2026年5月16日,土曜日の昼下がり,バンコク市内,ARLのマッカサン駅あるいはSRTのアソーク駅脇にある踏切で,停車中のバスに貨物列車が突っ込み,死者8名,負傷者32名を出すというたいへん痛ましい事故が発生した.
この場所はARLやSRTから地下鉄MRTに乗り換えるときによく通るので,バンコク市内でも馴染みのある場所の一つ.事故のほんの数日前も利用した.いやはやたいへんな事故が起こったものだと驚いたとともに,亡くなられた方々の冥福を祈るばかりである.
ところで,本件に関して,SNSなどで「踏切のなかで線路を跨いで停車するなんてもってのほかだろう.バスの運転手は非常識すぎる」というような,バスの運転手を責める声を多数目にしたのだが,タイの人々の気持ちによりそってみると,それはいささか見当外れという気がしてならない.バスの運転手を非難する声は,主に,外国人によるものだ.
日本もそうだし,世界の多くの国々では,踏切では,当然のように列車が優先する.自動車に比べて列車ははるかに重いので,急には止まれない.急停止できないものを優先させるのは,原則としては理にかなっている.さきのSNSでは,飛行機の滑走路になぞらえて非難しているコメントも見受けられた.ある意味で,それらは正論だし,世界常識だろう.
しかしながら,タイの事情,こちらの人々の合理的な考え方というものも考慮すべきである.そこを度外視して自分たちの文化的背景だけに立脚して非難しているコメントは,おおむね浅はかにみえる.かなり乱暴な見方かもしれないが,タイでは,こと交通事情に関して,安全性よりも利便性を優先する傾向にあるように見受けられる.バイクのノーヘルや,3人乗りなど,典型的な例だろう.
「事故にあったら死んじゃうじゃないか」という指摘はもっともだが,では,人生で事故にあう確率はいかほどか?と考えると,どうだろうか.日本のように,とにかくなんでもかんでも安全一番,安全が全てという考え方は,いわゆる「羹に懲りて膾を吹く」という状況になってはいないだろうか?安全性を最優先するあまり,いろいろなものが停滞してはいまいか?
今回の列車事故に関して,踏切のなかで線路を跨いで停止していたバスの運転手を責めるのは,実は,お門違いも甚だしい.なぜならば,この踏切の先にはすぐに大きな交差点があり,この踏切を含めて渋滞が発生しているのは日常茶飯事だったからである.さらにいえば,それを前提として,この踏切に近付く列車は,いつでも止まれるように速度を落としてゆるゆるとやってくるというのが暗黙の了解になっていたからだ.
そこにはタイ人なりの交通に関する合理性が垣間見える.ただでさえ,交通渋滞の激しいバンコク市内である.踏切の先が空いたら進入することなどという悠長なことをしていたら,交通渋滞はますますひどくなるだろう.しかも,この踏切は,上下線あわせても30分に1本,列車が通るか通らないかという程度のものであり,対して道路は幹線道路,主従が逆転するのも然りといえよう.
私も,こんな経験をしたことがある.踏切横のアソーク駅からSRTに乗ろうとして,線路の反対側から駅のホームに近付いた.道路には車が往来しているので,とうぶん列車は来ないだろうと悠長に線路を渡ろうとしたら,踏切の反対側から列車が近付いて来ていたのに気付いてギョッとした,というものだ.
そのあとどうなったか.まず,列車は踏切手前で停止した(写真).そのあと,踏切係が遮断機を閉め,その後もしばらくチョロチョロと隙間を縫って線路を渡ろうとしていたバイクたちが途絶えたところで,おもむろに列車が動き出した.
とまあ,かの踏切はこのような状況なので,今回の事故に関しては,なんで列車が止まれなかったんだろうと不思議に思ったというのが,最初に抱いた感想である.いくつかのニュースサイトでは,隣接していた道路で信号待ちをしていた車のドライブレコーダーで撮影されたと思しき,バスに列車が突っ込んでいく動画が報じられていた.それをみると,けっこうな勢いで,列車が突っ込んでいっている.
その後,警察の調査が深まり,案の定,列車の運転手になにか問題があったのではないかという報道が続いている.結果として,私にとって本件は,文化的背景の違いを考えさせられる象徴的な事例の一つとなった.


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