ある会合(オンライン)に参加していて,大学もオンライン講義でいろいろたいへんですねという話題になった.その会合に参加していた某先生は「いやいやオンラインになっていろいろとやりやすくなりました.学生からの評判もよいです」と仰る.私は嘴を挟むのは遠慮していたが,間の悪いことにその直後に飯尾さんどうですか?と振られてしまったので「オンラインでやりやすくなった面もありますがオンラインで全ての関係性が希薄になったことを危惧しています.学生の声だって怪しい面もあり素直に受け取るわけにもいかない」と率直な意見を述べた.
オンライン化の課題
オンラインで関係性が希薄になることについてはこれまでもいろいろと指摘してきたことなのでここでは敢えて触れないが,やはり,顔の見えない学生たちに対して淡々と喋らねばならない現状の方法には異を唱えたいところだし,ふと動画がオンになったと思っていたら授業を聴いていた?のかどうかもよく分からない「ベッドに寝っ転がりながら受講していた学生の姿」が見えた事件(ビデオがオンになってしまったのはどうやら不慮の事故だったらしい.私も「どうも見てはいけないものを見てしまったようですね」とだけコメントして先に進んだ)などを思い出して,オンライン化を無条件で受け入れる気持ちにはなかなかなれない.
自分の専門性が人間と情報システムのインタラクションということもあり,コミュニケーションに関する身体性などについてもいろいろと考えてきたこと,あるいは,もともと情報系のエンジニアだったという背景からシステムを全面的に信用するわけにもいかないということなど,両手を挙げてオンライン万歳というわけでもない点を差っ引いたとしても,やはり,課題がまだあることを認めたうえで,慎重に進めていかないといけないのではということを改めて感じる.
カメラの遠隔操作機能
さて,そんな話をしていて,私の意見に共感を示してくださった参加者も何人かいらっしゃったので心強く感じたところではあったが,話の流れが,ふと,引っかかる話題に転がっていった.というのは「やはり受講している学生の姿が見えないのは難儀だよね(ここまでは完全に同意)今のオンラインミーティングツールってホスト側からゲスト側のカメラをオンオフできないじゃない,あれ,講義で使うにはホストがコントロールする権限ほしいよね」と仰った先生がいらした点である.
気持ちはわからないでもない.教室において対面で講義しているのであれば,居眠りしている学生がいたとして,その状況はすぐに分かるし,そんな彼ないしは彼女のところへ近寄り,そっと優しく起こしてあげる,なんてこともできる.
オンラインではそうはいかない.ネットの向こう側で,学生たちがどんな格好をしているかは完全に秘匿される.なので,カメラをこちらからオンにできたら緊張感も出るしよいだろう,という発想に至るのは,わからぬでもない.
追加機能の是非
しかし,その考えに私は同調できなかった.学生が見えないことに不満を感じている自分ではあるが,強い違和感を感じた.なんとなく,それは一線を越えてしまっているような気がする.
プライバシー云々の話もあるが,あくまで直感である.言葉にするのはなかなか難しい.なかなかモヤモヤする話題でもある.教室に集まるときは公共空間に来る前提で現れているが,自室というのはかなりプライベートな空間であり,そこに強制的なカメラを持ち込んでよいかが論点となるだろう.講義だから,授業だから,あるいは会議だから,が通用するか否かである.
かように,まだまだ議論は不十分であると私は考える.オンライン化とクチで言うのは簡単だが,実際のインプリメンテーションはなかなか難しい.
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