ジプシーの被害にあったOくんたちを警察に残して,勝手に床屋に来たという話の続きである.
ふらっと入ったその床屋は,日本でもよくありがちな,家族経営の,いかにも街の床屋さんといった風情の店だった.ドアを開けると,店のお母さんが出迎えてくれた.以下,カタコトのフランス語を交えての,基本的には英語でのやり取りである.
言葉でのコミュニケーションがおぼつかないため,最初はヘアカタログを見せられながら,指差し確認しつつのボディランゲージ混じりで,どうする?こうする?というやりとりをしたような気がする.そのあたりの詳細はもう覚えていない.しかし,「お父さんが上でランチを摂っているから,終わったらお父さんに髪を切ってもらいなさい」とお母さんに指示され,ちんまりとソファに座って旦那さんが階段から降りてくるのを待っていたシーンは記憶に残っている.
やがて旦那さんが2階から降りてきて,髪を切ってくれた.どこから来たんだ?日本?ずいぶん遠いところから来たね.そんな話をしたような気がする.
面白かったのは,ここから.
こんなマルセイユの片隅にある家族経営の床屋に,東洋人なんかがふらっと入ってきたなんて,これまでそんなことはなかったのだろう.洋の東西を問わず,噂はすぐに広がるものである.なんか変なやつが来てるぞ?と,近所の人々が集まり出したのだ.
と同時に,店のなかでは,お父さんによるフランス語講座が始まっていた.ボンジュールから始まって,簡単な挨拶など.大学の1, 2年次に教養の第二外国語でフランス語を習っていたので,こちらも多少はわかる.なんとなくいいテンポで,髪を切りながらのフランス語講座は続く.
そこに近所のマダムがやってきた.
お父さん:挨拶しなさい
私:メルシー
お父さん:ノンノン,「メルシー,マダーム」だ
私:メルシー,マダーム
お父さん:トレビアン!
こんな調子である.
また,その床屋には年頃の娘さんが二人いた.当時の私とちょうど同世代,少し下かな?というところ.姉がアニエスで妹がソフィー.コケティッシュな顔だちのアニエスと,往年のソフィー・マルソーを彷彿とさせる美貌のソフィー.どちらも可愛らしい姉妹だった.
お父さんが,「うちの娘たちは東洋に行ったことがない.日本に連れていってくれないか?」と冗談を飛ばしてきた.どちらも可愛らしいのだが,どちらかというとソフィーがキュートだと思った私,しかし,妹がいいとダイレクトに言うと,後々,家庭争議のもとになりかねなさそうだと,まったくもって余計な忖度をした末に,私はなんと答えたか.
「どっちも可愛いんだけど,選べないから両方と結婚させてもらえないか?」
もちろんお父さんの答えが強い口調で「ノン!」だったことは語るまでもなかろう.
時は飛び,2007年にマルセイユに出張する機会があった.たまたま週末を挟んでいたので,日曜日,忙しい出張スケジュールのなかで珍しくゆっくりできた私は,「そういえばあの床屋,まだあるかなあ?」と,当時の朧げな記憶を辿りつつ,たしかこのへんだったよなと探してみた.
結論からいうと,床屋は見つからなかった.店を畳んでしまったのかもしれない.私の記憶が曖昧すぎたのかもしれない.たしかカステラーヌという広場から斜めの路地を入っていったところだったはずだが,いくら探してもなかった.
ソフィーとアニエスはいまどうしているだろう.会わないほうが幸せということもある.なにしろ記憶のなかの彼女らは,フランス人形のように可愛らしいのだから.
想い出を語り過ぎて,なかなか二度めの散髪に至らない.海外で体験した二度めの散髪と,スクンビットでの散髪の話は,次回に続く.
今日の写真は,スーパーで見かけた日本酒.「獺祭」を売っていた.けっこういいお値段しますなあ.一本,8千円弱といったところ.

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