2020年11月21日土曜日

試験会場でウイルスが蔓延りたいへんだった話

もう何年も前の話なので昔話として語ってもよいかな.大規模私立大学にはよくある制度なのだと思うが,地方で同時に入試を行う「地方入試」という制度がある.その年,私は地方入試担当者の責務が与えられ,宮城県は仙台会場の責任者として杜の都に1週間,滞在した.

試験会場責任者といっても,何かあったときに管理責任を取る立場であって実際の試験監督業務を行うわけではない.試験会場のバックエンドで待機して,試験問題用紙の搬入や解答用紙の搬出などに目を光らせればよいというくらいのものだ.何かあったら陣頭指揮を取らねばない立場だが,何事もなくつつがなく業務が過ぎていけば,それに越したことはない.なお,入試関連書類の取扱いはそれはもう厳重に行われている.セキュリティ会社の面目躍如というところである.

事件の発生

さて,月曜日から入試が始まり,順調に,入試日程が過ぎていった.異変が生じたのは,木曜日の夜である.東京から出張組の二人とともに,いつものように業務の振り返りや反省などしながら夕食を共にしていたのだが,どうにも食欲が出ない.適当なところで切り上げて,ホテルの自室に引き上げたわけだが,そのあとがたいへんだった(体調の異変はバレてないつもりだったが,あとから同席していた二人に聞いたところによれば「途中からパッタリとビールが止まって寡黙になられたので,変だなと感じました」だそうだ).詳細は省くが,夜中に七転八倒,トイレに1時間籠もり,嘔吐下痢という状況でエライ目に遭った.

翌朝,ほうほうのていで試験会場に向かうと,どうもバタバタと騒がしい.それはそうだろう.食中毒が発生していたのだから.体調が悪くなったのは私だけではなく,試験監督業務を依頼している現地スタッフの多くで体調不良が発生し,その日の試験実施が危うくなっているという危機である.

その後の展開

その後の経緯を説明すると,試験監督スタッフについては地元および東京から応援が入り,なんとか試験はつつがなく遂行することができた.緊急対応体制がきちんと機能していて,その点は素晴らしい対応であったと評価できよう.なお,先に述べたように「何かあったらテキパキと陣頭指揮をとるべき」はずの私がそもそもヘバッていてほぼ何もできなかった点は,まったくもってお恥ずかしい限り.「先生はそこでOS-1飲んで休んでてください」というスタッフの配慮に甘えてしまった(まあ,それだけ私自身が機能不全だったということで,ご容赦願いたい).

そんなわけで,私はもうどうしようもなかったのだが,待機していた医療スタッフの見立てによれば,「おそらくノロウイルスですねえ.潜伏期間を考慮すると,水曜日のお弁当が怪しいでしょう」とのこと.たしかに,水曜日にいただいたお弁当には地元仙台らしく「牡蠣のマリネ」が入っていて,美味しく頂いた覚えがある.「ぼく牡蠣ニガテなんで」「私も食べませんでした」とは,ピンピンしていた東京出張組の二人による証言である.BINGO!それに違いない.

保健所に連絡して,その後はあれやこれやといろいろな手続きが行われた.これもめったに体験できない貴重な経験ではあったが,もう一度やりたいかと問われれば「No」である.二度とゴメンだ.そのような手続きを経て最終的にその弁当が原因であったらしいという結論に至った.弁当業者は1日だけ営業停止になったと聞いている(その日,仕入先の松島で同様のノロウイルス事件があったとか).まあ,自然災害に近いものなので,致し方ない話ではある.罹患したのが運営側だけであり,受験生に被害が及ばなかった点は不幸中の幸いであった.



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