2025年11月19日水曜日

タイの交通事情(お気楽クルンテープ通信 No. 12)

先週の木曜日から週末にかけて,タイ最北部に位置するチェンライに出張してきた.Thai Association for Applied Linguistics (TAAL)という学会に参加し,我々がやっているプロジェクトを報告するためである.

しかし,そもそも私のバックグラウンドとは全く異なる学会で,完全なる他流試合である.さらに,この学会は今回が2回目というまだ始まったばかりの学会,タイ人ばかりなのかなと思いきや,中国やフィリピンなど,けっこう近隣諸国からの参加者がいたのには驚いた.欧米人もちらほら.日本から参加した日本人は私以外にいたのかな.日本からの参加者といえば,たまたま,東京大学で英語を教えているS先生と昼食をともにした.ただし,彼はイギリス人.

さて,学会の会場はチェンライもさらに北の外れにあるメーファールアン大学だった.チェンライ市内から続く国道を30分ほど北上する.国道に面した入口の信号を右折,森の中に延々と続く緩やかなカーブをしばらく進むと,立派な広場と建物がどーんと現れる.1998年に設立された大学だそうで,比較的,新しく美しいキャンパスだ.現代的な建物が並んでいる.

郊外型の大学で開催される学会で困るのは,そこに行くまでの足をどうやって確保するか.レンタカーを借りるというのは一つのよい解ではあるが,今回,出国前が慌ただしかったせいで国際免許を取ってこられなかった.最近はGrabなる便利な配車サービスもあるが,タクシーみたいなものだから,毎度毎度Grabというのも気が引ける.

たまたま,今回は,同じプロジェクトに参加している,ナコンパトム在住のT先生もその学会で発表した.彼は自宅からチェンライまで車で来ていたので,毎朝,チェンライ市内のホテルに宿泊している私をピックアップしてくださった.ありがたい限りである.

実はこれまでにも何度か彼の車に乗せてもらったことがあり,いぶし銀……といえば聞こえはよいが,かなりの年季が入った骨董品,つまり相当に古い,まあ,よく動いているなというシロモノであった.ところが今回,さっそうと現れたのは新車のピックアップトラック.実にかっこいい車で,助手席に乗ったら新車の匂いがした.

そんなおニューの車で聞いた,タイの交通事情をいくつか紹介しよう.

チェンライに着いたその日の夜は,彼に誘われて近郊のレストランで夕食を共にした.そのレストランまで車に乗っていき,駐車場がいっぱいだったので路上駐車することになった.路肩をみると,赤と白の縞模様になっているところと,黒と白の縞模様になっているところがある.

黒と白の縞模様になっているところに車を停めた彼は,ここは駐車してよいゾーンなのだと説明した.赤と白は駐車禁止のエリアで,黒と白は駐車可,なんだそうだ.なお,ホテルの玄関あたりは黄色と白の縞模様だった.その意味を聞きそびれたのであとで調べてみたところによれば,黄色と白は,荷物の積み下ろしのための停車は可,というものらしい.

タイは日本と同じ右側通行なので,レンタカーを借りてドライブするのも楽そうに思える.ただし,バンコク市内は渋滞がひどいので,難易度は少し高そうだ.東京で外国人が運転するのは難しい,とくに首都高は難しいだろうな,というのと同じかも.

赤信号でも右から車が来ていなければ左折してよいというのも教えてもらった.これは米国と同じルールである.米国は逆方向だけれども.日本では「左折可」の標識があるところのみ,左折できる.どこでも左折可にしておいて,危なそうなところだけ左折禁止にしたほうが合理的だと私は考えるが,日本は安全側に倒しすぎるきらいがある.

タイでもグローバル化が進んでいるので,メルセデスやらBMWやら,外国からの輸入車はけっこう走っている.バンコク市内ではときおりポルシェも見かける.こないだはフェラーリだかなんだか,めちゃくちゃ高価そうな車を見かけた.T先生いわく,これらの外車は関税が300パーセント掛けられているそうだ.もともと高価なのに.タイも格差社会なのだろうか.お金持ちはどこにもいるなあ.

一方,街には日本車,とくにトヨタが溢れている.トヨタだってタイからみれば外車じゃないのか?そう,外車である.しかし,これらの車には300パーセントという法外な関税は掛けられていないので,安く購入できる.なぜか.それは,こちらに大きな工場があって,タイ国内で生産されているからである.

また,ベトナムの街ほどではないが,バイク,スクーターもぶんぶん走っている.しかも,かなりの確率でノーヘルライダーを見かける.ベトナムでは2007年にヘルメットが義務化されたが,タイはまだよいようだ.マイペンライ.写真はチェンライ郊外で見かけたノーヘルライダーズの二人乗り.KMITLの学内でも,学生たちが似たような様子で走り回っている.

2025年11月16日日曜日

Geminiとの対話

SNSを見ていたら,スマホでテキトーな自撮り写真をGeminiに投げて「高級感あるポートレートにして」というとカッコいい写真に仕上げてくれるよ!という投稿を見た.へー,さっそくやってみよう,と,いろいろ試行錯誤した結果が以下である.コメントはしないので,対話の様子を味わっていただきたい.最後びっくりするよ.
























2025年11月11日火曜日

続々・散髪してきた(お気楽クルンテープ通信 No. 11)

スクンビットに散髪に行った話を書きたかったのに,昔話を長々と引っ張ってしまった.二度めの海外での散髪体験は,1998年,米国,ニューメキシコ州のサンタフェに滞在したときのことである.

当時,世間では,複雑系,Complex Systemsという理論が,なんとなく流行っていた.映画ジュラシックパークでジェフ・ゴールドブラムが演じる数学者,イアン・マルコムの研究テーマがカオスだったことをご記憶の方もいらっしゃるだろう.香港で蝶々が舞うとアメリカで原発事故が起こるという,壮大な「風が吹けば桶屋が儲かる」理論たるバタフライ効果というキーワードを耳にしたことがある方も多いに違いない.

その複雑系の総本山と呼ばれていた組織が,サンタフェにある,サンタフェ研究所である.そしてサンタフェ研究所が複雑系のサマースクール,Complex Systems Summer School(以下,CSSS)と題した研修を実施するニュースを耳にした当時の私は,会社を騙くらかして,もとい,当時勤めていた会社には中島奨学金という素晴らしい制度があったので,それを利用してCSSSに参加することになったのだ.

98年のCSSSには,世界15カ国から,多くの参加者が集まっていた.今から思い返すと,夢のようなひと月だった.当時,私とタッグを組んで研究レポートを仕上げた盟友ともいえるDくん,彼は地元からの参加者だったが,今ではコロラド大学の立派な教授になっている.懐かしい想い出である.

CSSSはサンタフェ大学で実施されたので,大学の寮に寝泊まりして参加することになった.カフェテリアの食事は美味しかった.標高2,000メートルという内陸の高地ゆえに空気が乾燥していて鼻血がよく出た.リオグランデ川やロッキー山脈など,ちょっと郊外に出ると壮大なスケールの自然に恵まれたとても美しい場所だった.プエブロの文化が残っていて今でいう多様性の先端をいっていた.このときの想い出もたくさんあるが,壮大な脱線話はすでに散々してしまったので,またの機会にということにしよう.

散髪の話題である.

ひと月あまり滞在していれば,当然,髪は伸びる.鬱陶しくなってきた私は,キャンパスの隣にあるショッピングモールに入っていた床屋で髪を切ってもらった.このときのやりとりはほとんど覚えていない.おぼつかない英会話でも,きちんと髪を切ってもらえてよかったな,くらいにしか印象が残っていないのは残念である.

ところで,サンタフェ大学は2009年に経営破綻し,その後,サンタフェ芸術デザイン大学として再建された.ところが,2018年に再び財政難で閉校の憂き目にあっているらしい.しかしながら,当時のキャンパスはまだそのまま残っていて,Googleマップによれば,政府機関などが入っているようだ.ただし,あのとき髪を切ってもらった床屋は特定できなかった.残念.

なお,サンタフェといえば,篠山紀信が宮沢りえを撮影した写真集「Santa Fe」を思い出す方も多かろう.当時,度肝を抜かれたものだ.ひと月も休んで海外の研修に送り出してくれた上司や先輩方からは,「あの扉を探してこい」と命令されていた.週末の休みにはダウンタウンへ繰り出していろいろと遊んでいたのだが,さすがにあの扉は見つけられなかった.聞くところによれば豊島園に貸し出されていたとか,いなかったとか.

さて,昔話をぐだぐだと続けてきてしまった.やっと,バンコクの話題に移る.ここまで長かった.すまぬ.

とにかく伸び放題の髪がうっとうしかったので,安くて外国人でも入りやすい床屋がスクンビットにある,という情報を事前に仕入れていた.一時期に日本から千円カットの進出していたが撤退し,その後は地元資本の床屋として残った店があるとのこと.千円カットを受け継いでいるので,カット代は200バーツ,千円くらい.そして外国人の多いスクンビット地区なので,英語も通じるんだと.

さすがに,タイ語しか通じない床屋で髪を切ってもらう勇気はまだない.なので,日曜日の午後,散歩がてらスクンビットまでふらふらと歩いて,散髪してもらいに出かけた.

スクンビットの地下街,メトロモールにその店はあるとの情報だけを頼りに,探してみたら,床屋があった.しかし,名前がなんだか違う.カット代は500バーツとある.あれー?調べた情報と違うぞ.

迷っていても仕方がないので,まあいいかと,意を決して入ってみた.ちなみに,調べた店の名は「Easy Cut」.見つけた店は「Limit Cut」.オープン時間も情報では9時からやっているはずだが,この店のオープンは11時からとなっている.朧げな記憶のなかでは,そうだったっけかなあ?くらいに感じる微妙な違い.

以下,やりとりは全て英語である.

予約があるかどうか聞かれたので,「ない」と胸を張って答える.でもすぐにやってくれるらしく,椅子に座れと促された.

待っているとしばらくして若いお兄ちゃんがやってきた.「今日はどうしますかー」みたいなことを尋ねられるので,「周りはトリムしてね」と答えた.ちなみに日本語の「刈り上げ」は英語でトリム(trim)という.トリミングのトリムである.学校で習う?習わないよね.でも生活では大事な単語だ.他にも「洗剤」とかね.ディタージェン(detergent)って学校で習った記憶がない.私はサンタフェの寮生活で教えてもらった.まあ,それはともかくとして,そのとき,謎のワードが出てきて,私は固まってしまった.

彼は,「No. 1?No. 2?」と尋ねてきたのだ.なにそれー?

ジェスチャーから察するに,バリカンの深さを問うているようにみえる.No. 1のほうが長めのような手振りをしているので,じゃあNo. 1で,と答えたのだが.

帰宅してから調べてみたところによれば,タイでは,No. 1から順番に番号が大きくなるほど長めに揃える,その長さ具合を番号で示すということらしい.No. 1は3ミリ,No. 2は6ミリのバリカンなんだとか.違うじゃん.

まあ,結果オーライ.さっぱり整えてくれたのでヨシとしよう.500バーツ取るだけあって,仕事もかなり丁寧だった.千円カットではやってくれない産毛剃りもしてくれた.千円カットと比べて倍以上の値段,といってもたかがしれているが,久しぶりのきちんとした理髪店で,代金に見合うサービスだったと満足である.

Easy Cutを探す楽しみは残されているが,次もまたここに来ようかな.

2025年11月10日月曜日

続・散髪してきた(お気楽クルンテープ通信 No. 10)

ジプシーの被害にあったOくんたちを警察に残して,勝手に床屋に来たという話の続きである.

ふらっと入ったその床屋は,日本でもよくありがちな,家族経営の,いかにも街の床屋さんといった風情の店だった.ドアを開けると,店のお母さんが出迎えてくれた.以下,カタコトのフランス語を交えての,基本的には英語でのやり取りである.

言葉でのコミュニケーションがおぼつかないため,最初はヘアカタログを見せられながら,指差し確認しつつのボディランゲージ混じりで,どうする?こうする?というやりとりをしたかな.そのあたりの詳細はもう覚えていない.しかし,「お父さんが上でランチを摂っているから,終わったらお父さんに髪を切ってもらいなさい」とお母さんに指示され,ちんまりとソファに座って旦那さんが階段から降りてくるのを待っていたシーンは記憶に残っている.

やがて旦那さんが2階から降りてきて,髪を切ってくれた.どこから来たんだ?日本?ずいぶん遠いところから来たね.そんな話をしたような気がする.

面白かったのは,ここから.

こんなマルセイユの片隅にある家族経営の床屋に,東洋人なんかがふらっと入ってきたなんて,これまでそんなことはなかったのだろう.洋の東西を問わず,噂はすぐに広がるものである.なんか変なやつが来てるぞ?と,近所の人々が集まり出したのだ.

と同時に,店のなかでは,お父さんによるフランス語講座が始まっていた.ボンジュールから始まって,簡単な挨拶など.大学の1, 2年次に教養の第二外国語でフランス語を習っていたので,こちらも多少はわかる.なんとなくいいテンポで,髪を切りながらのフランス語講座は続く.

そこに近所のマダムがやってきた.

お父さん:挨拶しなさい 
私:メルシー
お父さん:ノンノン,「メルシー,マダーム」だ 
私:メルシー,マダーム
お父さん:トレビアン!

こんな調子である.

また,その床屋には年頃の娘さんが二人いた.当時の私とちょうど同世代,少し下かな?というところ.姉がアニエスで妹がソフィー.コケティッシュな顔だちのアニエスと,往年のソフィー・マルソーを彷彿とさせる美貌のソフィー.どちらも可愛らしい姉妹だった.

お父さんが,「うちの娘たちは東洋に行ったことがない.日本に連れていってくれないか?」と冗談を飛ばしてきた.どちらも可愛らしいのだが,どちらかというとソフィーがキュートだと思った私,しかし,妹がいいとダイレクトに伝えると,後々,家庭争議のもとになりかねないのではと,まったくもって余計な忖度をした末に,私はなんと答えたか.

「どっちも可愛いんだけど,選べないから両方と結婚させてもらえないか?」

もちろんお父さんの答えが強い口調で「ノン!」だったことは語るまでもなかろう.

時は飛び,2007年にマルセイユに出張する機会があった.たまたま週末を挟んでいたので,日曜日,忙しい出張スケジュールのなかで珍しくゆっくりできた私は,「そういえばあの床屋,まだあるかなあ?」と,当時の朧げな記憶を辿りつつ,たしかこのへんだったよなと探してみた.

結論からいうと,床屋は見つからなかった.店を畳んでしまったのかもしれない.私の記憶が曖昧すぎたのかもしれない.たしかカステラーヌという広場から斜めの路地を入っていったところだったはずだが,いくら探してもなかった.

ソフィーとアニエスはいまどうしているだろう.会わないほうが幸せということもある.なにしろ記憶のなかの彼女らは,フランス人形のように可愛らしいのだから.

想い出を語り過ぎて,なかなか二度めの散髪に至らない.海外で体験した二度めの散髪と,スクンビットでの散髪の話は,次回に続く

今日の写真は,スーパーで見かけた日本酒.「獺祭」を売っていた.けっこういいお値段しますなあ.一本,8千円弱といったところ.

2025年11月9日日曜日

散髪してきた(お気楽クルンテープ通信 No. 9)

日本を出たときからずっと気になっていたことがあった.髪が伸びて鬱陶しいのだ.散髪に行きたい.髪を切ってもらいたい.

こちらに来る前に散髪してくればよかったのだが,いろいろと忙しく,心に余裕がなかったので床屋に行けなかった.髪が鬱陶しいなあという気分を引きずったまま,もう3週間も過ぎてしまった.

というわけで,今日は,日曜日で休日ということもあり,散髪に出かけた.

海外で髪を切ってもらったのは,これまでに二度ある.今回で三度めである.最初の経験は,1994年,初めて海外旅行に行ったときのこと,南仏はマルセイユで,床屋を訪れた.

修士課程を終え,社会人になる直前の春休み,卒業旅行という名目で友人たちと5人でヨーロッパを訪れた.行きと帰りの航空券,最初に訪れるパリの宿だけを手配し,あとは次の街へ移動してからインフォメーションで宿を探すという,気ままな行き当たりばったりの旅行だった.「俺はどこそこに行きたいから」というメンバーがいれば,「じゃあ三日後の何時にどこそこ駅の中央改札前で集合ね」と,トマスクックの時刻表に掲載されていた主要駅の構内図を指し示しながら,別れたり合流したりという,いかにも学生の旅らしいとても自由な旅だった.

今から思えば,インターネットはあったもののまだ一般には普及しておらず,また,スマートフォンなどない時代,現代のように情報に簡単にアクセスなどできない時代だった.ましてや気軽にAIに頼るなど想像すらしなかった時代.そんな状況で,よくもまあきちんとしかるべき時間と場所で落ち合えたと感心する.

という意見をいつぞやの忘年会のときに懐かしいねなどと言いながら開陳したところ,「俺はいつも待ってたけどね」と某Iくん.待たせたほうは,そんなことはついぞ忘れているというご都合主義であった.

それはともかくとして,そんな旅の途中,パリからTGVで移動してきたマルセイユで,散髪に行った.

今でもしっかりと覚えているのは,その日が火曜日だったということだ.なぜ覚えているかというと,実はその前日にも床屋に行こうとしていたが,月曜日で休みだったのである.ああ,日本と同じで月曜日が休みなのか,と残念な思いをしたことを覚えている.

それで,火曜日に散髪に行ったわけだが,訪れたのはちょうどお昼時であった.それにはこんな経緯がある.

その日,観光に出かけようとホテルを出た我々は,朝から思いもよらない災難に襲われた.同行の友人Oくんが,路上でジプシーに襲われたのである.集団で寄ってきたジプシーの子供達が新聞紙で周りを囲み,あたふたしているすきにウエストポーチに入れておいた貴重品をごっそり盗まれるという典型的な手口だった.

犯行後,彼ら彼女らは散り散りに逃げていく.ほうほうのていで一人捕まえた女の子は,私は何も持っていないとばかり,着ていた服を全て脱ぎ捨て,パンツ一丁になって両手を挙げて路上で突っ立っている.女の子とはいえ少女から大人になりかけで,学校に通っていたとしたら中学生くらいだろうか,見ているこちらが目のやり場に困ってしまう.

その後,その場でどうしたかは忘れてしまったのだが,のちに警察で事情徴収をされたときに,我々,目撃者は「14歳(fourteen)くらい」と全員が主張したが,動転おさまらぬOくんは「いや40(fourty)だ」と主張して憚らないシーンがあった,などというしょうもないことはなぜだかくっきりと覚えている.

財布やらクレジットカードやら大切なものを盗られてしまったので,意気消沈するOくんをなだめすかしつつ,「とにかく警察に行こう」ということになった.何時頃訪れたかは正確には覚えていないが,午前中,窓口に行き事情を話していろいろと調書を取られた.そして,11時を過ぎたころだろうか.「じゃあ,今からランチタイムだから.続きは午後ね」と,手続きはまだ終わっていないにも関わらず強制的に昼休憩に入ってしまったのである.ラテンの気質だなあ,と感心している場合じゃない.こちらは犯罪の被害者なんだぞ?

まったく,どうしようもない.我々は,ロビーで呆然と待つしかなかった.そのときに,ふと閃いてしまったのである.「じゃあ俺,ちょっと散髪に行ってくるわ」と.いやはや,酷いやつもいたもんだ.警察に残された皆,とくに被害者のOくんには申し訳なかった.この場を借りて,深く陳謝します.ごめんなさい.

まあ,そんなわけで,昼休憩の時間に,前日にあたりをつけておいた床屋に向かっていったというわけである.長くなってしまったので,次回に続く

写真は「年賀状の写真に使いたいからタイっぽい自撮り写真を撮って送って」と家からのリクエストで撮影した写真の一つ.タイっぽいかな?

2025年11月8日土曜日

水にまつわるお話(お気楽クルンテープ通信 No. 8)

異文化の社会で暮らしていると,生活のなかの些細な出来事で日本のそれとは勝手が違い,戸惑うことがある.そんなちょっとした体験談を紹介したい.

まず,水のペットボトル,スーパーで買ってきた2リットルのペットボトルである.次の写真をじっくり眺めてみてほしい.何か気付かないだろうか?

注目してほしいのは,キャップの部分である.よくみると,半分濡れていることがわかるだろう.そう,水がギリギリまで並々と詰められており,溢れんばかりの状態になっているのだ.これを知らず,日本や欧米諸国でのそれのように,少しゆとりをもって水が入れられているつもりでキャップを開けると,まず,こぼす.そして最初にコップに注ぐときがとても難しい.わかっていても,たいがい,こぼす.

この銘柄だけでなく,他の2リットルの水を買ってきても同じだった.とにかく詰められるだけ詰めようという強い主張が感じられる.

短期の出張や旅行だと,小さなペットボトルに入った水がホテルの部屋でサービスとして提供されることが多い.そのてのペットボトルでも,ここタイでは,ギリギリまで水が詰められているようだ.いままでタイに来て何度かホテルの水は飲んだ経験があるけれど,ペットボトルの口ギリギリまで水が入れられているかどうかを,あまり気にしたことがなかったな.

小さなペットボトルは扱いが比較的簡単だが,大きなペットボトルは最初に水を注ぐときに細心の注意を払わないと,こぼしてしまう.私はそれになかなか慣れなかった.なので,何回か,こぼした.

それどころか,最近はもう慣れたけれども,わかっているくせに,こぼしてしまう.どうしたものだろう.

いずれにしても,タイ人なりのサービス精神なのだろうか.タイでは水のペットボトルに水が目一杯詰められていることに気をつけよう.これを知っておけば,水をこぼして難儀することもない.

次の話題は,コンビニでのひとコマである.

これまたわかりにくくて恐縮だが,次の写真には,日本のコンビニのレジカウンターには無いものが一つ,映っている.わかるかな?

ストローや爪楊枝のようなものに囲まれている中に,白い柄のようなものが見えるだろう.これは何かというと,栓抜きである.

日本では王冠で蓋をした瓶飲料を扱う機会が激減した.いま日常的に栓抜きを使って開けるものといえば,居酒屋の瓶ビールくらいだろうか.しかし,ここタイではまだ瓶飲料も多く流通している.

日本で私はガス入りの水をよく飲んでいたので,引っ越し直後にスーパーに買い求めに行った.ところが,ペットボトルで販売しているそれは,ペリエだのサンペレグリノだの,輸入品の高級なものしかない.一方,シンハーが出している庶民向けの炭酸水があるのだが,瓶なのだ.そして我が家にはまだ栓抜きがない.なので,手を出しあぐねているというところである.

今回こちらに来るにあたり,日用品を忘れずに持ってこようと気にしてはいたものの,さすがに栓抜きは気付かなかった.爪切りは必要だろうとしつこく考えていたら,スーツケースのなかに一つ,ショルダーバッグのなかに一つと,二つも持ってきてしまった.しかし,耳かきを持ってくるのを忘れた.栓抜きも,持ってこなかった.なかなか難しいものである.

話がおおいに脱線してしまったので元に戻そう.コンビニのレジカウンターに,栓抜きが置いてあった話である.

コンビニでレジの列に並んでいたときのこと.隣のレジに並んでいたお兄さんが,瓶飲料を差し出した.会計を済ませた後,彼はその栓抜きを取り上げ,瓶の栓を開けた.ああ,いまここで飲むんだな,と思いきや,すかさず,開けたその王冠で再び蓋をしたのである.

あまつさえ,蓋をしたその瓶をポケットに入れて,颯爽と去っていった.そういう使い方するんだ!

たしかに,一度,栓抜きで開けた王冠なら,後から手で開けることだってできそうではある.しかし,そんな閉め方して,こぼれたりしないんだろうか.日本だと考えにくい出来事で,ちょっと驚いた.

2025年11月5日水曜日

学生発表会に参加(お気楽クルンテープ通信 No. 7)

今日は朝から学生の発表会に参加した.先日,F先生から「水曜日に学生の発表会やるので,もしよかったら来てねー.いつ来ていつ帰ってもいいから」と言われていた.なんとなく聞きあぐねて何時に始まって何時に終わるかもわからず,とりあえず場所だけ聞いておいたので9時過ぎに行けばええかな?と気軽に考えていたイベントである.

今朝はラカバン駅発8時50分の列車が53分ころに来た.3分遅れ,優秀だなあ,それで,大学に着いたのは9時10分ころ,とりあえず部屋に荷物だけ置いて教室に行ったら,発表会はもう始まっていた.

この学生の発表会とは何か.どうも,3年生が夏から今頃にかけて,提携している企業にインターンに出かけていって,そこで何をしているのか,あるいは,何をしたのかを,先生に報告する発表会ということらしい.

これが,とっても面白かった.入れ替わり立ち替わり,どこそこの企業に出向いてどういう内容をやった.こんなことを学んで,こんな成果が出ました.または,あと1ヶ月でこんなことを実現します.などなど.そんな発表会である.

発表は,皆,タイ語で説明するので細かいところはよくわからない.しかし,テーマや内容はほぼ私の守備範囲である.やれ,UXだのUIだの,あるいはAI応用だシステム開発だ.細かな内容もなんとなく聞いたことのあるような話が多い.

FigmaでデザインしてReactでフロントを実装しました.バックエンドはNode.jsです,CSSはtailwindcss,データベースはMySQLを使っています,云々かんぬん.Streamlitでプロトタイプを実装しました.うんうん,うちの学生も似たようなことやっているよ.どこかで聞いたことがあるキーワードだなあ.それこの前にゼミで学生がコメントしてたやつだっけ,みたいな.

日本にいるうちの学生たちと交流させたいなあ.日本がITで先んじてるなんて自惚れるなよ?タイの学生も頑張っているぞ?いや,こっちの学生たちのほうが,うちの連中より先進的なことやってるんじゃないの?という印象を受けた.交流させたら,とてもいい刺激になるのではなかろうか.

なにより,私が参加することが事前に知らされていたのかどうかは知らないが,資料が英語基調で作られていたので理解しやすかった.といっても,スライドのタイトルが英語で書かれているとか,その程度だが.しかし,IT系なのでキーワードは全て英語である.図版やプログラミングのコード例などはそのまま見て分かるので,タイ語のプレゼンテーションであっても,なんとなく,「何をやったのか」くらいは問題なく理解できる.

そして,学生たちは,ほぼ全員,発表が終わったタイミングでF先生ほかの指導教員に促され,英語での簡単な説明を私に対して追加してくれたのである.しかも,それを受けて私がコメントしたり質問したり,質疑応答も英語で問題なく進んだ.これには驚いた.結果として,私は「ひとことコメント係」という役割を担わされることになったのだが,まあ,それは,マイペンライ.

皆さん,発表する内容がかなりしっかりしていて素晴らしいなあと印象的だったものの,HDMIの接続で「画面が出ません」なんて基本的なところでトラブってたりして,それは日本の学生も似たようなものなので,こういうところに改善の余地が残されているんだなあなどと変なところで感心するひとコマもあった.ちょっとほっこりする話ではある.

発表スライドのなかで,提案するシステムをテストしているときのユーザー名として「hisoka morrow」と付けていた事例を見付けた.そういうの,見逃さないぞ?なんとなくそのキーワードが頭にひっかかったので,検索してみたら「HUNTER×HUNTER」の登場人物なのね.さすがJapanese Manga.グローバルに人気ですね.でも,なんでその名前覚えてたんだろう.「HUNTER×HUNTER」なんて読んだことないのに.自分でもよくわからない.

最後,次の写真は,発表していた学生さんのPCである.日本でもPCにシールを貼るエンジニアの皆さんはよく見かけるが,これはさすがにやりすぎじゃないの?

2025年11月3日月曜日

通勤事情(お気楽クルンテープ通信 No. 6)

なんだかんだ言ってKMITLにきちんと通勤するのは今週からだったりするわけで,まあ,先週まではこっちでの生活基盤を整えていたといえばカッコいいけれども,実態は,なんとなく漂うままに流されていたらこうなった,という感じではある.東京から持ってきた宿題が山のようにあって,それを片付けるのに必死だったせいでもある.

いずれにしてもKMITLで私のホスト役であるF先生と今日,ミーティングする予定になっていて,でも時間が決まっていなかったので「今日は朝から夕方までKMITLで仕事している予定だからいつでもいいよー」とメッセージを送っておいたのだが返事がない.それで,今朝,少し遅れたかなと9時過ぎに研究室に行ったら,いたよ.F先生が.先に来てた.

もう,なんか全てがこんな感じで,一言でいうとマイペンライなわけだが,こいうテキトーさ加減というか,ゆるさが素晴らしい.もう日本には戻れない.そんなことないか.

さて,今回は私の通勤事情について少し語ってみたい.すでに説明したようにバンコク市内のわりと中心部に近いプロンポンというエリアに居を構え,ここから郊外のKMITLに通っている.日本でもいろいろな路線を使って移動できるように,その通勤手段にはいくつか方法がある.

今朝は,遠回りだが乗り換えは2回でARLを始発から乗れて座れるというメリットがある方法を選んだ.まず,BTSでプロンポンからパヤータイまで行き,そこでARLに乗り換えてラカバンで降りる.ラカバンでSRTに乗り換えてひと駅,KMITL構内にあるプラチョムクラオ駅に至るというルートである.なお,安さと乗り換え回数の少なさを追求するなら,パヤータイからSRTに乗るという選択肢もある.ただ,このSRTがちょっと曲者なのだ.それについては後述する.

乗り換え回数を厭わなければ,BTSでひと駅,アソークで降りて地下鉄,MRTに乗り換え,これまたひと駅,ペッチャンブリーで降りてARLの最寄駅であるマッカサンに乗り換えるという手がある.SRTのアソーク駅でもいい.

ただ,乗り換えが実に面倒なのである.なぜなら,都度,切符を買わねばならないから.

MRTはVISA touchで乗れるようになったので,面倒はない.BTSも,プリペイドカードがあるようなので,そのうちそれを買っておこうと考えている.しかし,SRTはキャッシュオンリーである.しかも,SRTは,大きな駅は別として,無人駅では車内で精算.マッカサンのような都市の駅でもそれだから,まあ,自由奔放というかなんというか,まあ,要するに,マイペンライ.

そんなわけで,ドアトゥドアで1時間強の通勤である.ちょっと長いけど,そんなもんかなという感じ.ただこの感覚は,タイ人には理解し難いようである.まあ,そうだよね.東京の通勤事情が異常なのだ.23区内の自宅から多摩キャンパスに通っていたことを考えると屁でもないが,そんな感じで通っている.

で,自宅からKMITLまでの通勤,最後のSRTが鬼門なのだ.これが1時間に1本,あるかないかというチョー過疎ってる運行で,しかも,時間通りに来ない.今朝は8時50分にラカバン駅に来るはずの列車が9時に来た.帰りは,KMITLのもう一つの最寄駅であるフアタッケー駅に16時8分に来るはずの列車が,16時ちょい過ぎに来た.タイムテーブルはあまりアテにならない.

余談だが,KMITLのキャンパスはだだっ広くて,プラチョムクラオとフアタッケーという駅が構内に二つある.北大の最寄駅として,北12条,北18条,北24条と三つの駅があってみたり,東大の最寄駅が本郷三丁目と東大前と二つあったりするみたいなもんかな.

それで,まあ,今朝の通勤時,なんとかプラチョムクラオまでたどり着いのだが,そこは無人駅.しかも,改札口も柵もなにもない.みんなどうしてるんだろうと,学生たちと思しき若者たちの後についていったら,線路を歩いてキャンパスに入っていった.

若いころ,終電を逃した目蒲線で,寮に帰るために近道しようと線路の上を……ゲフンゲフン,それはともかくとして,この歳になってスタンドバイミーみたいなことをするとは思わなかったよ.

2025年11月2日日曜日

タイの先生、王妃の話(お気楽クルンテープ通信 No. 5)

タイの大学の先生方から名刺をもらうと,ちょっと驚くことがある.Assistant ProfessorやAssociate Professor,日本語でいう助教や准教授の肩書きを持つ先生方が,学部長だったり学長だったりするのだ.

日本ではまず考えにくい.うち(中大iTL)は違うけれど,日本には教授だけが教授に参加できるという大学もあるらしい.中大でも流石に行政職,学部長だのセンター長だの,いわゆる組織の長になるのは教授職じゃないといけないという暗黙のルールがある.暗黙?明確に決まっていたかも.どっちだったっけ.学則かなんかで決まってたかな.

ああ,組織のルールに無頓着なのがバレてしまった.いずれにしても,准教授が学部長に選ばれたなんて話は聞いたことがない.

それで,タイの大学ではどうなんだろう?と,AIに聞いてみた.どうなんだ?と.次はその答えからの抜粋である.

🎓 Academic Ranks vs Administrative Roles in Thailand

Academic ranks in Thailand follow a progression: Lecturer → Assistant Professor → Associate Professor → Professor. These ranks are based on academic achievements, publications, and years of service.

Administrative roles like President, Dean, or Vice President are not strictly tied to academic rank, though higher ranks are often preferred.

まず,アカデミックな職位と行政職の役割は明確に区別されている.助教と講師の関係が日本と逆のような気もするが,Lecturer(講師)から始まって,助教,准教授,教授と昇進すると説明されている.そしてそれは明確に研究業績に基づくものとされる.まあ,これは全世界でほぼ共通のルールだろう.最近の日本では実務家教い……ゲフンゲフン.

一方の,学長やら学部長やらという行政職は,より高い職位の方が選ばれがちであるとはいえ,厳密には結びついていない.なので,准教授の学長や助教の学部長が生まれるというわけだ.

へぇー.面白い.権威とかどうなってるんだろう.関係ないのかな.

閑話休題.

10月25日にシリキット王妃が逝去し,街は服喪ムードに溢れている.人々の生活はほぼ変わらず,昨夜,ハロウィンの晩は,あちこちでハロウィンパーティなんかして人々はだいぶ燥いでいたようだが,それはそれとして街のいたるところにシリキット王妃を偲ぶ掲示が出ている.

これはプロンポンにあるショッピングモールの入り口.大画面で喪に服している.

パヤータイのオフィスビル入口には記帳場が設けられていた.

大学も大々的に哀悼の意を掲げている.

コンビニのレジですらこれ.

驚いたのはこれである.街角にあるATMが,のきなみコレなのだ.識者によれば,通常は広告が出ているんだろう,それを差し替えたのでは?とのことだが.

これらのほかにも,写真はないけれど,BTSのホームドア内側にあるデジタルサイネージや,うちのマンションのエレベータのなかにあるサイネージまで,黒基調の追悼メッセージが表示されていた.ネット上でも,各種ウェブサイトにアクセスしてみると,同じような黒い画面が出てくることが多い.シリキット王妃がいかに国民から愛されていたかがわかる.

2025年10月30日木曜日

在留届(お気楽クルンテープ通信 No. 4)

3ヶ月以上海外に逗留する在留邦人は,外務省に「在留届」という書類を出さないといけないらしい.こういうの,誰も教えてくれないんだもん.初めての人はわからないよねー.

旅券法第16条の規定で,外国に住所等を定めて3ヶ月以上滞在する日本人はその住所等を管轄する日本大使館・総領事館へ在留届の提出が義務付けられているとのこと.なお,この堅苦しい表現は外務省のウェブサイトにあるFAQに書かれている文言を参考にしたのだけれど,住所等の「等」ってなんだろうな?

在留届を出しておくと,緊急事態が発生したようなときにそこに連絡が来るなんてこともあるようで,海外在留邦人の強い味方というわけだ.もっとも,政府側でも海外に出張っている邦人の実態を把握しておきたいという管理面の狙いはあるだろうが.唯我独尊,孤軍奮闘,雑草魂……反体制を気取る私とはいえそこまでマヌケではないので,こんなことで無駄に抗っても意味がない.私のプライベートな情報まで素直にまるっと差し出すことにしよう.

というわけで,在留届なるものを提出した.日本人がタイの銀行で口座を開設する際に在留証明書なる書類が必要になるらしく,在留証明書はこの在留届が前提になっているのだろう.在留届がなければ在留証明書も発行してもらえないはずだ.いろいろ調べていて在留届の存在をたまたま見つけた.見つけられてよかった.銀行口座が作れないどころか不法滞在になるところだった.ならないか.

昨今は便利なもので,オンラインで在留届の情報を提出できるオンライン在留届という制度がある.オンライン在留届のウェブサイトにあるフォームにポチポチと情報を入力し,「必須」とあるところは全て埋めたら,簡単に届出できた.あっけなく終わってちょいと拍子抜けしたくらい.

ちょっとだけ困ったのが自宅の電話番号を入力させるところ.なぜかっていうと,電話ひいてないから.携帯電話もデータ通信オンリーのe-simなので,電話番号はあるようなないようなという感じ.いちおうなんか番号めいたものは付いているのだが,音声通話はできないし.なにしろ15日間ごとに激安e-simを買いつないで凌ごうという作戦なもんだから,そもそも番号もコロコロと変わってしまう.

いまどきの通信手段は電話に限らないのだから,電話番号を求められても困っちゃうのよねー.と,愚痴をこぼしていてもしょうがないので,KMITLの先生の電話番号を入力しておいた.適当だな.マイペンライ.まあ,何かあったときは,そこに連絡が行けばいろいろ伝わるでしょう.