比」と呼ばれるものである.

ST比とは,Student - Teacher 比率のことで,教員ひとりあたりの学生数を示す.その正確な定義にはゆらぎがあるようだが,ありていにいえば,「ひとりの教員が何人の学生の面倒をみているか」というざっくりとした指標だ.したがって,ST比が高ければ高いほど,教員あたりの負担は増える.それは逆にいえば学生ひとりが享受できる教員の教育リソースが少ないということ.つまり,ST比が低ければ,それだけ念入りな指導を受けることができ,ST比が高ければ,指導はぞんざいになりがちとみることができる.

もちろん,実際には個々の教員の力量や教育環境・内容の違いなど,指導の状況は多岐にわたるので,大学における教育指導状況の良し悪しはST比だけで判断できる問題ではない.が,大まかな指標であたりを付けるくらいには十分に使える指標といってよいだろう.

ST比とマスプロ教育

当然ながら,学生定員に対して最低限揃えておかなければならない教員の数は省令(大学設置基準第13条)で定められている.したがって,ST比を高めて大学経営を効率化しようなどという不届きな大学経営者が現れたとしても,そう都合よく人員削減するわけにはいかない.いかな大学教員といえどもその能力には限界があるのだから,当然である.

しかしながら,とくに経営効率を追求しがちな私立大学においては,制限の範囲でST比を高めて「(大学にとって)効率のよい」教育をしようという方向に行ってしまうのは致し方ないところではある.その結果,マスプロ教育と呼ばれる,大教室で多数の学生に対して一方的な講義を行うということが常態化しているという現実もある.

幸にして私自身は大人数の講義を担当したことがなく,最大でも100人弱までの規模の講義を持った経験しかないが,それでも履修学生が50人を越えると成績処理やらなにやらいろいろ大変で,数百人の履修者を抱える講義をお持ちの先生方はたいへんだろうなと思う.

マスプロ教育を実施する際の問題点として,大教室をどうやりくりするかというものがある.大学の教室施設設計においても,限られたキャンパス面積をどう効率的に利用するかが求められる.その結果,大教室の数はそれなりに限られる.したがって,マスプロ教育の科目を増やそうにも,物理的な限界というものが存在した.

オンライン講義化でST比は悪化する?

ところがオンライン講義はその垣根をいとも簡単に撤去した.理論上,1科目の履修者数に制限をかける理由はあまりない(あるとすれば講義に使うシステムのアカウント登録数や同時接続数の制限くらいか).また,オンライン講義の課題として指摘されている,学生間の共同作業による学修効果や,教員と学生の間にどうしても距離が生じてしまいがちであること,あるいは,実習や演習など知識伝達型ではない科目への対応が難しいといった負の面は,知識を一方向的に伝達するタイプのマスプロ講義であれば全く影響しない.

したがって,目下のところ,このような講義(マスプロ教育)は簡単にオンライン講義に置き換えることができるのではないかと,目されている.

オンライン講義化とマスプロ講義化は本来全く異なるベクトルのはずだが,まかり間違ってオンライン講義化により教員のリストラを進めようという動きが生じたとしたら,その結果としてST比は高くなるはずである.オンライン講義化で学修効率を高めようとするのは結構なことだが,ゆめゆめ経営効率を高めようなどと考えぬようにと大学の経営層には願いたいところである.

ST比と学費の関係

ところで,SNSなどでは「このまま大学がオンライン化してしまうのであれば放送大学並に学費を下げるべきだ」といういささか暴論に近い指摘をたまに見ることがある.これは,ST比の観点から論じると,全くもってナンセンスであると言わざるをえない.

たとえば,上記で指摘されている放送大学の学生収容定員は60,000人だそうだ.それに対して専任教員数は64名(認証評価の文書による.大学設置基準ではなく大学通信教育設置基準を満たしているとの但し書きあり)で,これでST比を計算すると937.5というとんでもない数字になる.あえてどの大学とは言わないが私立大学のワースト1位でもST比の値は50前後なので,放送大学の授業料が格安なのは,ST比で換算すると「まあ当然」といえよう.

ST比のランキング(高い方から降順に並べたランキング)を眺めていると,やはり国公立大学のほうが小さな値になっている.したがって,その点「だけ」で論じるのであれば国公立大学はST比的にはおトクであるといえる.

そしてさらにST比のランキングを下位(というか,ST比的には良い値)まで辿っていくと,ランキング表の最後のほうには医療系大学がズラッと並ぶ.医療教育の性質もあろうが,医療系大学の学費が高いのはダテではないのだ.実は同じ理屈は米国の大学にも当てはまる.米国の有名大学はとんでもない高い学費を取るが,ST比の値は相当に低い.

父の教えを偲ぶ

いまは亡き私の父は,信州大学で教鞭をとっていた.30年前にこのST比という言葉を使っていたかどうかもう忘却の彼方ではあるが,私が高校生だったときに,「東京大学はいい.教員ひとりあたりの学生数は少ないし,予算の付き方が他大学とは格段に違う.だから東大に行きなさい」と父からアドバイスされたことを強く覚えている.

東京大学に進学したことのメリットはこのST比だけではないが,たしかに当時の修士課程ではひと学年2名の院生しか取らず,一方で大講座制だったので教授,助教授(いまの准教授),助手(いまの助教)2名,技官といった教育スタッフに対して,学生もほぼ同数程度という,非常に恵まれた環境だった(その恵まれた環境でこのざまというのは,もう私の不徳の致すところとしか……).

そんなわけで,オンライン講義化が今後進展していくにあたってどうするべきか,であるが(とってつけたようなまとめでスミマセン),教員ひとりあたりの教育リソースには限りがあるので,オンライン化で効率化できるぶんのリソースを,いま以上に少人数教育に回せればよいのではないかと考えている.


2020年8月26日水曜日

大学設置基準はどうなのか

学校教育法で定められた「大学設置基準」と呼ばれる基準がある.それによれば,「この省令で定める設置基準は,大学を設置するのに必要な最低の基準とする」ということなので,大学においてコロナ禍後にもオンライン講義を推進すべきか否かを議論するうえで「大学設置基準」は無視できない(いやーそんなん俺は無視するよ!っていう無頼派の皆さんは,まあ,頑張ってください)

全文はe-Govのウェブサイトで見られるので,興味のある方はぜひ一度目を通してみてはいかがだろうか.けっこう「へぇー」と思うことが書いてあるので,面白いですよ.ま,それはさておき,ここではオンライン講義化の議論で問題になっている論点に関係しそうなところをピックアップして紹介する.

そもそも大学って?

入構制限などで課外活動が大きな制限を受けている.それに対して,本来大学は教育をするところであって課外活動は大学のミッションではないから,それでよいとの主張(教育研究派)が散見される.本当にそうだろうか?

大学設置基準第2条に,そもそも「教育研究上の目的」という言葉が提示されている(以下,条文の引用は句読点だけ本文に合わせて引用することをお許し願いたい).

第二条 大学は,学部,学科又は課程ごとに,人材の養成に関する目的その他の教育研究上の目的を学則等に定めるものとする.

「教育研究」というこの言葉,大学設置基準全体で53回も出てくる.さらに元をたどると,学校教育法第83条に,大学は教育研究をするところ,という記述がある.

第八十三条 大学は,学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする.

2 大学は,その目的を実現するための教育研究を行い,その成果を広く社会に提供することにより,社会の発展に寄与するものとする.

ここだけを取り上げると,教育研究派の主張はごもっとも,である.

課外活動・人格教育は?

翻って,課外活動に関する言及はあるだろうか.これが,1箇所だけだが,あるのだ.第36条の5である.

5 大学は,校舎のほか,原則として体育館を備えるとともに,なるべく体育館以外のスポーツ施設及び講堂並びに寄宿舎,課外活動施設その他の厚生補導に関する施設を備えるものとする.

いちおう大学設置基準においては,「課外活動もちゃんとケアせえよ」と(さりげなくではあるが)指摘しているものと読める.まあ,「なるべく」という修飾語が付いている点が,課外活動派においてはいささか心もとないところではあるが.

また,直接的な記述ではないものの,この条文のひとつ前,第35条は「(運動場)」である.体育施設がなくちゃいけないのよ?まあ,社会人学生だって成人病予防のためには運動したほうがいいけどさあ.第35条の意味するところが何か,きちんと汲み取る必要はあろう.

「大学生はやはりリアルキャンパスライフが大切なんじゃない.人間教育,人格形成教育はどうなのよ?」と心配されてる人格教育派の皆さん,ご安心めされ.第19条「(教育課程の編成方針)」の2で,きちんとその点について触れている.わざわざルビまで振って!

2 教育課程の編成に当たっては,大学は,学部等の専攻に係る専門の学芸を教授するとともに,幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い,豊かな人間性を涵(かん)養するよう適切に配慮しなければならない.

オンライン講義だけで,はたして「豊かな人間性を涵養」できるのかについては,まだ十分な議論はなされていないのではないかな?そして,さらには,「リアルキャンパスライフ」をまるで後押しするような条文まであるのだ.第34条を紹介しよう.

第三十四条 校地は,教育にふさわしい環境をもち,校舎の敷地には,学生が休息その他に利用するのに適当な空地を有するものとする.

休息その他に利用するのに適当な空地もなければいけないと定めている.「休息その他」ですぜダンナ?

まとめ

そもそも,完全オンライン講義化を想定するとキャンパスも不要になるのでは?という極論に至るが,大学設置基準に「大学は校地(※キャンパスのこと)を持たねばならない」という明示的な記述は,実は,ない.しかし,第37条が「(校地の面積)」となっており,そこには学生の人数に対して最低これだけの面積を校地として確保せねばならないという記述がある.つまり,そもそも校地が存在し学生は登校して活動することが前提となっている.このことは,気に留めておく必要があるだろう(校地を用意しなければならないということと実際に使用することは違うだろうという屁理屈は,勘弁願いたいところ).

教育研究派の皆さんは,大学設置基準がおかしい(あるいは,ポストコロナ時代にそぐわない)と考えるのであればジャマな記述を書き換えるようにロビー運動しよう.もしくはオンライン教育による豊かな人間性の涵養について考えてみよう.課外活動・人格教育派の皆さんは,大学設置基準にちゃんと書かれているんだから,感情的な議論をするのではなくて,きちっとした事実を踏まえて意見を主張されるとよいだろう.

無頼派の皆さんは,もう,勝手にやってて.


2020年8月15日土曜日

Google classroomで誤配送?

Google classroomをお使いの先生方から「テストを一斉配信したら,一部が違う科目の受講生のところに送信されてしまった」とか「あまつさえ回答済みの答案が別の学生のところに送られてしまった」との報告があった.あってはならない事故に聞こえるが,同様の事例は他の大学でもあったらしい.これは少し,いや,かなりの問題ではなかろうか.

はたして,何が原因でこのようなことが起きてしまったのか?

システム内部のバグ説

システムにバグ(不具合)があり,正しく設定しているにも関わらず,この事故が起こってしまった.利用者側には何の問題もない,という可能性.さすがにこれはなさそうだけれど,もしそうだとしたら由々しき事態だ.ちょっと怖くてGoogle classroomなんて使えない.

しかし,Googleでは2週間のドッグフーディング期間(自分たちで使ってみる期間)を置かないと自社サービスをリリースしないというルールだと聞いたことがある.それに,まがりなりにも大企業が世界的にサービスを展開しようというプロダクトで,こんな初歩的なバグが入り込むようなテスト体制をとっているだろうか?

このような理由から,システム内部のバグ説は(多少IT業界への贔屓目が入っているかもしれないが)考えにくいところではある.

設定あるいは登録ミス説

システム的に問題がないとすれば,次に考えられるのは,設定や登録にミスがあったということだ.経験上,これは十分にありえそうな原因と考えられる.

だからといって,設定した教員や職員,あるいは,自己登録した学生を責めるのも間違い.間違って設定したり,間違って登録したりしてしまうことは,これも本来あってはいけないことで,そのようなミスを誘発する登録手順やユーザインタフェースに問題があると考えるべきである.

ドッグフーディングには,ユーザ層にズレが生じることがあるという課題がある.すなわち,ITリテラシの高いIT企業社員と,ITリテラシに幅のある教員あるいは学生といった実ユーザには,そもそもシステムに対する心構えや背景知識が異なるという点である.ドッグフーディングで十分うまく使えたからといって,実ユーザがきちんと使えるとは限らない.

Google classroomに限らず,学習支援システム(Learning Management System, LMS)は,どのシステムも「あれもできる,これもできる」を狙いすぎて複雑怪奇なインタフェースになりがちという問題を抱えている.ITリテラシの高い人であれば十分に対応できるが,そうでない人にとっては目眩がするようなインタフェースである.ミスが入り込む余地は多い(実際,私が使っているLMSでも,間違えることがときどきある).

どうすべきか?

設定ミスや登録ミスを誘発しないようなシステムを設計するには,実ユーザに近いグループを用意してユーザテストを念入りにやればよいのだが,このようなシステムで十分なユーザテストをやるのはかなりコストがかかりそうという問題がある.

この議論をしていたら,Googleのヘルプには不具合や追加機能要求の報告方法についての記述があるので,まずはサービスの提供をして,万一問題があれば,ユーザーの報告に応じて対応しているのではないか?との指摘をいただいた.昨今のITサービス提供に関しては,ありがちな対応ではある.しかし,万一の問題だったとしても,今回問題になっているような問題はいささか看過できないレベルのものであり,これを「起きてから対応」と考えるようなサービス提供方針は,それはそれで批判されるべきではなかろうか?

いずれにしても,とにかく今回の事故に関しては原因の究明が待たれるところではある.その後の報告に注目したい.

 

2020年8月13日木曜日

課外活動と対面講義に関する二重構造

 ここのところずっと議論が続いている「各大学で後期は対面講義をやるべきなのかどうか」問題.私自身は「オンライン講義の意義は認めるものの,オンライン講義だけでは不十分であり対面講義も積極的にやるべき」という立場を一貫して維持しているが,ここではその是非に関する詳細には踏み込まない.それはそれとして,大学全体を取り巻く状況と,課外活動をめぐる動きに共通点があるなあと感じたので,その構造を整理してみたい.

きっかけは東大の通達

そもそも「おやまあ」と感じたのは東大の通達である.東京大学は積極的に警戒レベルを下げるなど,対面の活動実施に舵を切っているようにみえる.オンライン化の決定も速かった一方で,その反省点も迅速に取り入れたのではないかと個人的には好ましくみているが,まあ,それは上記の立場を私が取っているので若干贔屓目かもしれない(とりあえず置いておこう).

さて,注目すべきは,東大教養学部長から発せられた「課外活動の再開にあたっての注意」である.同文書によれば,東大では「8月6日以降,駒場キャンパスにおける『課外活動施設の利用制限の緩和』を行」ったらしい.これは,学生にとっては朗報といえよう.これまで基本的には「課外活動するな」と封じ込められてきたところの制限緩和なのだから,学生にとっては望ましい大学側の対応であろう.

しかし,本文書のほとんどを占める内容は,要約すると「課外活動は許すがクラスタは発生させるな」というものである.さて,この構図,なんか既視感があるぞ?

文科省の対応

ここで,我々が置かれている状況を振り返ってみよう.小中高は対面授業を再開しているのになぜ大学生だけがオンライン講義で我慢させられているのだ?という声がSNSで学生から発せられたり,保護者が「授業料返してもらわないといけないのでは?」と疑問を呈しはじめたり,はては政治家がつまらぬ意見※を垂れ流してみたり,いろいろと外圧が高まっている状況にある.

さて,このような状況に対して,本学のT先生が,文科省の対応は「感染者を出さないように対面講義を再開しなさい.後方支援はないので自分で知恵を出して.感染者が出た場合の責任は大学でおってください」というものであろう,と簡潔に表現してくださった.まあ,塩対応だなあ,とは感じるものの,現時点で,それ以外にないだろうなあ,とも思う.

ところで,これ,「文科省」を「東大」に,「大学」を「課外活動(の主体)」と置き換えたら,先の通達とほぼ同じじゃないの!

我々はどうすべきか?

ではどうすべきかという答えを私は残念ながら持っていない.ただただ,ああ,同じ構造だなあ,いざというときは責任の押し付け合いになるのかなあ,と考えただけである.皆さんはどう考えますか?

東大の通達,結びの段落がなかなかシャレているのでその一部を紹介して,本稿におけるまとめの代わりとしたい.

課外活動をコロナ禍の中で安定して実施できている大学など,世界のどこを探してもないと思います.そのような世界の先端を開拓する覚悟で,課外活動を行って頂きたいと思います.私たちは,新型コロナウイルスが打撃を加えている「人と人との交流・リアルなネットワークの形成」を,なんとしても守っていかなければなりません.是非東大生の皆さんが率先して,その新しいモデルを作ってほしいと願っています.

先の二重構造に当てはめれば,我々は「世界の先端を開拓する覚悟で対面講義を行う」ことに挑戦しなければならないのかなあ,ってことになるけどねえ.

脚注:
※ 「授業料をもらっている以上,大学は対面事業をきちっとやるべき」だそうだ.まあ,対面「授業」をしっかりやるべきという意見は同意するが,大学が自助努力してないという決めつけはいかがなものか.それにしてもタイトルの誤字は酷い(本文にも「ネット事業」という表記がある.なにこれ?口述筆記でもさせたのかな.そんでもって滑舌悪かった?)

2020年8月11日火曜日

大学生だってプログラミングできるようになるぞ

Qiitaに大学生がアップしたらしき記事で「なぜ大学生はプログラミングが上達しないのか」というものを紹介されたので,大人げないと思いつつ反論してみた.ところでQiitaってQの次にuが入ってないから違和感ありまくり.どうでもいいことだけど.

 1. 講義時間が少ない

> 大学の講義は半期に渡り90分 × 15回行われます。つまり、一つの講義ではトータルで22.5時間しか勉強しないのです。

学校基本法では1コマに対して予習復習それぞれ90分ずつ,すなわち,1科目あたり3倍の時間が想定されているんだぞう?知らんのか?

2. アウトプットの時間が少ない

うちはゼミでみっちりやるよ.

3. テストは筆記試験が多い

うちでは「プログラミング基礎」の最終課題は簡単なアプリ制作を求めています.ちな1年生の必修.かなりスパルタ式です.

4. 大学は研究をする場所

> 大学は研究機関です。

うんまあ,これはそのとおり.それは反論しない.しかしね?理想的な大学ってのは研究を進めてその成果を学生にフィードバックしたり,学生とともに研究を進めることで学生の思考力を高めたりするものなのよ.それがちゃんとできている大学かどうかは,大学や先生のレベルにもよるけど.あ,学生のレベルにもよるかも!

5. アルゴリズムの勉強が多い

そうね.でもこれが分かってないと結局は駄目システムをこさえちゃうからねえ.

6. 日常に活かせる機会が少ない(地方学生)

地方だとプログラミング活かしたバイトがないとか嘆いているようだけど,プログラミングを日常に活かすって,バイトだけじゃないぞ?学生実験のデータ分析したり,レポートにまとめるときに使ったり,学生の本分である勉学のいろいろに活かせるじゃない.

7. 課題に追われて自習の時間がない

これは言い訳にならんですよ.大学生ってそういうもの(まあ,昨今の課題地獄には同情するケド)

8. 学んでいる内容が何に活きるのかがわからない

これは教える側の問題でしょうなあ.うちはもう少し目的指向でやってるよ.

9. コードのレビューをしてくれる人が少ない

うちはゼミでみっちりやります.グループ作ってやるからそれなりに楽しいと思うよ?

10. 受け身の学生が多い

まあ,そうなんだよねー.うちの卒業生でも「社会人になって必要に迫られて,いま一生懸命勉強してます.学生時代,先生の講義もっとマジメに受けてればよかった」っていうやつらいるからねえ.

というわけで,そんなことねーよ?っていう反論をしたためてみたわけですが,かくいう私はどうだったかっていう話を最後にしておきます.私が修士の学生だったときは,まあ,ポンコツでしたな.main()だけで数百行あってサブルーチンなし,4重ループなんて作っちゃって最適化とか一切考えず,夜に仕掛けて朝きて結果が出てればヨシ(※)みたいな駄目プログラム書いて数値実験とかして喜んでいたレベル.

それでもその20年後くらいに,500ページ越えるCの本を出しちゃうくらいまで成長できたのは,社会人になって現場で鍛えられたからだったなあ.ま,それも大学時代に地頭を鍛えてもらっていたからだと信じているが.

ふむ.反論になってねえなあ.ぎゃふん.


※ 途中でエラーになっていたらまた明日.当時はマシンが非力だったので,4重ループなんて作っちゃうと,そんな感じになっちゃってたの

オンライン授業は教育格差を拡大する?

 The Economistの「The pandemic is widening educational inequality(パンデミックは教育の不平等を拡大する)」という記事がたいへん興味深い.「貧困層に属する多くの生徒にとっては,オンライン授業は対面授業のチープな代替にしかならない」という記事である.

記事の要約

比較的やさしい英語で書かれているし,それほど長い記事でもないので,ぜひ,リンク先を原文で読んでみていただきたい.忙しい皆様のために三行でまとめると,
  • COVID-19の影響で学校がのきなみオンライン化した
  • 貧困家庭ではオンライン授業に満足に対応できていない
  • そのため学力格差が拡大した
という感じ.まあ,そうだろうね,っていう記事ではある.しかし,よく読むといろいろと示唆的な指摘が書かれていることに気付く.

大学のオンライン化にも参考に?

記事は初等中等教育を対象としている記事のため,大学のオンライン講義には「直接には」関係ないかもしれないが,大学のオンライン講義化を議論するうえでも,本記事で指摘されている事項を考えることは無意味ではあるまい.なにしろ大学での学びは小中高での学びの延長線上にあるのだから.

なかでも,この記事で指摘されている教育格差を拡大する要因のひとつに,裕福な家庭では親御さんが「自学による勉強の仕方を知っているから」という点を挙げていることは見逃せない.

これはそのまま大学でのオンライン講義のあり方にも当てはまりそうだ.すなわち,レベルの高い大学の学生は教員が想定するオンライン講義に素直に対応できる可能性がおそらくは高い.その一方で,そうではない大学では,提供側の想定範囲を越えた様々な配慮が求められるだろうということが想像できる.いや,大学全入時代の昨今,大半の大学は何らかのケアを行うべきで,放っといてもなんとかなるのは一部のトップ校だけかも.

ところで,対面授業って英語で「in-person learning」っていうんだ.なるほどね.

2020年8月8日土曜日

Zoom大学生協

 大学が全てオンライン化してZoom Universityなる言葉で揶揄されていると教えてもらいました.いやあ,皆,いろいろ考えよるねえ.アクセスしたら,いきなり「ステッカー2個買ったら1個タダ(SummerGrad2020のプロモコード使えよな)」って出てきて苦笑.

ステッカーやTシャツなど,Zoom大学のお土産がほしい人はこちらへどうぞ.

追記:日本からは買えないみたい.ざーんねん

学生部がもっと主張すべきでは

COVID-19の影響による講義のオンライン化に関して,やれ学生はキャンパスライフを求めているだの,大学生の本文は講義の受講でありオンライン講義で十分だの,最近,議論が喧しい.前期は緊急対応ということもありなんとか世間にも受け入れられた感があるが,後期の対応はどうすべきか,大学は難問を突きつけられている(実はそのあとに入試対応というもっと難問が待っているが,本稿ではそこには踏み込まない).

具体的に確認しておくと,本稿で議論したいことは,学生にとっての「大学生活」をどう保証するかという問題の取扱いである.そもそもそんなものは大学の本質ではないと切り捨てるか,それも重要だと何らかの対策を提示するか.いずれにしても,どのような対応をとるにしても,その対応をとることの説明責任はある.

ここで私が主張したいのは,この話題は学生部マターと考えられるのに,学生部視点の意見を(いまのところ)ほとんど見ないなということだ.さらに,先生方のご意見,学生たち本人,あるいは,保護者の方,それぞれの主張はあるだろうし,それらが対立することもあろう.そのような対立する意見を調整する役目も学生部が担っているのではなかろうか,というものである.

学生部とは何か

大学関係者以外には「学生部」と言われてもピンとこないかもしれない.学生部とは,大学において学生の諸生活に関するアレコレを議論する組織である.たまたま日本医科大清水先生の「学生部長としての思い」という文章を見つけたので,そこから,学生部委員会の活動について説明している箇所を引用する(清水2010).

具体的には,学内はもちろん課外活動時の事故,疾病ならびに設備の改善に対する対応,予防接種,健康診断など健康面での対応,喫煙および飲酒の問題,学内での避難,防災訓練など安全対策,入学時のオリエンテーション,学生が中心となって毎年行われている海外との短期交換留学(IFMSA)のサポート,毎年行われる東日本医科学生総合体育大会(東医体)の支援,優秀な学業成績や課外活動を通して本学の発展に顕著に寄与した学生または団体に贈られる橘賞,桜賞の選定と授与などがある.

「学内はもちろん課外活動時の事故,疾病」「健康面での対応」などの記述がみられる.まさに,COVID-19対応に関係が深い組織であろうことを読み取ることができよう.

名称は「学生部」以外にもあるのかもしれないが(ちょっとググってみた限りでは,どの大学にも「学生部」という組織はあるようにみえた),類似の機能を持つ組織はどの大学にもあるだろう.そして,表に出てこないだけで,既にどの大学でも学生部主導でこの問題に取り組んでいるのかもしれない.しかし,残念ながらその結論はまだ見えてきていない.

どの大学でも,大学組織のなかで学生部長はそれなりの存在感を示しているはずである(本学の場合,現在の学生部長は副学長でもある).まさに今こそ声を挙げるべきタイミングではなかろうか.それとも,学生部は黒子に徹するというスタンスなのだろうか.

参考文献:
清水一雄,学生部長の思い,日本医科大学医学会雑誌 6(4): 162-163, 2010.

2020年8月6日木曜日

オンライン化する国際会議の明日はどっちだ

COVID-19流行のせいでオンライン化したのは講義だけではない.世界的に人の行き来が制限された結果,国際会議も片端からバーチャル会議化し,オンラインでの開催になった.私は,今年6月にクロアチアでの開催が予定されていた学会と,7月にデンマークで開催が予定されていた学会に参加したが,いずれもバーチャル会議でオンライン,自宅からの参加とあいなった.

両学会ともに,自分の発表とその後の質疑応答はつつがなくこなしたが,それだけ.なんとも寂寥感が残る学会参加であった.以下,オンライン化のメリットとデメリットを挙げるが,結論は「オンライン国際会議ってやはりメリット少ないから当面は致し方ないにしても早く元に戻す方法を考えるべき」である.

オンライン化のメリット

費用の面で気軽に参加できる点は,利点と考える人も多いだろう.なにしろ旅費と滞在費がかからない.欧州あるいは米国往復4日間滞在のパターンで20万円前後のコストがタダ.前後の移動時間もまるまる削減できる.

……他にメリットあるかな?(ちょっと意地悪なもの言いをすると,下記に述べるようにディスカッションもあまり盛り上がらないので「とにかく『国際会議で発表した』という既成事実を積み上げたい」人にはコストパフォーマンスがよいかも)

オンライン化のデメリット

人的ネットワーキングに関する活動が皆無であった.せいぜい自分が発表したセッションのチェアパーソンに挨拶した程度.バーチャル会議は人的ネットワーキング構築にほとんど寄与しない.これが最大のデメリットといえる.

セッション間のコーヒーブレーク,ランチタイム,レセプションパーティ,あるいはオプション参加のエクスカーションなど,そのような活動がいかに重要であったかが思い起こされた.「いやー,話題が多岐にわたるから英語で会話を繋ぐのが難しくてさー」なんてボヤキがとても贅沢なものであったということに気付かされた.

まあ,もっとも国内でも今年度は新たな人的交流なんてほとんどないから,当たり前といえば当たり前の話ではある.そんなんでいいのか?という疑問に対しては,よくない,と即答する.どうすればよいのか,新たな課題であろう.考えなくては.

オンライン化のデメリット(私が反省すべきもの)

以下に述べるデメリットは,私の意識の低さによるものなので「ちゃんとせえ」で片付く話ではある.しかし,まあ,いちおう課題として挙げておこう.

とにかく参加が希薄であった.参加意識もバーチャルであった(バーチャル会議だからね).具体的には,自分が発表したセッションこそきちんと参加したものの,他のセッションはほとんど参加しなかった(できなかった).もったいない.でも時差のせいで夜中とかなんだもんなあ(自分が参加した両学会は,いずれも朝イチのセッションに割当ててもらえたので,日本時間で夕方〜夜という,まあ,なんとか普通に参加できる時間帯であり助かった).

現地に行ってしまえば,参加するしかないから面白そうなセッションには参加してみることになる(まあ,抱えていった仕事をせざるを得ないときは別).せっかく参加費を払っているのだから,情報収集も兼ねて,他のセッションにも参加しないのはもったいない.ここで新たな人的ネットワークが拡大することだってあるし.

そもそも,自分が参加したセッションですら,議論が盛り上がったかというとかなり疑問が残る.見知らぬ人と,いきなりオンラインで議論しろってかなりハードルが高い.発表して,それに対してディスカッションして,アイデアを高めていくという学会の理想的状況には,やや距離があるのではないかという印象は拭えなかった.

オンライン化で参加者数は増えるらしいが……

オンライン化すると参加者数は増える,という話を聞く.私が運営に関わった国内のイベントでも,確かに参加者の総数は増えた.しかし,その数の多くは「幻(まぼろし)」のようなものなのではなかろうかという気がしてならない.

オフライン開催でも自分のセッション「しか」参加しない人は居ただろう.毎年,なんだかんだで理由を探してスイスで開催される学会に「出張」し,自分の発表するセッションだけ参加,残りの日は山に行ってしまうことを公言して憚らなかった某先生を知っている.まあ,その某先生は極端なケースにしても,オンライン化によって参加意識が希薄になるのは私だけではあるまい.そうなったときに,そもそも参加する意義って何だろう?

薄く広くで本当によいのか?少し立ち止まって考える必要があるのではないだろうか.

2020年8月4日火曜日

大学が全てオンライン講義になったらどうなるか?

前期のドタバタをようやく乗り越えつつある今日このごろ,議論は「後期をどうするか」に移りつつある.クラスタ発生のリスクを恐れるあまりに早々と後期もオンラインでと決めた大学もあれば,大学だけがなぜ?とばかりに対面講義実施強行にシフトしつつある大学もあるようだ.

前提と結論

本稿では,もし大学がオンライン講義「だけ」になってしまったら,どうなるかを考えてみたい.なお,大学は講義を聴講するだけの場ではないとか,実験・実習はオンラインではできないとか,そのような指摘はごもっとも.ここでの主張は少し極端な議論である点はご容赦いただきたく,実際にはそのぶんは,割り引いて考えていただきたい.

また,前提として,私は「オンライン講義の消極的推進者」の立場をとる.オンライン講義の意義は認めつつも,積極的に推進するものでもないという考えである.今回のオンライン講義で得られた動画などの成果物は,今後の対面講義で有効に使っていければいいなあ,という立場をとる.もちろん,我らが中央大学iTLの市ヶ谷キャンパスは狭いので,オンライン講義を併用すれば人口密度問題も解決するなあと前向きなアイデアが無いこともない(だから私は消極的推進者.どっちかっていうと非推進者寄り,かも?).

さて,結論から申し上げる.「対面講義を全面的に中止してオンライン講義だけにすると大学の淘汰が加速するであろう」と私は考える.

以下,その理由を述べる.

教育パッケージとしての質の問題

まず,オンライン講義の質について.今回,私もかなり努力したし,それなりに良いものを提供できたのではないかとの自負もあるし,皆さんがいろいろと工夫されて素晴らしいオンライン講義コンテンツを提供されている点は理解しているし,皆さん(私を含む)の努力を否定するものではない.皆さんの努力を否定するものではない(大事なことなので二度書きました).

しかし,怒られるのを覚悟のうえで率直に申し上げると,おそらく「オンライン用の教育パッケージ」としての質は,「よくできたMOOCsのコース > 放送大学の番組 >>>(越えられない壁)>>> 我々の手作りオンラインコンテンツ」といったところだろう.誤解のないように重ねて申し上げておきたいが,教育内容についての比較ではなく,パッケージとしてのできの良さの比較である.怒らないでよ?

よくできたMOOCsのコースってどんなモノかというと,代表的なのはコレ.Andrew Ng先生の機械学習コース(「Machine Learning Andrew Ngコース」のうちのMachine Learning).うちの学生が「勉強したいんだけどひとりだと心配なので」というので,院生などと交えてコレを使って皆で勉強したことがある.機械学習の入門コースなので私は機械学習そのものを勉強したというよりはMOOCsのコースってこんなによく出来てるのかと,そっち(MOOCsコースの作りかた)を勉強した感じだったが,本当に感心した.よく出来ている.さすがCourseraの看板(だよね?)だけのことはある.14万件を超える評価で星4.9,イイね!が97%(2020年8月4日現在)という,お化けコンテンツであり,もう舌を巻くしかない.

身も蓋もない言い方をすると「よくできたMOOCsのコース > 放送大学の番組 >>>(越えられない壁)>>> 我々の手作りオンラインコンテンツ」という違いは,すなわち,お金の掛け方の違いによるパッケージとしてのクオリティの違い,それに尽きる.

もちろん,我々の手作りコンテンツには教員と学生の信頼関係が込められている,という言い方はできる.しかし,それは対面あっての話.全てがオンラインになったときにそこをどう担保するかは課題であろう.

さて,MOOCs市場では既に,お金を掛けたコンテンツが他を淘汰するという現象がみられているのではなかろうか.Winner takes all の原則は,バーチャルな世界だと加速しやすい.大学が,対面講義を捨ててオンライン講義に向かうということは,そのような(あらかじめ不利であることが分かっている)市場に飛び込むということに相違ない.その覚悟はあるのか.その点は理解されているだろうか.

学生の質保証の問題

さらに,私が民間企業に20年弱勤めていたときの経験から,企業があることに気付くと大学の瓦解が加速するのではないかということを危惧する.それは,「△△のMOOCsの単位を一通り揃えました」との主張が「〇〇大卒」の価値を上回ってしまうのではないかということである.

現在の日本においては「〇〇大学卒業」が就職活動生に関する一定の質保証を与えているのは(残念ながら)事実であり,大学名による就職差別が横行しているのも残念ながら未だに認められる.しかし,企業で採用を何回も経験した立場からすれば,ある程度はやむを得ないところがあるのもまた事実ではある.限られた時間で優秀な学生を採用したいと考える企業としては,確度の高いところからピックアップするための大学名フィルタはこれまではある程度有効に機能していた.

ところで,企業が求める学生の優秀さ,地頭の良さというか対応力というか,社会人として求められるスキルは「〇〇大学の『講義を受けました』」だけで得られるものではないと私は考えている.そうだとすると,登校なし全てオンライン講義化でその部分に相当する能力を醸成できるのだろうかという危惧がひとつ.

さらに,もしそうではなく講義だけで十分に育成できるのだとすれば,「〇〇大学の講義セット」を「良質なMOOCsコースのセット」が上回ってしまうのではないかと危惧する.しかも,おそらく後者のコストのほうが遥かに安い.そして後者の価値で十分であることに企業が気付いた瞬間,「〇〇大卒」の価値は地に落ちてしまうだろう.大学名フィルタが機能しなくなる瞬間である.グローバル化する競争社会では東大卒すらダメになるかも.そうなれば日本の大学は全ておしまい.まあさすがにそれは極論にすぎるか.さて,どの大学まで耐えられるかな?

以上が,「対面講義を全面的に中止してオンライン講義だけにすると大学の淘汰が加速するであろう」と考える理由である.

杞憂だといいけれど

もちろん,このような心配は杞憂かもしれない.冒頭で述べたように,実験や実習などオンライン化できない大学の活動は他にもある.本稿での論考は全面オンラインという極端な状況を考えただけだ.「こんなん極論だろ」それで片付けてしまっても構わない.

それに,現在オンライン化を強いられている各大学がそのままオンラインに固執し,現在の大学の序列がのほほんとそのままオンラインでも固定化し,日本の呑気な民間企業が上記のロジックに気付くことなく,これまでの状況に固執していれば,問題なくオンラインに移行するかもしれない.そんな日本に未来があるのかどうかはまた別の問題か.

2020年8月2日日曜日

発表は正確にお願いしたい

気付いてしまったのでメモしておく.
元ネタは西村大臣と尾身会長の記者会見(https://youtu.be/WcZKg1MCnbk?t=2660).なぜか開始位置を指定しないと変なところから始まってしまうので,該当箇所を開始位置に指定しておいた.

7月のクラスター発生状況として表を提示して,会食,職場,学校もヤバいと説く尾身氏.これを引用して「7倍もの数値だ」と報道(ハフポスト朝日新聞)が……


しかしこれ,委員会の資料と数値が違っているんだよなあ.同ビデオの44:20あたりで示されている表はこちら.

大臣の説明だが「先ほど説明がありましたので」としれっと流されてしまっている.数値がちがうよママン!

さて,これって単なる集計ミスなのか,なにか意図的な操作なのか.いずれにしても,政府の記者会見がこんな体たらくでは困ったものですな.