2025年12月12日金曜日

続々・再びイミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 23)

リエントリーの申請をするために整理券をもらいにいったら「書類が足りない」とすげなく却下された飯尾の運命やいかに!の続き.はたして何が足りなかったのか.

「パスポートのコピーを出せ」という.ああ,そうか,そういえばそれが必要だった.コピー?持ってるよ.前回の申請のときにKMITLのスタッフが予備をたくさん用意してくれてたんだった.ちょっと待って……とカバンをゴソゴソしたのだが.

「コピーは新しく取らないとダメよ.だって,ビザが更新されてるでしょ」という.たしかに.そりゃそうだ.そして先週フィリピンに出国しているから,最新の入国スタンプがあるページのコピーも取り直さなきゃ.

というわけで,すごすごと引き下がり,再び,階下のコピー屋に行って,パスポートのコピーを撮り直したのである.動転していて,新しいビザのページ,最新の入国スタンプがあるページ,プロフィールのページと,3ページのコピーをお願いしてしまったが,プロフィールのページのコピーはすでに持っていたので不要だった.まあ,1枚2バーツ,誤差の範囲ではある.

コピーの束を引っ提げて,再度,整理券をもらいに行く.今度はOK,Cカウンターへ意気揚々と行ってみると,処理されてるのは100番前後,自分の番号は,206番.100人くらいキューに溜まっているのか.しょうがないな.

便利なもので,整理券にあるQRコードをスキャンすると,リアルタイムで「何人待ってるか」が出てくるようになっている(写真).

これがあれば,下の階のフードコートでゆっくりお昼をいただきながら,待っていられる.お腹が減ったので,いそいそと階下に降りて行き,ランチタイムと洒落込んでいた.待ち行列の人数は順調に減っている.お昼食べてる間に自分の番が来ちゃったらどうしよう.

すると,あろうことか.数字の減り加減が12時を過ぎてパッタリと止まってしまったのである.昼食を終えてイミグレーションに行ってみると,ドアが閉められて入り口は閉鎖されていた.職員もランチライムだ.なんてこった.お昼食べてる間に自分の番が来ちゃうなんて,杞憂もいいとこ.

午後の再開からだいぶかかって,自分の番が来たのが14時半頃.そこでもうひと悶着である.書類を出したら欄外に「モバイルの電話番号書け」と.あー,そうだった!前回それでわざわざsimを買ったのだった.

なかばパニックになりながらも「いやタイの番号持ってるんだけどね,今のケータイには日本のsimが入ってて,タイのsimは家に置いてきちゃったから番号が分からない.日本の番号でもイイ?」とダメ元で訊いてみた.すると「電話番号覚えてないの?しょうがないわねえ,じゃあメールアドレスでよいよ」と許してもらえたよ.我ながら交渉力付いてきたなあ.オッサンオバハンの図々しさはいとも簡単に国境をとび越える.

そんなわけで,リエントリーのスタンプが押されたパスポートを無事に手にしたのは,ずいぶんと遅い時間になってしまった.

今朝,Route 1のシャトルバスが着いたのは東側の出入り口,Gate 1だった.帰りは前回と同様,南側の出入り口,Gate 2から出た.ここに無料のシャトルバスは来るのかな?とキョロキョロしてみると,看板がある.バスが来る気配はまったくなかったが,看板があるということは,来るのだろう.しつこく待っていたら,20分ほどして,今朝のバスと同じ白いEVバスが来た.待てば海路の日和ありとはまさにこのことか.

それにしてもRoute Cと書かれていたのが不思議だった.行きに乗ったバスはRoute AではなくRoute 1だった.こちら,なんでRoute 3じゃないんだろう.

そして行き先がどうも違うらしい.まあ,どっかの駅の近くに行くだろうと,エイヤッと乗ってしまった.いくつかの停留所を経て,着いたのはナショナル・テレコム駅とラックシー駅のちょうど中間あたり.チェーンワタナ・ソイ5の入り口というなんとも中途半端な場所である.

ここにバスが来るということは,行きもここで無料のシャトル場所に乗れるのだろうか.しかし,今朝のバス乗り場に比べると,いかにも頼りないバス停なので,やや不安.やはり,ガバメント・コンプレックスからのシャトルバスのほうが安心である.

駅へはラックシーのほうが近いような気もしたが,道路を渡らずに行けそうなのはナショナル・テレコムなので,そちらに向かった.そこからはBTSで快適に戻れる.

いやはや,しかし,今回も難儀な手続きであった.あと1回,ビザの延長手続きで来ないといけないんだよなあ.冒険の旅はまだまだ続くらしい.

続・再びイミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 22)

ビザの変更がやっと認められたと思ったのも束の間,パスポートを取り上げられて2時間後に来いと伝えられた飯尾の運命やいかに!の中編である.中編?ごめん,まだ続きます.

ぼーっと待っていてもしょうがないので,まず,リエントリー・パミッションの申請用紙を再びもらいに行った.リエントリー・パミッションとは,再入国したときにビザを継続するための措置のことだ.

通常,ビザは一回こっきりのシングルタイプと,何度も出入りするマルチタイプがある.多くのビザはシングルで,マルチというのは大枚叩いて長期滞在するようなタイプのビザに限られる.

それでは困るじゃないかというのもごもっともで,出入りするたびにビザを取り直すのか?というと,そんな面倒なことは不要.シングルのビザは,一度出国したら滞在許可の権利が消えてしまうのだが,それを継続させるために,リエントリーの申請ができるようになっている.

ご丁寧にも今回切り替えたNon-Immigrant ED(RS)というタイプのビザには,Please contact the Immigration Office for a Re-Entry Before Leaving Thailand(タイを離れる前に,リエントリーについて入国管理局に相談してね)というスタンプが押されていた.親切なことである.

今回,ビザが切り替わるので,再度,リエントリーの申請をする必要がある.今回は何回か出たり入ったりする予定があるため,マルチでの申請をすることにした.前回はフィリピンに出張した1回こっきりだったので,シングルでの申請だった.

なお,シングルだと1,000バーツ,マルチだと3,800バーツ,支払わねばならない.なので,4回以上出たり入ったりするならマルチがお得.まあ,今回は,再度,延長申請するまでは3回で終わってしまうかもしれないのだが,パスポートの残りページ数も怪しいし,毎回申請するのも面倒なので,何度もシングルのリエントリーを取る方針は避け,マルチで取っておくことにした.ビザを延長したら,さらにまたリエントリーを申請し直さないといけないというのも面倒だが,致し方ない.

まあ,そういうわけで再度リエントリーの申請をするために,用紙をもらったというわけだ.先日撮影した顔写真も持ってきた.これで3枚目.ああ,次にまた延長申請するときに必要で,そのあとのリエントリーの再申請にも要るのか?10枚も不要かと思っていたが,半分は確実に消費するのか.4枚じゃ足りなかったじゃないか.

ところが,写真を貼る糊を家に忘れてきた.慌ててコンビニで購入した.2本パックのスティックのり,19バーツ.2本も要らないんだけど.

2時間は長い.リエントリーの書類で書けるところは全て書き,残った時間は下の階にあったコーヒーショップで,淹れたてのコーヒーを飲みながら仕事をして潰した.

11時にイミグレーションに戻り,Cカウンターに行ってみると「まだできてない.遅れてる」という.うへぇ.「番号を呼ぶから待ってなさい」と告げられた.ええ,待ちましたとも.

30分くらい待っただろうか.ようやく33番が呼ばれ,ベタベタとスタンプが押されたパスポートが返された.長かったよ…….

そして,再びリエントリーの申請に向かう.整理券カウンターに行き,意気揚々と「リエントリー」と告げる.これでまた整理券がもらえるはずだ!と思いきや,「書類が足りない」と,却下.はてさてどうなる?

次回に続く.写真は無料シャトルバスに乗っているところ.

再びイミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 21)

前回イミグレーションに行った話の続きである.前回はビザのタイプを変更する申請をしに行ったのだった.紆余曲折あって最終的に,12月11日にリザルトを取りに来なさい(パスポートにスタンプを押してもらいに来なさい)ということになっていた.なので,その手続きに行った,というわけである.

パスポートにスタンプを押してもらうだけだからすぐに終わるだろうとタカを括っていたのは大間違いだったことが後に判明する.そんなことはつゆとも思わず,早朝に自宅を出てチェーンワタナのイミグレーションに出かけた.

今回,BTSのグリーンラインとピンクラインを乗り継いで,ガバメント・コンプレックス駅までやってきたのは前回と同じ.前回は駅からイミグレーションのあるビルまで延々と歩いたのだが,今回は無料のシャトルバスがあるという情報を得ていた.

ところがその乗り場がよく分からない.チャッピーに聞いてみても,「Exit 3を出て,チェーンワタナ・ソイ7の入り口に向かえ」というばかり.地図で示してくれると何度も言ってくるのだが,要領の得ない地図を示すばかりである.Googleマップの地図を示すよと言いつつ,全く違った地図を出してくるので苦笑するしかない.

まあ行ってみればなんとかなるか,と,駅の3番出口からソイ7に向かっていったら,あったよ,バス乗り場が.場所はここ(図).ソイ7の丁字路,中央分離帯のところにバス乗り場があって,白いモダンなバスが停まっていた.Route 1と書いてあるバスに乗れば,イミグレーションのあるビルの入り口まで,つれていってくれる.

チェーンワタナのイミグレーションに行く方法の解説はいろいろとネットに転がっているが,公共交通機関を使っていくならば,2025年12月現在,ピンクラインでガバメント・コンプレックスまで行き,この無料シャトルバスに乗るのが最適解に違いない.もちろん裕福な方におかれましては,タクシーやらGRUBやらでバーンと乗り付けたってちょうだい.

さて,イミグレーションである.もう場所は分かっているので迷うことなく入り口に向かってみると,業務開始の8時半をちょうど過ぎたくらいなのに入り口はまだ閉まっていて,その前にものすごい人だかりができていた.

人だかりを観察してみると,皆,整理券らしきものを持っている.しかしその整理券はどこで配っているのか分からない.いつももらう整理券は,オフィスのなかの窓口で配られるはずである.はてさて,と見回してみると,券を持っていない人はものすごく長い列を作っていた.どうもそこに並ぶべきのようだ.

整理券の謎は解けぬまま,列に並んで順番を待っていた.列には300人くらい並んでいたようにみえた.まず人だかりの群衆がイミグレーションに吸い込まれていき,その次に列が消化されていった.私が中に入れたのは,9時少し前くらいだったろうか.曜日の関係なのか,先日,来たときに比べて人が多いようである.

整理券発行の窓口で,今日の日付と「Result」のハンコが押してある前回のレシートを見せる.「結果を取りに来た」と伝えると,すぐに整理券を発行してくれた.毎度のCカウンターに行けという.

今回,私が手にした整理券の番号は33番だった.順番は比較的早く回ってきた.日付指定されたくらいだから,スタンプをポンと押しておしまいだろう……と軽く考えていたら,整理券に「11:00」と書き込まれた.パスポートを預かるので11時に来いということだった.

おいおいなんだよーと思いつつも,従うしかない.さあ,どうなる?長くなったので,次回に続く

2025年12月10日水曜日

トイレ問題(お気楽クルンテープ通信 No. 20)

ちょいとフィリピンに出張してたりして間があいた.今回はちょっとしたネタである.尾籠な話でもあるので食事中には読まないほうがよいかも.

次の写真を見ていただきたい.男性用トイレの入り口である.ハンドタオル用のペーパータオルと,一巻きのトイレットペーパーが正面に設られており,右下に屑籠がある.トイレの構造はどうなっているか.左手前に洗面台があり,奥には小便器が二つ.タオルやトイレットペーパーが設られている壁の向こうは個室のブースが三つ並んでいる.

この写真をみて,なにか違和感を覚えないだろうか?違和感なくそのまま個室に向かったあなたは,おそらく後悔することになるだろう.

日本だったらまず有り得ないが,個室のなかに,トイレットペーパーは用意されていないのである.ここにある一巻きから必要な分を先んじて確保しておいてから,ブースに向かえ,ということらしい.

緊急事態が発生した際にトイレに慌てて向かうと,つい,忘れてしまいがちになる.アラーム発生,トイレに急行,ブースをチェック,ラッキー,開いていた.鍵閉めて,パンツを下ろして,ああ,間に合った,ひと安心.その後が問題だ.

先んじてのペーパー確保を怠ると,人間の尊厳を失うインシデントが発生することになる.

今年の春にタマサート大でとある式典に参加したときのことである.式典は2部構成になっていて,前半は偉い先生方の挨拶とセレモニー,写真撮影と休憩を挟んで後半は講演会というスケジュールになっていた.私は後半に講演を担当することになっており,前半はおとなしくちんまりと座ってセレモニーを眺めていた.

緊張していたというわけでもないのだが,前半の途中でお腹が痛くなってきた.これはやばい.いちおう貴賓席に座っていたので,ちょっと抜け出して,というわけにもいかない.なんとか頑張って,写真撮影まで,私は耐えた.

グループでのにこやかな写真撮影を終えて,私はダッシュでトイレに向かった.そのあとの顛末は,賢明な皆さんならもうお分かりだろう.まさに,先の「ひと安心」以降の展開が発生,トイレットペーパーがないことに気付き,絶望の底に沈んだのである.

スマホで同行の先生に連絡して紙を上から投げてもらおうかと考えた.オーマイガー!ポケットの中にスマホはなく,どうやら席に置いてきたもよう.残念.その手は使えず.どうしよう.

そこでふと気付いた.東南アジアでトイレに行ったことがある皆さんならご存知かもしれない.こちらのトイレには,たいがい,水道のホースが付いている.要するに手動のウォシュレットである.これでなんとかならないか.

今まで使ったことがなかったので,おそるおそるノズルを尻に向け,引き金を引くと水が勢いよく出てくる.だいぶ冷たくてヒャッとなる.お尻がビシャビシャになってしまったが,水で汚れを流してなんとか問題は解決した.その後,しばらく空冷で乾燥させ,濡れないようにと注意しながらズボンを穿いた.外でペーパーを入手し,ブースに戻る.濡れているお尻を紙で拭いて,一件落着となった.

後日,その話を学生に披露したら,インドネシアにルーツを持つMくんが「先生,それ使い方が違います」という.「あれは,水を流しながら,手で尻を洗うんです」だそうだ.なるほど文化の違いというものは,たいへん面白い.

2025年12月1日月曜日

続・猿の街へ(お気楽クルンテープ通信 No. 19)

列車に乗ってロッブリーを訪れた話の続きである.駅を降りて,祭りが行われている会場のはずの,プラ プラーン サーム ヨート(Phra Prang Sam Yot)寺院に歩いて向かった.駅からすぐである.5分もかからない.

ところが同遺跡は閑散としていた.観光客がいないわけではない.私と同様,祭りを目当てに来ているらしい欧米人ぽい観光客もちらほら,数人,歩いている.ちゃんと調べてこない,いや,調べてはきたんだが,十分な情報を得られなかった粗忽者が私の他にもいた!と思うと安心する.

どうも,今年は,数ヶ月前に猿たちの大量捕獲をやったらしく,祭りも中止になったらしかった.なんたること.それでも,路地裏には生き残っていた猿たちがいて,ああ,やはりここは猿の街なんだと,わざわざやってきた自分を納得させたのであった(写真).もうそれで満足である.

そんなわけで,祭りの賑わいは体験できなかったが,かえって静かに観光できたのは良かったのかもしれない.プラ プラーン サーム ヨートで観光チケット200バーツを購入,ふらふらと街を散策してみることにした.

なお,プラ プラーン サーム ヨートを観るだけなら50バーツである.というか,外から観るだけで十分と思われ,拝観料を払う必要もないかも.

200バーツのチケットを買うと,プラ プラーン サーム ヨートの他に,ワット プラ シー ラタナー マハータート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat),クライソンシーハラート宮殿(Kraison Siharat Palace),バーン・ウィチャエーン(Wichayen Residence)に入場できる.クライソンシーハラート宮殿はかなり離れた位置にあったので断念したものの,残りの三つは歩いて回れるエリアにあるので散策することにした.

今回は,プラ プラーン サーム ヨート,バーン・ウィチャエーン,ワット プラ シー ラタナー マハータートの順番に回った.

バーン・ウィチャエーンからワット プラ シー ラタナー マハータートに向かう途中,市街地を通り抜けていくと,テーサバーン1市場というマーケットがあるエリアがある.このエリアは街全体が露天市になっていて,とても活気がある.何かを買わないまでも,そぞろ歩きするだけで楽しかった.

ワット プラ シー ラタナー マハータートも,観光客はほぼおらず,ゆっくりと時間だけが流れていく感じを体感できる.天気もよく,ゆったりとした時間が素晴らしかった.

ワット プラ シー ラタナー マハータートは駅前にある.アユタヤ王朝に思いを馳せる時間を堪能し,駅に向かうと,ちょうど10:56発バンコク行きの列車が来るところだった.帰りは座席指定なし,28バーツ.日本円にして100円ちょい.タイ国鉄は貨幣価値の感覚を狂わせる.

往復5時間,滞在わずか1時間のショートトリップではあったが,十分に堪能した.ロッブリー,いいとこですよ.

猿の街へ(お気楽クルンテープ通信 No. 18)

週末を利用して,ロッブリーという街に行ってきた.バンコクから列車で2時間くらいの地方都市である.

ロッブリーは,アユタヤ王朝時代に第二の都市として栄えた街として知られている.が,今では猿に占拠された街というほうが有名なのではなかろうか.日本は最近,熊が街まで降りてきていろいろ事故が起きているらしい.一方,ロッブリーは野生の猿,カニクイザルが街を占拠してたいへんなことになったことで世界に知られた街なのである.

そんな猿たちに果物や野菜やらをビュッフェ形式で提供する祭りがあると聞いて,タイ滞在中にぜひとも訪れてみたいと,かねてから考えていたのだ.その祭りは11月最終週の日曜日に行われるという.奇しくも昨日は11月30日の日曜日.いてもたってもいられず,朝イチの列車に乗って,ロッブリーを訪れた.

バンコクからロッブリーに行く列車は1日に数本出ていて,一番列車は111便,クルンテープ・アピワット駅を7:30に出発する.朝のクルンテープ駅は閑散としていたが,乗り場前の待合場所は乗客で賑わっていた.

バンコクの中央駅といえばファランポーン駅が伝統のある中央駅である.対して,バンスー駅,改め,クルンテープ・アピワット駅は,将来,チェンマイに至る新幹線の乗り入れを見据えて近代的かつ巨大な駅になっている.列車への搭乗も,飛行機にボーディングする際のような近代的な手続きになっていた.

なお,MRTブルーラインとSRTレッドラインの乗り換えはわかりやすい一方で,長距離列車乗り場は北の端に向かって閑散としたなかを延々と歩かされるので要注意.本当に大丈夫?と不安になりつつ進んでいくと,到着,再び人の賑わいが現れる.

行きの列車はかなり混んでいて,途中のドンムアン駅を過ぎるとほぼ満席になっていた.3等車のボックスシートは座席指定込みで50バーツ,たいへん安い.座席の番号が列車の壁にマジックで手書きだったのはご愛嬌というか味があるというか.

行きしはずっと窓から外を見ていた.線路に並行して新幹線の高架を建設中の様子がよく見えた.進捗具合は,2〜3割といったところだろうか.いつ出来上がるか知らないが,東南アジアのことだから,気が付いたら出来上がっていたということになるのだろう.

さて,のんびりとしたタイ国鉄の旅だが,車内販売のオババがひっきりなしに通路を行ったり来たりしていたのはいささか鬱陶しかった.お弁当はちょっと美味しそうだった.ただし,朝ごはんは家で食べてきたし,まだ朝なのでお弁当を食べる時間でもない.

バンコクを出発してから2時間強で,列車はロッブリー駅に滑り込んだ.ロッブリー駅では猿がお出迎え(写真).本当に猿推しの街なんだなあ.

長くなったのでこのへんで.続きは次回

2025年11月29日土曜日

バンコク日本食(ただしB級グルメ)事情(お気楽クルンテープ通信 No. 17)

私は基本的に,郷に入っては郷に従う派なので,海外に出ても日本食が恋しくなるということはあまりない.しいていえば,ときおりラーメンを食べたくなるくらいだろうか.もういい歳なのだから,健康に配慮して,塩分脂分過多のラーメンは控えなさいと,医者には叱られてしまいそうだが.

現地の食文化にすぐ馴染める性格は,若い時分,サンタフェに短期留学したときから今に至るまで変わらない.サンタフェ滞在は1ヶ月にも満たないごく短い期間ではあったが「ぜったい醤油味が恋しくなるからスーツケースのなかに醤油を忍ばせておけよ」と先輩からアドバイスされた.それを真に受けた私は,小さな醤油のペットボトルを鞄のなかに入れて旅立った.

しかし,サンタフェという土地柄か,米国にしては食事が美味しく,日本食が恋しくなることは,ついぞ,なかった.滞在していた大学にあったカフェテリアの食事はそこそこ美味しく,街に出ればテックスメックス,メキシカンの店も多い.カリフォルニアからはジューシーな果物がたくさん入ってくる,そんな場所だったので,東海岸のような,もう,途方にくれてしまうような食事事情ではなかったのが幸いした.

その結果,持ち込んだ醤油のペットボトルは,結局,封を切らずに日本に持ち帰ることとなった.

さて,バンコクの話である.私はいま,プロンポンという日本人が多い街に滞在しているので,日本語の看板がしばしば目に入るということは,すでに述べた.しかし,一人で和食のレストランや日式居酒屋に,いまのところ行こうとは思わない.

これまでの海外出張では,現地の駐在員と仕事の夜は懇親会という機会もしばしばあった.和食の店に行くこともあり,駐在している人たちは日本食が恋しいのかな?と慮っていた.今回そのような気分にならないのは,まだこちらに来て日が浅いからか,あるいは,たかが半年の滞在と心のどこかで考えているからか.

タイのローカルフードが大好きだという理由もあるかも.タイ料理だいすき.タイ料理はどれも旨い.

先日,こちらの学生と日本の学生をオンラインで交流させるプログラムにおいて,タイの学生が「バンコクにはしゃぶしゃぶ屋がたくさんある」と発言し,いやそんなのみたことないぞ?と私は反論した.しかし,先ほど買い物に出かけたついでにしゃぶしゃぶ屋を一つ見つけた.たんに私が気付いてないだけだったようだ.

翻って,ラーメン屋はバンコク市内のあちらこちらにある.これはもう身をもって確認済みだし,そのうちの何軒かには実際に行って体験している.

最近は日本でもラーメン一杯の価格高騰が著しいが,こちらのラーメン屋も比較的割高な価格に設定されていることが多い.日本円にして1,500円から2,000円くらいすることもざらにある.こないだ行ったところなんて一杯580バーツもした.ラーメン一杯が3,000円近いって,どういうこと?

それでも,美味しいラーメンがバンコクでも食べられるのはありがたい.8番ラーメンをご存知だろうか.北陸を中心に展開するチェーン店で,調べたら日本にも100店舗出している規模の店である.首都圏には出店していないため日本人でも知らない人は多いが,バンコクに10店舗以上ある.タイ人には馴染みのラーメン屋なのだ.KMITLの学生もよく知っていた.

うちの近くに,その名も牛野家という牛丼屋がある.GYUNOYAである.オレンジ色基調の看板で,もう,まんま,あの有名牛丼チェーンのパクリである.牛野屋ではなく,牛野家であるところにも拘りが垣間見られる.それにしても商標的にどうなのよ……と思いつつ,こんなふざけた,いや,興味深い店には,ぜひとも,偵察に行かねばなるまい.

というわけで行ってきたのだ.牛丼並が180バーツ.味噌汁30バーツに温泉玉子40バーツを付けて合計250バーツ.そこそこのお値段ではある.まあ,日本でも最近は牛丼にオプションいろいろ付けたら1,000円ちかくなるもんなと,物価高騰を嘆きつつ,いただいた.

味はもう,完璧にあそこの牛丼とほぼ同じ.若干,つゆだく気味だったのはご愛嬌.ちょっと肉が硬かったかな.まあ,許容範囲か.きちんと紅生姜もあの容器に入って提供されていた.感心したのは,ご飯である.きちんと,ジャポニカ米,短粒種のコメが使われていたことだ.パラパラとしたタイ米で牛丼出されても,気分,出ないもんなあ.

バンコクに2店舗あるそうなので,牛丼フリークの皆様におかれましては,いかがだろうか.バンコクにお越しの際には,ぜひ,チャレンジしてみていただきたい.

2025年11月27日木曜日

続・イミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 16)

ビザの種類を変更してもらう申請をするために,チェーンワタナのイミグレーションに行ってきた話の続きである.

こちらが用意した書類に不備はない……つもりである.電光掲示板に30番のアナウンスが光っているブースに入り,自信を持って書類とパスポートを突き出した.担当はみたところ30デコボコの女性だ.怖くないぞ.

いろいろ尋ねられ,KMITLの客員研究員として云々かんぬん,ビザの変更に至る理由をくどくどしく説明させられた.そこに提出した書類読んでよ,書いてあるじゃん,と,心の叫び.しかし,こちらは審査される側である.よけいな口はきかないほうがいい.

ここ,サインが足りないよ,電話番号を書いてね,などなど,書類に追加で記入を求められた.用意した青インクのボールペンで,つつがなく,対応する.

問題が発生したのは,いまのビザに関する確認を求められたときだった.担当官いわく,「いまのビザはe-Visaでしょ?プリントしてある?」えー?聞いてないっす.なんのためのe-Visaなんだろうか.オタオタしていたら,「下の階に行って,プリントアウトしてきて」とつれない指摘が.

いったん引き下がることになり,そそくさと書類をまとめて,ブースから退散する.下の階?知らんがな……と思いつつ,下の階に行く.イミグレーションオフィスは建物の2Fにある.下の階,1Fには喫茶店やらフードコートやらがあるけれどもコピー屋は見当たらないなあと思いつつ,例によってそこらへんの人に聞きながら進んでいくと,奥のほうにコピー屋を発見した.Photo, Copy and Print とある.ここで印刷してもらえそうだ.

コピー屋はかなり賑わっており,人垣ができていた.なんとか人の群れを掻き分け,e-VisaのPDFを格納したてUSBメモリを店員に渡す.プリントアウト5バーツ.印刷してくれたe-VisaのコピーとUSBメモリを返却してもらい,20バーツ札を渡すとお釣りの5バーツが返ってきた.あれ?10バーツは?マイペンライ.まあ,いいことにしよう.

さて,先ほどのブースは後の人の対応で塞がっていたが,その人が出てきたタイミングでスッと入って書類を出す.こういうのは図々しく割り込んだものの勝ち,というか,そういうものだということはすでに学んでいる.e-Visaのプリントアウトを示し,新たにもらったなんだかよくわからない紙に必要事項を記入していたら,次の課題が降りてきた.

それは,電話番号の問題である.

電話番号,日本の電話番号を書いていたら,それではダメだという.タイの電話番号でないといけないそうだ.しかし,こちらはe-SIMでデータ通信オンリーの作戦である.タイの電話番号は持っていない旨を伝えると,再び,「下の階に行ってSIMを買いなさい」との指示が出た.

本日二度めの退散だが,致し方ない.下の階にSIM屋なんてあったかな……と,再び,下の階に降りてくまなく探すと,電気屋を発見した.はたして,そこでSIMを購入できた.70バーツ.350円くらいである.これでいいのか?

再びブースに戻り,先ほど対応してくれたブースの隣が空いたのですかさずそこに割って入る.担当が違うが,なんとかなるだろう.今度の担当はベテランそうなオバちゃんであった.

書類を全て渡す.番号もいま買ってきたタイのものに書き換えた.先ほど担当してくれた担当官が,一言二言,引き継ぎしてくれたのも助かった.ああ,これでOKか,と思いきや,今度は「KMITLに電話を掛けろ」という.

SIMは購入したものの,入れ替えていない.モタモタしていたら,向こうが勝手に,書類に記載されていたKMITLの電話番号に電話を掛けていた.タイ語でやりとりしていたので何を話していたかはわからない.ときおり,チャーイ,チャーイと言っているのは分かった.日本語で言うところの,そうそう,あるいは,中国語のトェトェトェ,というやつである.

そのあと電話番号の確認があり,SIMを入れ替えて所定の電話番号に掛けさせられた.電話番号がテキトーなものではないことの確認らしい.けっこう念が入っている.まあ,そうか.

ここまでで手続きが終了,2,000バーツ払って,終わりとなった.後日,指定された日に来いとのこと.それまでに審査の手続きを進めておくから,そこでパスポートにスタンプを押してもらえ,ということらしい.念のため確認だけど……とおそるおそる聞いてみると,どうも指定された日でないといけないとのこと.今回,指定された日はたまたま大丈夫そうな日程だったので助かったが,出張中で不在とかだったらどうすれんだろう.変更して?などと融通は効くのかなあ.効かなそうだけど.

せっかくイミグレーションまで足を運んだので,ついでにリエントリー・パーミッションの申請もした.来週,フィリピンに出張するからである.これを申請しておかないと,出国したその時点でビザが無効になってしまう.スワンナプーム空港でもできるらしいが,来週の出国が早朝なので慌ただしかろうと,念のため.

こちらは「あんた日本人ならこれ要らないかもよ?」とアドバイスめいたものがあったくらいで滞りなく進んだのだが,やはりe-Visaでひと悶着.ただし,印刷してこいとは言われず,PCの画面に出して「ほら,これ」と見せたら,担当官がスマホでその写真を撮って,それでOKだった.マイペンライ.

ここまででほぼ午前中が潰れた.かなり神経を消耗した.お昼に1Fのフードコートでいただいたビリヤニが旨かった.60バーツ.少し早めのランチにそれを食べて,なんとか生き返った.

2025年11月26日水曜日

イミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 15)

外国人の長期滞在に欠かせないもの,それはビザである.タイの場合,日本人であれば60日まではビザなしで滞在できる.しかし,ビザなしで入出国を繰り返していると,それはビザランという不正行為と見做される可能性があり,最悪の場合,入国できなくなる.

そんな憂き目に遭っても困るので,やはり,ちゃんとしたビザを得ておきたいもの.今回,こちらに来る前に慌しかったこともあり,手軽なツーリストビザを取得してやって来ていた.現在,タイはe-Visaの制度が整っていて,オンラインでのやりとりでビザを取得できる.ただし,書類の不備があると何度かやりとりしなければならないので,時間に余裕をもって取得すべきではある.今回,取得が容易なツーリストビザとはいえ入国ギリギリに取得できて,綱渡りの気分を味わった.

それはともかくとして,こちらに来てから考えればいいかとタカを括っていたのだが,やはりツーリストビザではいろいろと不都合がある.まず,そもそも厳密にいえば滞在の目的に合致していない.不適切と指摘されたらアウトになりかねない.さらに,銀行口座を作れないなどの実務的な問題もある.銀行口座は,ツーリストビザでは作れない.

ツーリストビザが切れるタイミングで一時帰国し,次にくるときに適切なビザを取ればよいかな?などと気楽に考えていたが,紆余曲折あり,今回,Non Immigrant RS(研究者向けビザ)への変更が必要ということになった.

KMITLのスタッフが気を利かせて,ビザタイプ変更の書類を用意してくれた.T.M. 86というビザ変更の書類,パスポートのコピー,4x6cmの写真,大学からの招聘上のコピー,大学からのビザタイプ変更に関する書類,T.M. 30というタイ国内の居住に関する書類,ビザの変更には,これらが必要が必要になる.なお,T.M. 30は住んでいるところの大家が用意するもので,こちらもすでに入手済みである.

大学が用意してくれた書類やこちらで用意した写真,パスポートのコピーを引っ提げて,いざ,イミグレーションへ!ということで,今日は朝からチェーンワタナにあるイミグレーションまで出かけてきた.なお,パスポートのコピーは,プロフィールが記載されているページと,最新の入国スタンプがあるページの2枚を用意しなければならない.さらに,それぞれのコピーには空いている場所にサインが必要だった.

さて,そもそもチェーンワタナのイミグレーションは市内からけっこう遠くのはずれにある.ドンムアン空港の手前から少し西にいったあたりで,モノレールのピンクラインにあるGovermnent Complex駅が最寄駅だろう.といっても,そこから歩く人はあまりいないようだった.朝でさほど暑くなかったし,歩いてもせいぜい1kmくらいなので行きは歩いたが,私の他に歩いて向かっている人はいないようだった.帰りはタクシーを使った.

Googleマップで位置を確認し,事前の調査で建物の写真は見ていたので,イミグレーションの入っている建物まではすんなり到着できた.しかし,建物自体がもうだだっ広いビルで,どこに行けばよいのかさっぱりわからない.入り口の案内や何やらとにかく人に聞きまくりで,なんとかしかるべきオフィスに到達した.イミグレーションのオフィスは2Fの南端にある.

入り口の案内でCカウンターに行けと言われ,進んでいくとチケットカウンターで順番待ちの整理券を取れと言われ,とにかくRPG感が半端じゃない.他人に聞く,コミュニケーション能力が問われるなーと何度思ったことか.あと,拒否されてもめげずに,なんとか必要な情報を聞き出すメンタルの強さも要るかも.

ところで,イミグレーションのオフィスは8:30から開いている.思っていた以上に遠かったことと,人に質問しながらあっち行ったりこっち行ったりしていたので,オフィスに着いたころには9時を回っていた.この時点でもらったチケットの番号は46番.処理が進んでいたのは20番前後だった.案内されたC1のブースは4つあった.なお,平日だというのにイミグレーションのオフィスはかなり混雑していた.それだけ,タイにもたくさんの外国人が滞在しているということだろう.

意外と回転は早く,30分も待てば順番が来るかなあなどとボーッと待っていたら,「時間がなくてもう行かなきゃならないから」と,30番のチケットを持ったお姉さんが順番を譲ってくれた.ちょっとした棚ボタである.お姉さん,人生もっと計画的に生きたほうがいいんじゃない?と思いつつも,ありがたく受け取った.

というわけで,いよいよビザ変更の手続きに入ることになったのだが,長くなったので,続きは次回

写真はプロンポンのBic Cameraで撮ってもらった証明写真.180バーツで12枚入っていた.12枚も要らないよ.せめて90バーツで半分にしてもらえないかな.60バーツで4枚でも十分だ.撮影料,作業量込みということであれば100バーツで4枚でもいい.

2025年11月23日日曜日

ノートブックを買いに(お気楽クルンテープ通信 No. 14)

長いこと日記を綴っている.2007年から途絶えることなく続けている.かなりの期間,日々のちょっとした出来事を書き留めてきたことになる.日記帳というたいしたものは使っておらず,大学ノートにボールペンで書き殴るという簡素なものである.しかし,半年に一冊のペースでノートを書き潰しているので,それなりの量の記録が溜まっている.東京の本棚には,すでに30冊を超える記録が残されている.

使い続けているノートはコクヨのキャンパスノート,A罫の7ミリ,30枚というこだわりがある.代々同じブランドを使い続けているのでこれまでの記録を並べるとそれなりに圧巻である.ピンク基調のノートだ.馴染みのひとも多かろう.途中でデザインが切り替わったので,本棚に並んでいるのを遠目にみると,二色,ツートーンにみえる.

今回,うっかりして予備のノートを持ってきそびれた.買い溜めしてあるのに.いま使っているノート,最後のページに到達するのは12月に入ったころになりそうで,12月中旬に一時帰国する予定なのだがどうも間に合いそうにない.

バンコク一番の文房具屋がサイアムのセントラルワールドに入っているとの情報を得て,週末,わざわざコクヨのノートを買い求めに訪れてみた.その文房具屋の店名はB2Sという.サイアム以外にエカマイやオンヌットのほうにもあるらしい.しかし,せっかくなら一番大きな店に行ってみたくなるものである.エカマイなら頑張れば歩いてでも行けるが,わざわざBTSに乗ってサイアムまで出かけてみた.

今回の買い物の目的はもう一つある.ノートの他に,青色インキのボールペンを買い求めることだ.タイでは,公的な書類には青色の筆記具で記入するのが正式だとどこかに書いてあった.黒でも叱られたり無効になったりするようなことはないらしいが,せっかくならタイ流でいきたい.来週,イミグレーションに行ってビザの手続きをしなければならないので,青インクのボールペンが要るのだ.

サイアムのセントラルワールドは巨大なショッピングモールである.B2Sは4Fの北側,BTSの駅から向かうと奥のほうにあった.ノートのコーナーを探してみると,はたして,コクヨのノートがたくさん並んでいる.ところが,残念ながらいつも使用しているA罫30枚ピンクのノートは置かれていなかった.うーん残念.

似たようなデザインのものがあったので,それで我慢することにしよう.コクヨのキャンパスノート,A罫30枚というスペックはほぼ同じだったので.

一方の青ボールペンは希望のものが見つかった.それも,いつも使っているSARASAの0.7ミリ.これはもう完璧である.

というわけで,そのノートとボールペンを購入した.

時間があったこともあり,せっかくバンコクの中心部まで出かけたのだからと,B2Sのなかを少し物色してみた.面白かったのはこれ(写真).全てタイ語で書かれているので初見では何のフォームなのかわからなかったのだが,カーボンの複写式で空欄を埋めればよいだけの書類である.

最近は,スマホのカメラで撮れば文字の部分を翻訳してくれる.便利な時代になったものだ.表紙の写真を撮って機械翻訳を試してみたら,「貸付契約書,内蔵カーボンタイプ」だとか.その下には「ボールペンで使用してください.カルボニル紙セットごとにイアンパッドがあります.正確で標準的」とある.カルボニル紙というのはカーボン紙のことだろう.イアンパッドって何の誤訳かな.

その他にも,かわいいキャラクターのノートや,ファンシー文具など,文房具屋をうろうろしているといろいろ発見があって面白い.

ところで,例によってこの話にも悲しいオチがある.

翌日,天気がよかったので日用品の買い物がてら,我が家の近くを散歩した.プロンポンの駅の反対側に,ザ・日本人街とでも呼べそうな,日本食レストランが多数並ぶソイがある.ソイというのは路地のことだ.あまりにベタな街並みなので,これまで入り口から覗くだけで入っていくのは遠慮していたのだが,写真屋はないかとその路地に入ってみた.

短いソイの並びにラーメン屋を3軒も見つけたのは意外な発見だった.それはともかく,ソイの奥にタイ在住の日本人には有名な富士スーパーというスーパーマーケットがある.富士スーパーにも入ったことがなかったので,覗いてみることにした.

富士スーパー,時間帯にもよるだろうが,日曜日の昼下がり,客層はほぼ日本人であった.店の作りも,もう日本のそれとほとんど変わらない.一気に東京にワープした気分になる.惣菜コーナーも充実していて,さほど高くない.うーん,ここまで買いにくるかなあ.そんなことを考えながら,そういえばノート売ってるかなと文具コーナーを覗いてみたら…….

懸命な皆さんはもうお察しだろう.そう,いつも使っているコクヨのキャンパスノートA罫30枚が,束になって置いてあったのである.まさに灯台もと暗しとはこのことか.ぎゃふん.