2020年6月27日土曜日

オンライン講義の味気なさ再考

昨日,とあるオンライン研修サービスの収録があり,カメラの前で2時間ほど喋る機会があった.オンライン講義の実施で,カメラの前で喋る機会は突然増えたとはいえ,ちゃんとした収録は久しぶりだったので緊張してしまい,ときどき,細かな失敗を積み重ねてしまったのは恥ずかしいことではある.しかし,おおむね楽しく収録を終えることができた.

一方で,オンライン講義に対する不安の声をたくさん聞く.実際に私も自宅から配信するオンライン講義には味気なさを感じることも多い.この差はなんなのか?あらためて考えてみた.

自分の声が伝わっているか問題

学生の顔出しNGのオンライン講義での最大の問題点は,やはり,こちらの情報発信がきちんと伝わっているのかどうか分からない,あるいは,不安がある,という点だろう.ひとりふたりでも顔出ししてくれれば,反応が分かるのでずいぶん気持ちが楽になる.それは以前に指摘したこともあるし,他の先生方からは「相づち君」といって相槌を打つ係を決めるなどの工夫をされているというご指摘もあった.

オンラインミーティングシステムの最大の課題はそれかもしれない.音響環境の問題からミュートにすることを求められる状況も多かろう.そうすると「なんか喋ってるみたいですけどミュートになってますよ」問題が発生する.外的な騒音がなければ本来はミュートは必要ないはずで,原理的には内部で出力キャンセルの回路が入っていればハウリングは起こらないはずだが,現実にはいろいろと難しいところもあろう.いずれにしても,ミュート問題で「自分の声が届いていない」という体験をさせられている以上は,それなりに不信感を抱かされるのはやむを得まい.

一方で,録画コンテンツの収録だと自信を持って話をすることができる.プロによる収録だけでなく,自宅で,自前で動画コンテンツを作成するときでも心理的な障壁は変わらない.それはなぜだろう?と今回つらつら考えてみた.

この解は実に簡単なものだ.それは「収録動画は必ず学生(視聴者)に届く」という安心感によるものである.プロが編集するものであれば確実,自前のものであっても自分で再生してみればよい(恥ずかしいが)だけでこの課題はクリアする.それが大きな違いだろう.

収録を意識した講義動画と講義を(たんに)収録した動画は違う問題

以上の考察とは別に,収録を意識して話をした動画と,講義で話をするのを後から収録した動画では,そもそも価値が異なるという話にも言及したいところではある.対面授業とオンライン授業のハイブリッドとかいう暴論もちらほら.しかし,話が発散してしまうので,それについては稿を改めて論じたい.

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