2025年12月10日水曜日

トイレ問題(お気楽クルンテープ通信 No. 20)

ちょいとフィリピンに出張してたりして間があいた.今回はちょっとしたネタである.尾籠な話でもあるので食事中には読まないほうがよいかも.

次の写真を見ていただきたい.男性用トイレの入り口である.ハンドタオル用のペーパータオルと,一巻きのトイレットペーパーが正面に設られており,右下に屑籠がある.トイレの構造はどうなっているか.左手前に洗面台があり,奥には小便器が二つ.タオルやトイレットペーパーが設られている壁の向こうは個室のブースが三つ並んでいる.

この写真をみて,なにか違和感を覚えないだろうか?違和感なくそのまま個室に向かったあなたは,おそらく後悔することになるだろう.

日本だったらまず有り得ないが,個室のなかに,トイレットペーパーは用意されていないのである.ここにある一巻きから必要な分を先んじて確保しておいてから,ブースに向かえ,ということらしい.

緊急事態が発生した際にトイレに慌てて向かうと,つい,忘れてしまいがちになる.アラーム発生,トイレに急行,ブースをチェック,ラッキー,開いていた.鍵閉めて,パンツを下ろして,ああ,間に合った,ひと安心.その後が問題だ.

先んじてのペーパー確保を怠ると,人間の尊厳を失うインシデントが発生することになる.

今年の春にタマサート大でとある式典に参加したときのことである.式典は2部構成になっていて,前半は偉い先生方の挨拶とセレモニー,写真撮影と休憩を挟んで後半は講演会というスケジュールになっていた.私は後半に講演を担当することになっており,前半はおとなしくちんまりと座ってセレモニーを眺めていた.

緊張していたというわけでもないのだが,前半の途中でお腹が痛くなってきた.これはやばい.いちおう貴賓席に座っていたので,ちょっと抜け出して,というわけにもいかない.なんとか頑張って,写真撮影まで,私は耐えた.

グループでのにこやかな写真撮影を終えて,私はダッシュでトイレに向かった.そのあとの顛末は,賢明な皆さんならもうお分かりだろう.まさに,先の「ひと安心」以降の展開が発生,トイレットペーパーがないことに気付き,絶望の底に沈んだのである.

スマホで同行の先生に連絡して紙を上から投げてもらおうかと考えた.オーマイガー!ポケットの中にスマホはなく,どうやら席に置いてきたもよう.残念.その手は使えず.どうしよう.

そこでふと気付いた.東南アジアでトイレに行ったことがある皆さんならご存知かもしれない.こちらのトイレには,たいがい,水道のホースが付いている.要するに手動のウォシュレットである.これでなんとかならないか.

今まで使ったことがなかったので,おそるおそるノズルを尻に向け,引き金を引くと水が勢いよく出てくる.だいぶ冷たくてヒャッとなる.お尻がビシャビシャになってしまったが,水で汚れを流してなんとか問題は解決した.その後,しばらく空冷で乾燥させ,濡れないようにと注意しながらズボンを穿いた.外でペーパーを入手し,ブースに戻る.濡れているお尻を紙で拭いて,一件落着となった.

後日,その話を学生に披露したら,インドネシアにルーツを持つMくんが「先生,それ使い方が違います」という.「あれは,水を流しながら,手で尻を洗うんです」だそうだ.なるほど文化の違いというものは,たいへん面白い.

2025年12月1日月曜日

続・猿の街へ(お気楽クルンテープ通信 No. 19)

列車に乗ってロッブリーを訪れた話の続きである.駅を降りて,祭りが行われている会場のはずの,プラ プラーン サーム ヨート(Phra Prang Sam Yot)寺院に歩いて向かった.駅からすぐである.5分もかからない.

ところが同遺跡は閑散としていた.観光客がいないわけではない.私と同様,祭りを目当てに来ているらしい欧米人ぽい観光客もちらほら,数人,歩いている.ちゃんと調べてこない,いや,調べてはきたんだが,十分な情報を得られなかった粗忽者が私の他にもいた!と思うと安心する.

どうも,今年は,数ヶ月前に猿たちの大量捕獲をやったらしく,祭りも中止になったらしかった.なんたること.それでも,路地裏には生き残っていた猿たちがいて,ああ,やはりここは猿の街なんだと,わざわざやってきた自分を納得させたのであった(写真).もうそれで満足である.

そんなわけで,祭りの賑わいは体験できなかったが,かえって静かに観光できたのは良かったのかもしれない.プラ プラーン サーム ヨートで観光チケット200バーツを購入,ふらふらと街を散策してみることにした.

なお,プラ プラーン サーム ヨートを観るだけなら50バーツである.というか,外から観るだけで十分と思われ,拝観料を払う必要もないかも.

200バーツのチケットを買うと,プラ プラーン サーム ヨートの他に,ワット プラ シー ラタナー マハータート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat),クライソンシーハラート宮殿(Kraison Siharat Palace),バーン・ウィチャエーン(Wichayen Residence)に入場できる.クライソンシーハラート宮殿はかなり離れた位置にあったので断念したものの,残りの三つは歩いて回れるエリアにあるので散策することにした.

今回は,プラ プラーン サーム ヨート,バーン・ウィチャエーン,ワット プラ シー ラタナー マハータートの順番に回った.

バーン・ウィチャエーンからワット プラ シー ラタナー マハータートに向かう途中,市街地を通り抜けていくと,テーサバーン1市場というマーケットがあるエリアがある.このエリアは街全体が露天市になっていて,とても活気がある.何かを買わないまでも,そぞろ歩きするだけで楽しかった.

ワット プラ シー ラタナー マハータートも,観光客はほぼおらず,ゆっくりと時間だけが流れていく感じを体感できる.天気もよく,ゆったりとした時間が素晴らしかった.

ワット プラ シー ラタナー マハータートは駅前にある.アユタヤ王朝に思いを馳せる時間を堪能し,駅に向かうと,ちょうど10:56発バンコク行きの列車が来るところだった.帰りは座席指定なし,28バーツ.日本円にして100円ちょい.タイ国鉄は貨幣価値の感覚を狂わせる.

往復5時間,滞在わずか1時間のショートトリップではあったが,十分に堪能した.ロッブリー,いいとこですよ.

猿の街へ(お気楽クルンテープ通信 No. 18)

週末を利用して,ロッブリーという街に行ってきた.バンコクから列車で2時間くらいの地方都市である.

ロッブリーは,アユタヤ王朝時代に第二の都市として栄えた街として知られている.が,今では猿に占拠された街というほうが有名なのではなかろうか.日本は最近,熊が街まで降りてきていろいろ事故が起きているらしい.一方,ロッブリーは野生の猿,カニクイザルが街を占拠してたいへんなことになったことで世界に知られた街なのである.

そんな猿たちに果物や野菜やらをビュッフェ形式で提供する祭りがあると聞いて,タイ滞在中にぜひとも訪れてみたいと,かねてから考えていたのだ.その祭りは11月最終週の日曜日に行われるという.奇しくも昨日は11月30日の日曜日.いてもたってもいられず,朝イチの列車に乗って,ロッブリーを訪れた.

バンコクからロッブリーに行く列車は1日に数本出ていて,一番列車は111便,クルンテープ・アピワット駅を7:30に出発する.朝のクルンテープ駅は閑散としていたが,乗り場前の待合場所は乗客で賑わっていた.

バンコクの中央駅といえばファランポーン駅が伝統のある中央駅である.対して,バンスー駅,改め,クルンテープ・アピワット駅は,将来,チェンマイに至る新幹線の乗り入れを見据えて近代的かつ巨大な駅になっている.列車への搭乗も,飛行機にボーディングする際のような近代的な手続きになっていた.

なお,MRTブルーラインとSRTレッドラインの乗り換えはわかりやすい一方で,長距離列車乗り場は北の端に向かって閑散としたなかを延々と歩かされるので要注意.本当に大丈夫?と不安になりつつ進んでいくと,到着,再び人の賑わいが現れる.

行きの列車はかなり混んでいて,途中のドンムアン駅を過ぎるとほぼ満席になっていた.3等車のボックスシートは座席指定込みで50バーツ,たいへん安い.座席の番号が列車の壁にマジックで手書きだったのはご愛嬌というか味があるというか.

行きしはずっと窓から外を見ていた.線路に並行して新幹線の高架を建設中の様子がよく見えた.進捗具合は,2〜3割といったところだろうか.いつ出来上がるか知らないが,東南アジアのことだから,気が付いたら出来上がっていたということになるのだろう.

さて,のんびりとしたタイ国鉄の旅だが,車内販売のオババがひっきりなしに通路を行ったり来たりしていたのはいささか鬱陶しかった.お弁当はちょっと美味しそうだった.ただし,朝ごはんは家で食べてきたし,まだ朝なのでお弁当を食べる時間でもない.

バンコクを出発してから2時間強で,列車はロッブリー駅に滑り込んだ.ロッブリー駅では猿がお出迎え(写真).本当に猿推しの街なんだなあ.

長くなったのでこのへんで.続きは次回

2025年11月29日土曜日

バンコク日本食(ただしB級グルメ)事情(お気楽クルンテープ通信 No. 17)

私は基本的に,郷に入っては郷に従う派なので,海外に出ても日本食が恋しくなるということはあまりない.しいていえば,ときおりラーメンを食べたくなるくらいだろうか.もういい歳なのだから,健康に配慮して,塩分脂分過多のラーメンは控えなさいと,医者には叱られてしまいそうだが.

現地の食文化にすぐ馴染める性格は,若い時分,サンタフェに短期留学したときから今に至るまで変わらない.サンタフェ滞在は1ヶ月にも満たないごく短い期間ではあったが「ぜったい醤油味が恋しくなるからスーツケースのなかに醤油を忍ばせておけよ」と先輩からアドバイスされた.それを真に受けた私は,小さな醤油のペットボトルを鞄のなかに入れて旅立った.

しかし,サンタフェという土地柄か,米国にしては食事が美味しく,日本食が恋しくなることは,ついぞ,なかった.滞在していた大学にあったカフェテリアの食事はそこそこ美味しく,街に出ればテックスメックス,メキシカンの店も多い.カリフォルニアからはジューシーな果物がたくさん入ってくる,そんな場所だったので,東海岸のような,もう,途方にくれてしまうような食事事情ではなかったのが幸いした.

その結果,持ち込んだ醤油のペットボトルは,結局,封を切らずに日本に持ち帰ることとなった.

さて,バンコクの話である.私はいま,プロンポンという日本人が多い街に滞在しているので,日本語の看板がしばしば目に入るということは,すでに述べた.しかし,一人で和食のレストランや日式居酒屋に,いまのところ行こうとは思わない.

これまでの海外出張では,現地の駐在員と仕事の夜は懇親会という機会もしばしばあった.和食の店に行くこともあり,駐在している人たちは日本食が恋しいのかな?と慮っていた.今回そのような気分にならないのは,まだこちらに来て日が浅いからか,あるいは,たかが半年の滞在と心のどこかで考えているからか.

タイのローカルフードが大好きだという理由もあるかも.タイ料理だいすき.タイ料理はどれも旨い.

先日,こちらの学生と日本の学生をオンラインで交流させるプログラムにおいて,タイの学生が「バンコクにはしゃぶしゃぶ屋がたくさんある」と発言し,いやそんなのみたことないぞ?と私は反論した.しかし,先ほど買い物に出かけたついでにしゃぶしゃぶ屋を一つ見つけた.たんに私が気付いてないだけだったようだ.

翻って,ラーメン屋はバンコク市内のあちらこちらにある.これはもう身をもって確認済みだし,そのうちの何軒かには実際に行って体験している.

最近は日本でもラーメン一杯の価格高騰が著しいが,こちらのラーメン屋も比較的割高な価格に設定されていることが多い.日本円にして1,500円から2,000円くらいすることもざらにある.こないだ行ったところなんて一杯580バーツもした.ラーメン一杯が3,000円近いって,どういうこと?

それでも,美味しいラーメンがバンコクでも食べられるのはありがたい.8番ラーメンをご存知だろうか.北陸を中心に展開するチェーン店で,調べたら日本にも100店舗出している規模の店である.首都圏には出店していないため日本人でも知らない人は多いが,バンコクに10店舗以上ある.タイ人には馴染みのラーメン屋なのだ.KMITLの学生もよく知っていた.

うちの近くに,その名も牛野家という牛丼屋がある.GYUNOYAである.オレンジ色基調の看板で,もう,まんま,あの有名牛丼チェーンのパクリである.牛野屋ではなく,牛野家であるところにも拘りが垣間見られる.それにしても商標的にどうなのよ……と思いつつ,こんなふざけた,いや,興味深い店には,ぜひとも,偵察に行かねばなるまい.

というわけで行ってきたのだ.牛丼並が180バーツ.味噌汁30バーツに温泉玉子40バーツを付けて合計250バーツ.そこそこのお値段ではある.まあ,日本でも最近は牛丼にオプションいろいろ付けたら1,000円ちかくなるもんなと,物価高騰を嘆きつつ,いただいた.

味はもう,完璧にあそこの牛丼とほぼ同じ.若干,つゆだく気味だったのはご愛嬌.ちょっと肉が硬かったかな.まあ,許容範囲か.きちんと紅生姜もあの容器に入って提供されていた.感心したのは,ご飯である.きちんと,ジャポニカ米,短粒種のコメが使われていたことだ.パラパラとしたタイ米で牛丼出されても,気分,出ないもんなあ.

バンコクに2店舗あるそうなので,牛丼フリークの皆様におかれましては,いかがだろうか.バンコクにお越しの際には,ぜひ,チャレンジしてみていただきたい.

2025年11月27日木曜日

続・イミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 16)

ビザの種類を変更してもらう申請をするために,チェーンワタナのイミグレーションに行ってきた話の続きである.

こちらが用意した書類に不備はない……つもりである.電光掲示板に30番のアナウンスが光っているブースに入り,自信を持って書類とパスポートを突き出した.担当はみたところ30デコボコの女性だ.怖くないぞ.

いろいろ尋ねられ,KMITLの客員研究員として云々かんぬん,ビザの変更に至る理由をくどくどしく説明させられた.そこに提出した書類読んでよ,書いてあるじゃん,と,心の叫び.しかし,こちらは審査される側である.よけいな口はきかないほうがいい.

ここ,サインが足りないよ,電話番号を書いてね,などなど,書類に追加で記入を求められた.用意した青インクのボールペンで,つつがなく,対応する.

問題が発生したのは,いまのビザに関する確認を求められたときだった.担当官いわく,「いまのビザはe-Visaでしょ?プリントしてある?」えー?聞いてないっす.なんのためのe-Visaなんだろうか.オタオタしていたら,「下の階に行って,プリントアウトしてきて」とつれない指摘が.

いったん引き下がることになり,そそくさと書類をまとめて,ブースから退散する.下の階?知らんがな……と思いつつ,下の階に行く.イミグレーションオフィスは建物の2Fにある.下の階,1Fには喫茶店やらフードコートやらがあるけれどもコピー屋は見当たらないなあと思いつつ,例によってそこらへんの人に聞きながら進んでいくと,奥のほうにコピー屋を発見した.Photo, Copy and Print とある.ここで印刷してもらえそうだ.

コピー屋はかなり賑わっており,人垣ができていた.なんとか人の群れを掻き分け,e-VisaのPDFを格納したてUSBメモリを店員に渡す.プリントアウト5バーツ.印刷してくれたe-VisaのコピーとUSBメモリを返却してもらい,20バーツ札を渡すとお釣りの5バーツが返ってきた.あれ?10バーツは?マイペンライ.まあ,いいことにしよう.

さて,先ほどのブースは後の人の対応で塞がっていたが,その人が出てきたタイミングでスッと入って書類を出す.こういうのは図々しく割り込んだものの勝ち,というか,そういうものだということはすでに学んでいる.e-Visaのプリントアウトを示し,新たにもらったなんだかよくわからない紙に必要事項を記入していたら,次の課題が降りてきた.

それは,電話番号の問題である.

電話番号,日本の電話番号を書いていたら,それではダメだという.タイの電話番号でないといけないそうだ.しかし,こちらはe-SIMでデータ通信オンリーの作戦である.タイの電話番号は持っていない旨を伝えると,再び,「下の階に行ってSIMを買いなさい」との指示が出た.

本日二度めの退散だが,致し方ない.下の階にSIM屋なんてあったかな……と,再び,下の階に降りてくまなく探すと,電気屋を発見した.はたして,そこでSIMを購入できた.70バーツ.350円くらいである.これでいいのか?

再びブースに戻り,先ほど対応してくれたブースの隣が空いたのですかさずそこに割って入る.担当が違うが,なんとかなるだろう.今度の担当はベテランそうなオバちゃんであった.

書類を全て渡す.番号もいま買ってきたタイのものに書き換えた.先ほど担当してくれた担当官が,一言二言,引き継ぎしてくれたのも助かった.ああ,これでOKか,と思いきや,今度は「KMITLに電話を掛けろ」という.

SIMは購入したものの,入れ替えていない.モタモタしていたら,向こうが勝手に,書類に記載されていたKMITLの電話番号に電話を掛けていた.タイ語でやりとりしていたので何を話していたかはわからない.ときおり,チャーイ,チャーイと言っているのは分かった.日本語で言うところの,そうそう,あるいは,中国語のトェトェトェ,というやつである.

そのあと電話番号の確認があり,SIMを入れ替えて所定の電話番号に掛けさせられた.電話番号がテキトーなものではないことの確認らしい.けっこう念が入っている.まあ,そうか.

ここまでで手続きが終了,2,000バーツ払って,終わりとなった.後日,指定された日に来いとのこと.それまでに審査の手続きを進めておくから,そこでパスポートにスタンプを押してもらえ,ということらしい.念のため確認だけど……とおそるおそる聞いてみると,どうも指定された日でないといけないとのこと.今回,指定された日はたまたま大丈夫そうな日程だったので助かったが,出張中で不在とかだったらどうすれんだろう.変更して?などと融通は効くのかなあ.効かなそうだけど.

せっかくイミグレーションまで足を運んだので,ついでにリエントリー・パーミッションの申請もした.来週,フィリピンに出張するからである.これを申請しておかないと,出国したその時点でビザが無効になってしまう.スワンナプーム空港でもできるらしいが,来週の出国が早朝なので慌ただしかろうと,念のため.

こちらは「あんた日本人ならこれ要らないかもよ?」とアドバイスめいたものがあったくらいで滞りなく進んだのだが,やはりe-Visaでひと悶着.ただし,印刷してこいとは言われず,PCの画面に出して「ほら,これ」と見せたら,担当官がスマホでその写真を撮って,それでOKだった.マイペンライ.

ここまででほぼ午前中が潰れた.かなり神経を消耗した.お昼に1Fのフードコートでいただいたビリヤニが旨かった.60バーツ.少し早めのランチにそれを食べて,なんとか生き返った.

2025年11月26日水曜日

イミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 15)

外国人の長期滞在に欠かせないもの,それはビザである.タイの場合,日本人であれば60日まではビザなしで滞在できる.しかし,ビザなしで入出国を繰り返していると,それはビザランという不正行為と見做される可能性があり,最悪の場合,入国できなくなる.

そんな憂き目に遭っても困るので,やはり,ちゃんとしたビザを得ておきたいもの.今回,こちらに来る前に慌しかったこともあり,手軽なツーリストビザを取得してやって来ていた.現在,タイはe-Visaの制度が整っていて,オンラインでのやりとりでビザを取得できる.ただし,書類の不備があると何度かやりとりしなければならないので,時間に余裕をもって取得すべきではある.今回,取得が容易なツーリストビザとはいえ入国ギリギリに取得できて,綱渡りの気分を味わった.

それはともかくとして,こちらに来てから考えればいいかとタカを括っていたのだが,やはりツーリストビザではいろいろと不都合がある.まず,そもそも厳密にいえば滞在の目的に合致していない.不適切と指摘されたらアウトになりかねない.さらに,銀行口座を作れないなどの実務的な問題もある.銀行口座は,ツーリストビザでは作れない.

ツーリストビザが切れるタイミングで一時帰国し,次にくるときに適切なビザを取ればよいかな?などと気楽に考えていたが,紆余曲折あり,今回,Non Immigrant RS(研究者向けビザ)への変更が必要ということになった.

KMITLのスタッフが気を利かせて,ビザタイプ変更の書類を用意してくれた.T.M. 86というビザ変更の書類,パスポートのコピー,4x6cmの写真,大学からの招聘上のコピー,大学からのビザタイプ変更に関する書類,T.M. 30というタイ国内の居住に関する書類,ビザの変更には,これらが必要が必要になる.なお,T.M. 30は住んでいるところの大家が用意するもので,こちらもすでに入手済みである.

大学が用意してくれた書類やこちらで用意した写真,パスポートのコピーを引っ提げて,いざ,イミグレーションへ!ということで,今日は朝からチェーンワタナにあるイミグレーションまで出かけてきた.なお,パスポートのコピーは,プロフィールが記載されているページと,最新の入国スタンプがあるページの2枚を用意しなければならない.さらに,それぞれのコピーには空いている場所にサインが必要だった.

さて,そもそもチェーンワタナのイミグレーションは市内からけっこう遠くのはずれにある.ドンムアン空港の手前から少し西にいったあたりで,モノレールのピンクラインにあるGovermnent Complex駅が最寄駅だろう.といっても,そこから歩く人はあまりいないようだった.朝でさほど暑くなかったし,歩いてもせいぜい1kmくらいなので行きは歩いたが,私の他に歩いて向かっている人はいないようだった.帰りはタクシーを使った.

Googleマップで位置を確認し,事前の調査で建物の写真は見ていたので,イミグレーションの入っている建物まではすんなり到着できた.しかし,建物自体がもうだだっ広いビルで,どこに行けばよいのかさっぱりわからない.入り口の案内や何やらとにかく人に聞きまくりで,なんとかしかるべきオフィスに到達した.イミグレーションのオフィスは2Fの南端にある.

入り口の案内でCカウンターに行けと言われ,進んでいくとチケットカウンターで順番待ちの整理券を取れと言われ,とにかくRPG感が半端じゃない.他人に聞く,コミュニケーション能力が問われるなーと何度思ったことか.あと,拒否されてもめげずに,なんとか必要な情報を聞き出すメンタルの強さも要るかも.

ところで,イミグレーションのオフィスは8:30から開いている.思っていた以上に遠かったことと,人に質問しながらあっち行ったりこっち行ったりしていたので,オフィスに着いたころには9時を回っていた.この時点でもらったチケットの番号は46番.処理が進んでいたのは20番前後だった.案内されたC1のブースは4つあった.なお,平日だというのにイミグレーションのオフィスはかなり混雑していた.それだけ,タイにもたくさんの外国人が滞在しているということだろう.

意外と回転は早く,30分も待てば順番が来るかなあなどとボーッと待っていたら,「時間がなくてもう行かなきゃならないから」と,30番のチケットを持ったお姉さんが順番を譲ってくれた.ちょっとした棚ボタである.お姉さん,人生もっと計画的に生きたほうがいいんじゃない?と思いつつも,ありがたく受け取った.

というわけで,いよいよビザ変更の手続きに入ることになったのだが,長くなったので,続きは次回

写真はプロンポンのBic Cameraで撮ってもらった証明写真.180バーツで12枚入っていた.12枚も要らないよ.せめて90バーツで半分にしてもらえないかな.60バーツで4枚でも十分だ.撮影料,作業量込みということであれば100バーツで4枚でもいい.

2025年11月23日日曜日

ノートブックを買いに(お気楽クルンテープ通信 No. 14)

長いこと日記を綴っている.2007年から途絶えることなく続けている.かなりの期間,日々のちょっとした出来事を書き留めてきたことになる.日記帳というたいしたものは使っておらず,大学ノートにボールペンで書き殴るという簡素なものである.しかし,半年に一冊のペースでノートを書き潰しているので,それなりの量の記録が溜まっている.東京の本棚には,すでに30冊を超える記録が残されている.

使い続けているノートはコクヨのキャンパスノート,A罫の7ミリ,30枚というこだわりがある.代々同じブランドを使い続けているのでこれまでの記録を並べるとそれなりに圧巻である.ピンク基調のノートだ.馴染みのひとも多かろう.途中でデザインが切り替わったので,本棚に並んでいるのを遠目にみると,二色,ツートーンにみえる.

今回,うっかりして予備のノートを持ってきそびれた.買い溜めしてあるのに.いま使っているノート,最後のページに到達するのは12月に入ったころになりそうで,12月中旬に一時帰国する予定なのだがどうも間に合いそうにない.

バンコク一番の文房具屋がサイアムのセントラルワールドに入っているとの情報を得て,週末,わざわざコクヨのノートを買い求めに訪れてみた.その文房具屋の店名はB2Sという.サイアム以外にエカマイやオンヌットのほうにもあるらしい.しかし,せっかくなら一番大きな店に行ってみたくなるものである.エカマイなら頑張れば歩いてでも行けるが,わざわざBTSに乗ってサイアムまで出かけてみた.

今回の買い物の目的はもう一つある.ノートの他に,青色インキのボールペンを買い求めることだ.タイでは,公的な書類には青色の筆記具で記入するのが正式だとどこかに書いてあった.黒でも叱られたり無効になったりするようなことはないらしいが,せっかくならタイ流でいきたい.来週,イミグレーションに行ってビザの手続きをしなければならないので,青インクのボールペンが要るのだ.

サイアムのセントラルワールドは巨大なショッピングモールである.B2Sは4Fの北側,BTSの駅から向かうと奥のほうにあった.ノートのコーナーを探してみると,はたして,コクヨのノートがたくさん並んでいる.ところが,残念ながらいつも使用しているA罫30枚ピンクのノートは置かれていなかった.うーん残念.

似たようなデザインのものがあったので,それで我慢することにしよう.コクヨのキャンパスノート,A罫30枚というスペックはほぼ同じだったので.

一方の青ボールペンは希望のものが見つかった.それも,いつも使っているSARASAの0.7ミリ.これはもう完璧である.

というわけで,そのノートとボールペンを購入した.

時間があったこともあり,せっかくバンコクの中心部まで出かけたのだからと,B2Sのなかを少し物色してみた.面白かったのはこれ(写真).全てタイ語で書かれているので初見では何のフォームなのかわからなかったのだが,カーボンの複写式で空欄を埋めればよいだけの書類である.

最近は,スマホのカメラで撮れば文字の部分を翻訳してくれる.便利な時代になったものだ.表紙の写真を撮って機械翻訳を試してみたら,「貸付契約書,内蔵カーボンタイプ」だとか.その下には「ボールペンで使用してください.カルボニル紙セットごとにイアンパッドがあります.正確で標準的」とある.カルボニル紙というのはカーボン紙のことだろう.イアンパッドって何の誤訳かな.

その他にも,かわいいキャラクターのノートや,ファンシー文具など,文房具屋をうろうろしているといろいろ発見があって面白い.

ところで,例によってこの話にも悲しいオチがある.

翌日,天気がよかったので日用品の買い物がてら,我が家の近くを散歩した.プロンポンの駅の反対側に,ザ・日本人街とでも呼べそうな,日本食レストランが多数並ぶソイがある.ソイというのは路地のことだ.あまりにベタな街並みなので,これまで入り口から覗くだけで入っていくのは遠慮していたのだが,写真屋はないかとその路地に入ってみた.

短いソイの並びにラーメン屋を3軒も見つけたのは意外な発見だった.それはともかく,ソイの奥にタイ在住の日本人には有名な富士スーパーというスーパーマーケットがある.富士スーパーにも入ったことがなかったので,覗いてみることにした.

富士スーパー,時間帯にもよるだろうが,日曜日の昼下がり,客層はほぼ日本人であった.店の作りも,もう日本のそれとほとんど変わらない.一気に東京にワープした気分になる.惣菜コーナーも充実していて,さほど高くない.うーん,ここまで買いにくるかなあ.そんなことを考えながら,そういえばノート売ってるかなと文具コーナーを覗いてみたら…….

懸命な皆さんはもうお察しだろう.そう,いつも使っているコクヨのキャンパスノートA罫30枚が,束になって置いてあったのである.まさに灯台もと暗しとはこのことか.ぎゃふん.

2025年11月21日金曜日

似たような文字が多くて悩ましい問題(お気楽クルンテープ通信 No. 13)

バンコクで生活を始めて1ヶ月が経った.日々の業務をこなしつつも,タイ語の勉強を独学で進めている.まずは書いてある文章を読めるようになるべく,文字を毎日一つずつ,憶える努力をゆっくりと続けてきた.

タイ語の文字は,子音が44個,母音が32個ある.ただし母音はいくつかの組み合わせで32個として表されているので,憶えなければならない形は若干減る.

しかし,どちらかというと,子音44個のなかに,似たような文字,いや,激似の文字たちがたくさんあるのが曲者なのだ.丸くくるりんとなっている箇所が上を向いているか下を向いているかとか,上がちょこんと欠けているか欠けていないかとか,ぐっと上に向けて払う棒を上まで伸ばすか途中で止めるかとか,ほとんど同じ形なのにチョンとダッシュが追加されているかいないかとか,ビミョーな違いがたくさんある.

日本語にも,「め」と「ぬ」,「れ」と「わ」,あるいはカタカナの「シ」と「ツ」,「ヌ」と「ス」など,微妙な違いはある.それらの違いもなかなかのものだから,外国人がよく間違えているのを笑えない.しかし,タイ語のそれは,もっと微妙な違いが多すぎて,いやはや,憶えるのもけっこうしんどい.

なかなか憶えられないので,頑張って憶えられるようにと暗記帳のアプリまで作ってしまった.作ったアプリはStreamlit Community Cloudというプラットフォームで公開しているので,タイ語の子音を真面目に憶えたい日本人は使ってみてほしい.

アプリは https://thaicharacters.streamlit.app/ で試せる.

文字の読み方を憶えるには,MRTやBTSの駅名表示を追いかけるのがよい.たいがい答えがローマ字で書いてあるので,ローマ字との文字の対応を考えながら一つ一つ,確認できる.

ハングルを勉強したときは,同じようにして街の方向案内標識や距離標識も参考にした.方向案内標識は,右に曲がるとどこ,直進だとそこ,左折すると何々,というような交通案内標識のことで,距離標識とは,どこそこまで何キロという情報を示す標識のことだ.

ハングルはシステマティックに作られており比較的簡単に憶えられるので,ソウルの街中を3日散歩しながらキョロキョロした結果,ほぼ全てのハングルを憶えられた.さらにハングル一文字が漢字一文字に対応していることを考慮しつつ,似たような発音を日本語から探し当てれば,意味を取るのもさほど難しくない.日本人なら韓国語は簡単に読めるようになるので,第三言語の習得対象としてオススメである.

タイ語の場合は写真のような感じになる.母音が上に置かれたり下に置かれたり,はたまた左側に配置されたりするので若干ややこしいが,なんとなく下に書いてあるローマ字との対応はつくようになった.ただし,私のタイ語スキルではまだ不十分なところもあり,なんでローマ字だとそういう読みになるのかが全くわからない部分も,まだ一部,残っている.

このようにすれば,タイ語でも韓国語と同じように,少なくとも文字を「読める」ようにはなるはずだ.もっとも,声調があるので正しく発音できるかどうかが大きな課題として残されている.これは,文字を全て憶えてから,次の段階に進むことにするつもり.

ところで,かつて,交通標識を見て練習しようとしていたときに,こんなことがあった.

郊外のナコンパトムに出かけた帰り道でのこと,高速道路を走るバンの窓から,いつものように距離標識を眺めていた.バンコクに近づくにつれて,「バンコクまで何キロ」との表示が増えてくる.

ローマ字でBangkokと書いてある表示の頻度が増えてきたのだが,どうもおかしい.当時は今よりもまだ文字の判定が覚束なかったが,それにしても,どう考えても,Bangkokの上に書いてあるタイ語をバンコクと読めようがないことくらいは理解できた.

はたして,そこにはバンコクではなく,クルンテープと書いてあったのだ.そう言われてみるとクルンテープと読める.

タイの皆さんはバンコクのことをクルンテープと呼ぶ.日本人が自国のことをジャパンと呼ばずニホンないしはニッポンと呼ぶようなものか.このクルンテープ,正式には,クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシットという.想像の遥か斜め上を超えて,長い.

それはともかくとして,まさに,私が編み出した交通案内標識ローマ字確認メソッドが敗れた瞬間であった.

2025年11月19日水曜日

タイの交通事情(お気楽クルンテープ通信 No. 12)

先週の木曜日から週末にかけて,タイ最北部に位置するチェンライに出張してきた.Thai Association for Applied Linguistics (TAAL)という学会に参加し,我々がやっているプロジェクトを報告するためである.

しかし,そもそも私のバックグラウンドとは全く異なる学会で,完全なる他流試合である.さらに,この学会は今回が2回目というまだ始まったばかりの学会,タイ人ばかりなのかなと思いきや,中国やフィリピンなど,けっこう近隣諸国からの参加者がいたのには驚いた.欧米人もちらほら.日本から参加した日本人は私以外にいたのかな.日本からの参加者といえば,たまたま,東京大学で英語を教えているS先生と昼食をともにした.ただし,彼はイギリス人.

さて,学会の会場はチェンライもさらに北の外れにあるメーファールアン大学だった.チェンライ市内から続く国道を30分ほど北上する.国道に面した入口の信号を右折,森の中に延々と続く緩やかなカーブをしばらく進むと,立派な広場と建物がどーんと現れる.1998年に設立された大学だそうで,比較的,新しく美しいキャンパスだ.現代的な建物が並んでいる.

郊外型の大学で開催される学会で困るのは,そこに行くまでの足をどうやって確保するか.レンタカーを借りるというのは一つのよい解ではあるが,今回,出国前が慌ただしかったせいで国際免許を取ってこられなかった.最近はGrabなる便利な配車サービスもあるが,タクシーみたいなものだから,毎度毎度Grabというのも気が引ける.

たまたま,今回は,同じプロジェクトに参加している,ナコンパトム在住のT先生もその学会で発表した.彼は自宅からチェンライまで車で来ていたので,毎朝,チェンライ市内のホテルに宿泊している私をピックアップしてくださった.ありがたい限りである.

実はこれまでにも何度か彼の車に乗せてもらったことがあり,いぶし銀……といえば聞こえはよいが,かなりの年季が入った骨董品,つまり相当に古い,まあ,よく動いているなというシロモノであった.ところが今回,さっそうと現れたのは新車のピックアップトラック.実にかっこいい車で,助手席に乗ったら新車の匂いがした.

そんなおニューの車で聞いた,タイの交通事情をいくつか紹介しよう.

チェンライに着いたその日の夜は,彼に誘われて近郊のレストランで夕食を共にした.そのレストランまで車に乗っていき,駐車場がいっぱいだったので路上駐車することになった.路肩をみると,赤と白の縞模様になっているところと,黒と白の縞模様になっているところがある.

黒と白の縞模様になっているところに車を停めた彼は,ここは駐車してよいゾーンなのだと説明した.赤と白は駐車禁止のエリアで,黒と白は駐車可,なんだそうだ.なお,ホテルの玄関あたりは黄色と白の縞模様だった.その意味を聞きそびれたのであとで調べてみたところによれば,黄色と白は,荷物の積み下ろしのための停車は可,というものらしい.

タイは日本と同じ右側通行なので,レンタカーを借りてドライブするのも楽そうに思える.ただし,バンコク市内は渋滞がひどいので,難易度は少し高そうだ.東京で外国人が運転するのは難しい,とくに首都高は難しいだろうな,というのと同じかも.

赤信号でも右から車が来ていなければ左折してよいというのも教えてもらった.これは米国と同じルールである.米国は逆方向だけれども.日本では「左折可」の標識があるところのみ,左折できる.どこでも左折可にしておいて,危なそうなところだけ左折禁止にしたほうが合理的だと私は考えるが,日本は安全側に倒しすぎるきらいがある.

タイでもグローバル化が進んでいるので,メルセデスやらBMWやら,外国からの輸入車はけっこう走っている.バンコク市内ではときおりポルシェも見かける.こないだはフェラーリだかなんだか,めちゃくちゃ高価そうな車を見かけた.T先生いわく,これらの外車には関税が300パーセント掛けられているそうだ.もともと高価なのに.タイも格差社会なのだろうか.お金持ちはどこにもいるなあ.

一方,街には日本車,とくにトヨタが溢れている.トヨタだってタイからみれば外車じゃないのか?そう,外車である.しかし,これらの車には300パーセントという法外な関税は掛けられていないので,安く購入できる.なぜか.それは,こちらに大きな工場があって,タイ国内で生産されているからである.

また,ベトナムの街ほどではないが,バイク,スクーターもぶんぶん走っている.しかも,かなりの確率でノーヘルライダーを見かける.ベトナムでは2007年にヘルメットが義務化されたが,タイはまだよいようだ.マイペンライ.写真はチェンライ郊外で見かけたノーヘルライダーズの二人乗り.KMITLの学内でも,学生たちが似たような様子で走り回っている.

2025年11月16日日曜日

Geminiとの対話

SNSを見ていたら,スマホでテキトーな自撮り写真をGeminiに投げて「高級感あるポートレートにして」というとカッコいい写真に仕上げてくれるよ!という投稿を見た.へー,さっそくやってみよう,と,いろいろ試行錯誤した結果が以下である.コメントはしないので,対話の様子を味わっていただきたい.最後びっくりするよ.