2020年11月2日月曜日

オンライン講義化の副作用

「副作用」といっても悪い意味は含まない.いわゆるソフトウェア工学でいうところの「副作用(side effect)」であって,日本語で一般に使われる悪い意味でのニュアンスは持たない.いや,どちらかというと,よい効果があったと好意的に受け止めるべきかもしれない.

発端はこの記事

発端は毎日新聞の「オンライン授業は『悪』なのか 対面授業5割未満の大学名公表の波紋」という記事である(リンクおよび図).この記事ではオンライン講義化のメリットを指摘するアンケート結果として,次のようなものが紹介されていた.

理解度が改善した理由について,教員を対象としたアンケートでは,事前に資料をオンラインで提供したことで学生が板書を写す作業から解放され,内容の理解に集中できた可能性などが指摘されている.

いや,ちょっと待ってほしい.「事前に資料をオンラインで提供したこと」がオンライン講義化なら,そんなのずっと昔からやってるってば!

昨年までの私に「オンライン講義を実施している」なんていう意識は一切なかったが.

大学教育の底上げがはかられた?

当該新聞記事を肯定的に読んでみよう.レッツ・ポジティブシンキング.講義のオンライン化が強制されたことで,これまでの対面の講義では「資料を事前に準備してオンラインで提供する」というようなひと手間をかけていなかった教員が,その手間を掛けざるを得なくなった.その意味では,これも間接的なオンライン化のメリットなのかもしれない.

振り返ってみれば,「資料提示型」と呼ばれる,とにかく資料をLMSに上げるだけやっておいて,あとは学生に自習を促すタイプのオンライン講義も,4月の当初は許されていた.これは「急にオンライン講義って言われても,対応できないよ」というITにあまり強くない教員を救済する措置という意味があった(少なくとも私の知る範囲ではそのような雰囲気であった).しかし「これはあまりに教員の手抜きだ」という学生からの苦情が相次ぎ,その形態は認められなくなった(未だに認められている大学はあるかもしれない.そのへんは各大学の状況によるだろう).

いずれにしても,そのような緩衝期間,移行期間を経て,「資料を事前に準備してオンラインで提供する」さらには「動画や音声で解説する」「オンラインミーティングツールを用いて双方向オンライン講義を提供する」という段階にオンライン教育環境が,教員側の対応としても整備されていったことは,事実として理解してほしいところではある.

さらに願わくば,今回の騒動が落ち着いて,従来型に戻ったとしても,今回の経験を活かして教育の質がさらに向上することを期待したい.少なくとも自分としては,今回たくさん作成した講義動画が資産になり,反転講義にチャレンジできるようになった.その他の効用もあった.副作用万歳といったところである.

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