2026年3月3日火曜日

続々・バンコクに帰れなくなった件(お気楽クルンテープ通信 No. 47)

困り果てたK先生と私,「とにかくいったん座って作戦会議だ,落ち着こう」と,ベンチを探し,なんとか空いている席を見つけた.空港の公衆Wifiに接続し,帰れる便を探すべく,あちこちの航空会社を検索しまくった.

チケットカウンターに行き,そこで大枚叩いて正規運賃で航空券を購入すれば,最も早く帰れるのだろう.しかし,けっこうな金額になるし,補償のアテもないところでそのリスクを犯すのは,いささか抵抗がある.さらに,この時点ですでに現地時間で夕方なので,今日中に帰る便には乗れそうもない.調べていくと,二日後に出る便であれば比較的安いチケットを手配できそうだということがわかった.

そのなかで,明日,出発する便で,バンコク行きではなく,東京行きのチケットであれば,それなりにリーズナブルな価格で買えそうなものを見つけた.スイス航空とキャセイパシフィック航空の組み合わせで,アテネ→チューリッヒ→香港→東京という旅程である.

バンコクに戻らないと精算がややこしいことになりそうだなと,若干の躊躇はあったが背に腹はかえられぬ.即決で予約し購入.これで,なんとか足は確保できた.

これで帰れるよと横にいたK先生に伝えたら,残念なことに彼はそのチケットを購入できなかった.タイミングの問題だったのだろうか.それともメンバーシップのステータスの問題かもしれない.持っててよかったJGC.

次は宿探しである.思えば,昔,ヨーロッパ3週間の放浪旅をしたときも,次の街に移動してからインフォメーションでその日の宿を決めていたなあ……などと感慨に耽る暇はなく,イマドキなのでやはりホテルもネットで検索する.

アテネに来る予定はなかったので,まず,街そのものがわからない.調べてみると,シンタグマ広場という場所が中心地らしく,交通の便もよい.したがってそこを中心にホテルを探し,そこそこの価格のホテルを1泊,予約した.これで,宿も確保できた.

隣のK先生も,苦労の末,なんとか,日本への便と宿を手配できたようだった.ただし,彼はアテネに2泊しなければならず,LCCの組み合わせでフランクフルトからウランバートル経由というなかなかチャレンジングな便を予約していた.

あとで聞いたところによれば,エミレーツで代替便を手配したS先生は,5日までアテネに逗留することになったそうだ.この文章を書いている時点で,彼はまだアテネにいる.ご苦労様なことである.アテネに2泊したK先生も,空白の1日でパルテノン見物などを楽しまれたようだ.呑気な写真が送られてきた.

日本へ戻るチケットと宿を確保した我々は,とにかくホテルで休もうと,空港隣接の鉄道駅に向かった.ところが,また,ここで問題が発生,2月28日は,2023年に発生した鉄道事故の対応に対するデモがギリシャ各地で行われており,鉄道もストライキしていたのである.

ストライキの話は前日に聞いて知っていた.しかし,我々には関係ないものとばかり思っていた.まさかここでとばっちりを受けるなどとは夢にも思わない.まったくもう,一難さってまた一難である.

しかし,シンタグマ広場に宿をとった我々の嗅覚は確かだった.X95番のバスに1時間揺られれば広場まで連れて行ってくれるとの情報を得て,無事,バスで市内まで行けたのである.さらに,このバス,24時間運行という心強さ.翌日は7時5分発という極めて早朝の便にも関わらず,夜中のバスに乗って空港まで戻ってこられた.めでたしめでたし.

そんな経緯で,チューリッヒ,香港と経由して,いま,東京に戻ってきている.予定はだいぶ変更されたが,無事に戻ってこられてよかった.明日の講演の準備をしなければ.

思いがけずアテネに1泊したので,夜はギリシャ料理も堪能できた.写真はミートボール(左)とムザーカ(右).注文したときに,ミートボールの付け合わせを「ポテトにする?それともライスにする?」と尋ねられ,米飯に飢えているとのK先生のリクエストでライスを選んだら,これが格段に旨かった.自分も無意識のうちに米を欲していたのかも.アジアの血は揺るぎませんなあ.

また,トルコにも近いので,ケバブのような料理も有名だということも知った.人間万事塞翁が馬,禍福は糾える縄の如し.昔のひとは,なかなかいいことを言うものだ.

続・バンコクに帰れなくなった件(お気楽クルンテープ通信 No. 46)

乗り継ぎ便がキャンセルされた可哀想な子羊ちゃんたち3名を乗せたエーゲ航空335便は,滑るようにアテネ空港に着陸した.ここから,我々の悪戦苦闘ぶりをできるだけ詳しく記録すべく努力する.似たような状況に巻き込まれたときは,ぜひ,参考にしていただきたい.

まず,気になったのは,預けた荷物である.次の便がキャンセルになったのだから,預けた荷物の行き先が気になるところだろう.バゲージクレームまで進み,歩いていた係員を捕まえて「次の便キャンセルやねんけど,荷物はどうなるん?」と聞いてみた(注:拙い英語で質問している様子を拙い関西弁で表現しています).

すると,「まあ,通常は出てくるけど,バゲージクレームのカウンターで聞いてみ?」とのこと.そこで,いくらかすでに列が出来ていたカウンターに並び,「どうすればええねん?」と尋ねてみた.

担当のオバちゃん曰く,「ドーハ行きのあんたらは7番ベルトから出すから待っとき.ドバイ行きの君は付いてきて.フォローミー」と,なかなか素敵な対応であった.ドバイ行きのS先生とはここでサヨナラである.

7番ベルト前でしばらく待っていると,はたして,我々の荷物が流れてきた.これで,とりあえず預け荷物問題は解決した.ぼーっと待っていただけでは荷物が出てくることはなかったわけで,コミュニケーションの大切さを実感する.

次は,代替便の手配である.思えば,初めて海外旅行をしたときに,ローマから出る帰りの便がストライキで3時間遅延し,どこで乗り継ぎだったか忘れたが日本行きの乗り継ぎに間に合わないということがあった.

そのときは,地元に住んでいるという日本人のお姉さんが助けてくれて,イタリア語で窓口と交渉してくれたのである.急遽構成された日本人団体様十数名御一行は,アリタリア航空が手配してくれたホテルに送られ,翌日の便で無事に日本に戻ってこられた.そのときの話も面白い話があるが,今回とは全く関係ないので割愛する.

その経験を活かして,とにかく交渉だ,今回は自分でなんとかするぞぅ!と意気込んではみたものの,どこに行けばよいのか,まず,それがわからない.

とにかく乗り換えカウンターかチェックインカウンターか,出発ロビーに行くべきだろうと上の階に上がってみる.インフォメーションがあったので,カタール航空のカウンターはないか?と聞いてみたら,カタール航空のサービスカウンターが向こうにあるからあっちに行けとの回答を得た.

向かってみると,たしかに,ポツンと一つ.カタール航空のマークが出ているカウンターがある.しかし,客が列をなしているかと思えばそうでもない.どういうことだろう?

その答えはすぐにわかった.カタール航空サービスカウンターのおネエさん,とにかく塩対応なのである.

「ドーハ行きの便がキャンセルになった.バンコクに帰りたい.どうしてくれる?補償は?」などと粘ってみるも,「ここでは何もできない.メールが来るからそれで対応しろ」の一点張りなのだ.「荷物ピックアップした?」とは聞かれたので,そのあたりのケアはしてくれるらしい.しかし,その問題について,我々はすでに自力で解決済みである.

いやはや困った.埒があかない.これはいよいよ自力でなんとかしなければないのか?我々の運命やいかに?

写真はハニア空港にあった観光案内のインスタレーション.私も持っているキネクト互換品のセンサーが設置されていて,ジェスチャー操作でコントロールできるようになっている.が,とにかく使いづらいことこのうえないし,操作していると疲れる.とにかくジェスチャーコントロールみたいなことをやってみたかったんだろうな.担当者の気持ちはよくわかる,でもなあ……という案件.

続きます.

バンコクに帰れなくなった件(お気楽クルンテープ通信 No. 45)

今回は少し番外編という気もするけれど,記録のために顛末をしたためておこう.いまこの文章を書いているのは東京の自宅である.一時帰国する予定はなかったのだが図らずもいったん日本に戻ることになってしまった.

本来は3月1日の日曜日にバンコクに戻るはずだったが,3日のいま,東京にいる.明日の講演会にバンコクからオンライン登壇で参加する予定だったところを,急遽,現場でのリアル参加に切り替えた.その仕事を終えてから,バンコクに戻る予定である.

なぜそんなことになってしまったのか.ことの経緯はこうだ.

2月25日から27日まで,ギリシャはクレタ島のハニアで開催された国際会議EIDWT 2026で研究成果の報告をする予定があり,24日にバンコクを出発した.安めの便を選んだので,ドーハ経由の深夜便でアテネまで飛び,そこからハニアに渡るという強行軍ではあったが,行きは無事に移動できた.

国際会議は順調に行われ,自分の発表もつつがなく終了,座長を担当したセッションではオンライン発表2件がノーショウというアクシデントに見舞われつつも,少し早めに終わらせた以外は問題なく進められた.基調講演や他のセッションでも前向きに質問をしたし,レセプションやバンケットでは人的ネットワークの構築にも勤しんだ.それなりの金額を支払って参加しているのだから,チャンスは積極的に利用すべきだ.

さらに,会議の様子が地元の新聞で報じられ,そこに掲載された写真にデカデカと映り込んでしまうなどの微笑ましい出来事もあり(写真),27日までの予定は無事に終了した.

帰りの行程は比較的余裕をもって取っていたので,28日,ちょうど正午前後にハニア空港でチェックイン,スーツケースを預け,午後の便でハニアからアテネに飛ぼうとした.事件が起きたのは,そのアテネ行きの便を搭乗ゲート前でボーッと待っていたときだ.

事件とはなにか.米軍・イスラエル軍のイラン攻撃である.

アテネ行きの便を待っている間,メールをチェックしたら,カタール航空からメッセージが届いていた.曰く,「Flights have been temporarily paused due to the closure of Qatar's airspace.」(カタールの空域が閉じられたためフライトは一時的に停止しています)とのこと.空域が閉じられたので停止?どういうこと?

そのうちに,カタール航空のアプリ経由で,ドーハ行きの便がキャンセルされたことを知った.米国とイスラエルがイランを空爆したニュースも入ってきた.まったく,余計なことをしてくれたもんだ.迷惑千万である.

同じ会議に参加していた関係者で,被害を受けたのは自分を入れて3名.同じカタール航空便でドーハに向かうK先生と私,および,エミレーツ便でドバイに向かうS先生である.ドーハ便が欠航になっただけでなく,ドバイ発着の飛行機も軒並みキャンセルになっているらしい.

とりあえずアテネまでは行けるので,そこで考えようと,皆は飛行機に乗り込んだ.

余計なことをしでかしてくれた米国,イスラエルのとばっちりを受けた3名の運命やいかに?我々は家に帰れるのか?はてさてどうなる?(続く)