2022年1月6日木曜日

歩きスマホの是非

世の中では今のところ「歩きスマホはダメ!ぜったい!」ということにされているようである.しかし,歩きスマホは本当に絶対悪なんだろうか.実は人間の能力はそれほど危ぶむほどでもなくて,器用に問題を避けることができているからこそ,皆,歩きスマホをしてしまうのではなかろうか.

本稿は,歩きスマホを肯定するという意図があるわけではなく,純粋に,新しい技術に対する倫理観をどう考えればよいか,というニュートラルな観点で,問題提起をしてみたい,というものである(←炎上防止への布石).

歩きスマホを支援するツール?

話のきっかけは,駅で次のようなポスターを見かけたことに遡る.そして,このようなポップアップが出るようなアプリを仕込んでおけば,歩きスマホ,問題ないのでは?と思ってしまったのだ.ほとんどのスマホでは,後ろにカメラが付いていて,歩きスマホしている人たちはスマートフォンを地面に対してやや斜めに持っているはずだから,前方の様子がわかるはず.つまり,技術的には,前方の様子を察知して警告を出すようなアプリを作れば,歩きスマホでも問題ないのではないだろうか?と考えたわけである.

SNSでこっそり周囲の人に聞いてみたところ,その人にとってはそれでよくても,周りが察知できず不安になるからダメなのだ,という意見をいただいた.そうかなあ.歩きスマホしている人は,基本的に真っ直ぐ進んでくるだけのはずなので,かえってわかりやすくないかなあ,などと考えるのだが,それは天邪鬼なんだろうか.

警告が出た後でどう挙動が変わるか予測ができないのが怖い,という意見もいただいた.「止まれ!」ではダメなのかな.その話の流れで,航空機や船舶だとぶつかりそうになったときはお互いに左に回避せよというルールがあるので,歩行者がそんな簡単なルールを守れないのはなんだか社会的な不備なんじゃないかなという考えにも至った.向こうから来るひととぶつかりそうになったらとにかく左に寄れ!という習慣が身に付いていれば,同じ方向に避けることを繰り返して最後はぶつかりそうになるというコントみたいな状況(よくある)も避けられるのに,なんでそんな単純なことができないんだろう?

目的と手段を履き違えてないか

指摘したいのは,「ぶつからないこと」や「階段やホームの端から落ちないこと」がゴールであって,「歩きスマホをしないこと」は,あくまでその手段,つまり,ゴールではないということである.目的と手段を履き違えるという状況はしばしば起こりがちなんだが,歩きスマホにしても,そうなっているんじゃないかな?という気がしてならない.もし,そのゴールを到達できるような解があり,歩きスマホは問題ないということであれば,歩きながらスマホでいろいろなことができるので,それはそれでハッピーなんじゃないか?(だからといって,現状の歩きスマホを肯定しているわけではないので,ゆめゆめ誤解して炎上させぬよう,お願いしますよ!)

調べてみると,歩きスマホについては,それなりに研究されていて論文もいくつも出ている.「texting while walking」というキーワードで調べると,世界的にも研究例が見つかる.そのうえで,それらの研究が歩きスマホに関する倫理観をどう捉えているのかを,いちど整理してみると面白そう…… なんて,考えちゃったわけですよ.年明け早々,なにやってんだか.

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