温故知新シリーズの2つめです.前回はこちら.
機械が言葉を理解する日のために(1999年4月6日)
議事録を自動作成するためにはどのような技術が必要かを論じている.この時点ではまだあまりうまくできていなかったが,技術の進化はたいしたものだ.今ではだいぶ実用的なものがいろいろとできている.
人工知能を使った対話システムで音声認識と音声合成は当たり前になっているし,ディクテーションや文字起こし,動画の字幕作成なんかもだいぶ使えるものが提供されるようになっている.カクテルパーティ効果を処理できる認識系の実現まではまだ難しいのかもしれないが,会話を巡る日常の様々な情報処理がかなり効率化されたのは事実.あとは,人間側に,これらの技術を使いこなすリテラシーが求められるという段階まできた.素晴らしい.
情報社会の歩き方(1999年5月18日)
なんともまあざっくりしたタイトルというか,雑なタイトルだなあ.今ならこんなタイトルはぜったい付けない.若気の至りというところか.
それはさておき,インターネットの混迷は20年でさらに増した.毎日毎日,Twitterでクソみたいな情報が大量生産されている.これについては様々な論者がいろいろと主張してきているが,とりあえずクリフォード・ストール読んどけやと.1997年に既に指摘されていた話だ.名著なので,「ネットの情報は玉石混交でね」などとしたり顔で論じている論客でこの本に言及していない人はぜんぶ似非だと思っていい(この記事でも言及してないけど……).
回覧はHTMLで(1999年6月22日)
これもいまから振り返ると,稚拙な記事だなあ.学生のレポートみたいだ.
まあしかし,言っていることは間違ってはいない(はず).文書構造にもっと注目すべきだという主張は,今でも私の考え方のコアとなっている.誠実な研究者であれば必要な素養なのではないかとすら思う.
その一方で,WWWのマルチメディア化は甚だしい進化を遂げている.それを否定するつもりはない.HTML5の登場がエポックメイキングだったなあと考えるが,それはまた別のお話.そっちの方面への発展は,それはそれで素晴らしいことだろう(上記の記事とも関連し,玉石混交の「石」が氾濫している原因でもあるが,まあ,多数の石のなかから玉が出てくるのは確率社会学における統計科学原則論的※にも真理なので,許容すべき事象のはずである).
3へ続く.
※ そんなものはない
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