2020年8月27日木曜日

ST比とオンライン教育

大学の活動状況や性質を測る指標はいろいろあるが,そのなかで,大学関係者はほぼみな知っているが関係者以外には意外と知られていない重要な指標がいくつかある.そのひとつが「ST比」と呼ばれるものである.

ST比とは,Student - Teacher 比率のことで,教員ひとりあたりの学生数を示す.その正確な定義にはゆらぎがあるようだが,ありていにいえば,「ひとりの教員が何人の学生の面倒をみているか」というざっくりとした指標だ.したがって,ST比が高ければ高いほど,教員あたりの負担は増える.それは逆にいえば学生ひとりが享受できる教員の教育リソースが少ないということ.つまり,ST比が低ければ,それだけ念入りな指導を受けることができ,ST比が高ければ,指導はぞんざいになりがちとみることができる.

もちろん,実際には個々の教員の力量や教育環境・内容の違いなど,指導の状況は多岐にわたるので,大学における教育指導状況の良し悪しはST比だけで判断できる問題ではない.が,大まかな指標であたりを付けるくらいには十分に使える指標といってよいだろう.

ST比とマスプロ教育

当然ながら,学生定員に対して最低限揃えておかなければならない教員の数は省令(大学設置基準第13条)で定められている.したがって,ST比を高めて大学経営を効率化しようなどという不届きな大学経営者が現れたとしても,そう都合よく人員削減するわけにはいかない.いかな大学教員といえどもその能力には限界があるのだから,当然である.

しかしながら,とくに経営効率を追求しがちな私立大学においては,制限の範囲でST比を高めて「(大学にとって)効率のよい」教育をしようという方向に行ってしまうのは致し方ないところではある.その結果,マスプロ教育と呼ばれる,大教室で多数の学生に対して一方的な講義を行うということが常態化しているという現実もある.

幸にして私自身は大人数の講義を担当したことがなく,最大でも100人弱までの規模の講義を持った経験しかないが,それでも履修学生が50人を越えると成績処理やらなにやらいろいろ大変で,数百人の履修者を抱える講義をお持ちの先生方はたいへんだろうなと思う.

マスプロ教育を実施する際の問題点として,大教室をどうやりくりするかというものがある.大学の教室施設設計においても,限られたキャンパス面積をどう効率的に利用するかが求められる.その結果,大教室の数はそれなりに限られる.したがって,マスプロ教育の科目を増やそうにも,物理的な限界というものが存在した.

オンライン講義化でST比は悪化する?

ところがオンライン講義はその垣根をいとも簡単に撤去した.理論上,1科目の履修者数に制限をかける理由はあまりない(あるとすれば講義に使うシステムのアカウント登録数や同時接続数の制限くらいか).また,オンライン講義の課題として指摘されている,学生間の共同作業による学修効果や,教員と学生の間にどうしても距離が生じてしまいがちであること,あるいは,実習や演習など知識伝達型ではない科目への対応が難しいといった負の面は,知識を一方向的に伝達するタイプのマスプロ講義であれば全く影響しない.

したがって,目下のところ,このような講義(マスプロ教育)は簡単にオンライン講義に置き換えることができるのではないかと,目されている.

オンライン講義化とマスプロ講義化は本来全く異なるベクトルのはずだが,まかり間違ってオンライン講義化により教員のリストラを進めようという動きが生じたとしたら,その結果としてST比は高くなるはずである.オンライン講義化で学修効率を高めようとするのは結構なことだが,ゆめゆめ経営効率を高めようなどと考えぬようにと大学の経営層には願いたいところである.

ST比と学費の関係

ところで,SNSなどでは「このまま大学がオンライン化してしまうのであれば放送大学並に学費を下げるべきだ」といういささか暴論に近い指摘をたまに見ることがある.これは,ST比の観点から論じると,全くもってナンセンスであると言わざるをえない.

たとえば,上記で指摘されている放送大学の学生収容定員は60,000人だそうだ.それに対して専任教員数は64名(認証評価の文書による.大学設置基準ではなく大学通信教育設置基準を満たしているとの但し書きあり)で,これでST比を計算すると937.5というとんでもない数字になる.あえてどの大学とは言わないが私立大学のワースト1位でもST比の値は50前後なので,放送大学の授業料が格安なのは,ST比で換算すると「まあ当然」といえよう.

ST比のランキング(高い方から降順に並べたランキング)を眺めていると,やはり国公立大学のほうが小さな値になっている.したがって,その点「だけ」で論じるのであれば国公立大学はST比的にはおトクであるといえる.

そしてさらにST比のランキングを下位(というか,ST比的には良い値)まで辿っていくと,ランキング表の最後のほうには医療系大学がズラッと並ぶ.医療教育の性質もあろうが,医療系大学の学費が高いのはダテではないのだ.実は同じ理屈は米国の大学にも当てはまる.米国の有名大学はとんでもない高い学費を取るが,ST比の値は相当に低い.

父の教えを偲ぶ

いまは亡き私の父は,信州大学で教鞭をとっていた.30年前にこのST比という言葉を使っていたかどうかもう忘却の彼方ではあるが,私が高校生だったときに,「東京大学はいい.教員ひとりあたりの学生数は少ないし,予算の付き方が他大学とは格段に違う.だから東大に行きなさい」と父からアドバイスされたことを強く覚えている.

東京大学に進学したことのメリットはこのST比だけではないが,たしかに当時の修士課程ではひと学年2名の院生しか取らず,一方で大講座制だったので教授,助教授(いまの准教授),助手(いまの助教)2名,技官といった教育スタッフに対して,学生もほぼ同数程度という,非常に恵まれた環境だった(その恵まれた環境でこのざまというのは,もう私の不徳の致すところとしか……).

そんなわけで,オンライン講義化が今後進展していくにあたってどうするべきか,であるが(とってつけたようなまとめでスミマセン),教員ひとりあたりの教育リソースには限りがあるので,オンライン化で効率化できるぶんのリソースを,いま以上に少人数教育に回せればよいのではないかと考えている.


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