2021年12月21日火曜日

パンデミックと生産性

いまから書く話は,だからイイ,とか,だからダメだ,という話ではなく,事実としてこういうことがあった,という話である.私としては受け入れ難いとまとめているが,人によってはそれはウェルカムという場合もあるかもしれない.もったいつけて書いているが,結論からいうと,今年はものすごく生産性が上がった,が,それで生活の質(Quality of Life, QoL)が上がったか?というとそうではなく「はたしてどうあるべきなのか悩ましい」という問題意識を持つに至ったというお話.

私の履歴書

私は,1994年に大学院を卒業してからというもの,ずっと知的生産活動を生業として人生を過ごしてきた.その一つの指標として,論文等を何報,世の中に出してきたか?をグラフにしたものが,上の図である.

2013年に教員として大学に転じるまでは,民間企業の某シンクタンクで「総研マン」(証券マンに響きは似ているが,ぜんぜん違う)あるいは「シンクタンカー」(thinktanker だが,これもカタカナで書くと sink tanker と誤解され,海難事故となってしまう.ゆえに,あまり好きな言葉ではない)として,報告書やらシステムの仕様書やら何やら,様々な文書を生産してきた.そのなかで,対外発表として学術的な発表を認めてきてくれた前の職場には感謝しかない.

まあ,そんなわけなので,アカデミアの人間としては遅咲きだけれども,実務家教員としてはそれなりに研究業績もあるほう,という,なんだか中途半端な蝙蝠野郎という気がしないでもないが,その点はご容赦いただきたい.

生産性が著しく向上

ともかく,スローペースながらも着実にアウトプットを重ねてきた私であるが,本稿で着目していただきたいのは右端の2年分である.年度単位で集計しているので,右端の2021年は正確には確定値ではないが,ほぼ,この数字で固まる予定である(ひょっとしたら,いま編集中の著書が年度内に出版できるかもしれないし,学会発表も3月の研究会等で,もう少し伸びるかも).

いずれにしても,昨年度と今年度のところを注目されたい.昨年度は,慣れぬオンライン授業準備等で忙殺され,また,学会がキャンセルされたなども重なり,一昨年度に比べると件数は減っている.ところが,今年度の充実度合いといったらない.なにしろ,原著論文3報,単著の書籍3冊,紀要等3編,国際会議4編,国内査読付会議2編である.しかも,ここまで全て1st author.国内会議は学生の発表が中心だがそれも10編.講演や解説記事など数えるのも面倒なくらい(それは大袈裟だ).自分でいうのもなんだが八面六臂の大活躍という感じ.

研究専念期間というわけでもなく,普通に講義もやっている.新しく担当する科目も2つ増えたので,新規に資料を作り込んだり,講義動画を撮影したり.それなりに時間を費やしていたけれど,それでもこれだけのアウトプットが出ているのはいかなる理屈か?寝る間を惜しんで,ということもなく,睡眠時間はそれなりに取っている.いたって健康である.

大学運営業務(校務)にもそれなりに忙殺されている.某ほげ委員長も引き受けさせられているし,ふがぴよ委員は山のように担当させられ,もとい,担当している.学会等の外部活動でも,今年は委員長を2つ引き受けた.今年になって私が2人に増えた,なんてことは決してない.はたして,何が起こっているのだろうか.

生産性向上の理由?

我が身を振り返ってみると,どうも出張を一切していないことと,飲み会が極端に減ったこと,この2点が大きく影響しているのではないかと結論付けざるを得ない.

とくに海外出張がなくなったので,ロスタイムが大きく減った.行ったり来たりして時差ぼけでぼーっとしているという時間は削減された.

また,飲み会がほぼなくなっていた(最近少しずつ復活の兆しあり)ので,アホみたいに飲むことはなかった.自宅で毎晩,晩酌はしていたが,自宅で飲むときはどうしても節度ある飲み方になる.その結果,宿酔いになることはほぼなかった.

宿酔いになることがなかったので,ロスタイムが大きく減った.翌日は夕方まで開店休業状態でぼーっとしているという時間は削減された.

改めて問われる人生の意義

しかし,ここでふと我にかえってみる.たしかに生産性は向上した.……かもしれない.しかし,楽しくない.QoLはすごく低下した気がする.短い人生,そんなんで良いのか?と自問自答する.死ぬ間際に「ああ我が人生に悔いなし」と言えるのかどうか.それを考えると,やはり,この状況は私としては受け入れ難いなあと思った,ということをつらつらとまとめてみた次第である.

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