「視聴者の理解度高く驚いた」京都大学がコロナと社会考える無料オンライン講義を配信中という記事が面白かったので紹介したい.
理解度の高さ?
「新型コロナ×人文学」というテーマでオンライン講義を配信したら,理解度が高くて驚いたという話題が冒頭で出てくる.まあ,1万5千人も聴講者がいれば,その中には理解力が高い聴講者は必ず出てくるだろう.その意味で不思議な話ではない.それよりも,1万5千人も聴講者を集めたことが注目に値する.
どのような手段で広報したのか,京大のブランド力なのか,そのあたりの記述が一切ないので,この記事からは読み取れないが,調べてみたら面白そうだ.
オンライン講義の特長として,スケーラビリティがある.対面講義ではかなわないメリットである.オンライン講義の利点として語られるポイントは「それ,対面講義でも同じようにやればいいじゃん」と思うことがしばしばあるが,さすがに1万5千人相手の対面講義は考えにくい.嵐のコンサートじゃあるまいし.
チャット機能の効果
続けて,チャット機能で学生の「ひそひそ話」が実現できた,と語る.「チャット欄は奇跡のような空間」だそうだ.まあ,この効果はわからないでもない.
研究会などで,リアルな発表の裏でチャットやTwitterなどを使いヒソヒソ話をするという文化は,IT系では既に確立されているものである.古くは2000年代前半のWISSなどでは,そのプラットフォーム構築と効果などについて盛んに議論されていたことを思い出す.
実は,私はこれあまり好ましいとは思っていない.学生同士の「ひそひそ話」を容認するというのはどうしても講師へ失礼だという印象が拭えないからである.しかし,一方で,学習効果を高める機能がありそうだということもわかる.一長一短あるはずで,先に説明したようにそれなりに歴史があるので,そのあたりの議論も尽くされているはず.
オンライン講義と身体性
さらに,オンライン講義の圧倒的なデメリットとして,身体性の欠如について言及されている.これは,私もかねてからずっと指摘してきたことだ.改めて気付いた「対面の良さ」だそうである.まあ,前期にずっとオンライン講義をしてきた皆さんは多かれ少なかれ気付いているはずだと思うけど.
出口教授の言葉を引用する.
「この先、社会のオンライン化がいくら進んだとしても、我々の生が24時間オンライン化されるわけではない。我々の生には、つねに身体的に生き、他者と交わっている部分が残るはずです。」
だそうだ.さもありなん.
2ページめの後半では,「オンライン化で存在意義失う?大学のあり方に課題も」という議論が展開されている.このあたりは,Facebookグループで盛んに議論されている内容と大きく被っているものと思われるので省略.まあ,面白い記事なので一読をおすすめします.
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