5月も中旬に差し掛かり,暑季も終わりが見えてきた.一年で最も暑い季節が終わると,タイは雨季に入る.このところ,毎日ではないものの,ときどきスコールが降るようになった.今年は少し雨季が早いのかもしれない.
昨年,10月中旬に日本からこちらにやってきた頃は,まだ,雨季が完全に終わってはいなかった.ときおり,激しい雨が降り,道路も水浸しになることがあった.とくに昨年は洪水がひどく,南部のハジャイ周辺や,あるいは中北部のアユタヤとスコータイの間あたりが,だいぶ浸水していた.
昨年の11月にチェンライに出張したときに,飛行機の窓から地上を見下ろしていたら,ふだんはたぶん水田なんだろうなあというあたりが一面水浸しになっていた.本来であれば綺麗に区画された地形が機窓から見下ろせるはずのところが,一面ボヤァっとぼやけた感じになっていたのは,水が溢れていてほとんど湖のようになっていたからだろう.
11月末にロッブリーに遊びに行ったときも,列車の窓から周囲の風景を眺めていたら,ずいぶんと湖っぽいところを通るなあと思ったものだ.しかし,それは湖ではなくて,川の水が田んぼに氾濫して大々的に湖のようになっていただけだった.
もとより,タイのチャオプラヤ川流域は,洪水が多いところである.昔は,ときおり水浸しになるがゆえに,肥沃な土地として集落が栄えたという逆説的な歴史でもある.面白いのは,そのような自然現象に対する対策の考え方が,日本とは根本的に異なるところだろう.
日本では,治水にしゃかりきになり,なんとか洪水を防ごうと考える.堤防を築き,川の流れをコントロールし,住宅地に水が溢れてこないように治水しようとする.
しかし,タイでは,雨季に水が溢れ出すのを素直に受け入れようと考えるようなのだ.自然の力に対して人のできることは限られている.そう謙虚に考えるきらいがある.
ロッブリーの行き帰りに車窓から風景を眺めていたら,多くの住居が高床式になっていることに気付いた.その後にこちらの先生と雑談をしていたときにその件について話すと,伝統的な住居はそうなっているとのこと.洪水で水が溢れても,住居部分が水没しないようにという工夫だそうである.
バンコクの都心で生活していると,そのようなことにはなかなか気付けない.せいぜい,地下鉄の入り口が,数段,迫り上がっていて,ああ,これは雨で道路が水浸しになったときでも地下駅の構内まで水が入り込まないようにする工夫なんだろうなあと考える程度だ.
なお,この地下鉄の駅入り口が階段上になっているのは,東南アジアの他の都市でも見られる構造である.スコールがよく降るような都市では必須の工夫なのだろう.最近は東京でもゲリラ豪雨がしょっちゅう降るので,このような工夫が必要なのではなかろうか.
一方,ラカバンまで来ると,高床式の工夫が随所でみられる.なにしろコンビニの入り口がかなり高い(写真).ここのソイに面した店は,コンビニに限らずどの店もこのようになっている.
いま住んでいるドミトリーの入り口も同様に,階段を上がって入る高さにある.階段の下に立つと,入り口の床はちょうど私の目線程度の高さになっているので,およそ1メートル半といったところだろうか.
このように,タイの人々は,しばしば起こる洪水に対して,床を上げるという対策をしている.大規模な治水工事をするよりは,はるかに安上がりだろう.マイペンライな考え方だなあ.
ただし,先の先生によれば,最近では西洋式の建築が流行っていて,その結果,洪水の被害がひどくなることも起こっているのだとか.流行を追うのもよいけれど,温故知新という言葉の意味を考えることも大切だなあと,しみじみ考えた.

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