2025年12月21日日曜日

アイ・ラブ・タイ料理(お気楽クルンテープ通信 No. 25)

皆さんはタイ料理というとどんなイメージを思い浮かべるだろうか.トムヤムクン?カオマンガイ?パッタイやソムタムなんかもある.日本人にはガパオライスも人気がある.私は,タイの東北部,イサーンのソウルフードでもあるラープが好き.鶏肉のラープ・ガイもいいし,豚肉のラープ・ムーもいい,どっちも美味しい.ちなみに,ガイは鶏肉という意味で,ムーは豚肉を意味する.ガイヤーンやカオマンガイのガイは,鶏料理を示している.

ともあれ,いずれにしても,タイ料理はおおむねスパイシーな料理というイメージではなかろうか.

以前,ASEANの仕事をしていたときに,ある会議のランチタイムで各国から参加した代表者とテーブルを囲むことがあった.そのとき,東南アジアで一番辛い料理を食べるのはどこの国?という問いになり,全員一致で「タイだ」という結論になった.周辺各国も認めるタイ料理の辛さ.素晴らしい.

唐辛子大好きな私としては天国のような国で,毎日,タイ料理は旨いなあと感謝しながら生活している.しかし,当然ながら,辛くないタイ料理もある.

そもそも,タイに限らず,赤ん坊の離乳食はどうしてるんだろう?と以前からずっと気になっていた.まさか赤ん坊に唐辛子のバリバリ効いた激辛料理を食べさせるわけにもいくまい.タイに劣らず辛い料理が豊富な韓国ではどうしているのかと韓国の友人に尋ねたことがある.すると,まあ,離乳食は辛いものは食べさせない,だんだん,辛いものに慣れさせていく,とのことだった.当然だろう.

離乳食はともかくとしても,辛い料理が多い国に住む人が全て辛いもの好きというわけでもあるまい.辛い料理が多い国や地域,韓国,四川,インド,メキシコなどでも,辛くない料理はある.

先日,地下鉄のスクンビット駅を降りて地上にあがり,いつものようにBTSのアソークからプロンポンまでひと駅をふらふらと歩いて帰ろうとしたときのことだ.いつもスクンビット通りの北側を歩くので,たまには南側を歩いてみようと反対側の歩道を歩いて帰った.

プロンポンの駅まで来て,いい感じに小汚い雰囲気のローカル食堂の前を通りかかったとき,目を奪われた.そこには,とても美味しそうなカオカームーが,でーんと陳列されていた.

カオカームーという料理,カオはごはん,カーは脚,ムーは豚,すなわち,豚足のトロトロ煮ごはんである(写真).

奪われたのは目だけにあらず.その香りも極上で,なかなか言葉にできない魅力的な匂いが漂ってくる.心をまるごと持っていかれてしまった.

そもそも豚の角煮や東坡肉,太肉麺なんかが大好きな私,ちょうど夕方だったので,ビールのアテに,買って帰ることにした.「ごはん無しで」と伝え,包んでもらう.110バーツ,日本円にして550円.

豚の角煮にしても,煮卵と組み合わせるのはなぜだろう.カオカームーも,たいがい,青菜あるいは高菜漬けみたいな漬物と煮卵が付いてくる.いずれも豚肉と組み合わせて絶妙なハーモニーを奏でる.カオカームーは肉よりもトロトロの皮が命と指摘する人もいるが,この店のカオカームーは,肉もしっかりしていてたいへんおいしかった.豚足といっても,脚,もも肉という感じだろうか.

さて,このカオカームーは,見てのとおり,辛い料理ではない.だから辛いのが苦手な人でも安心して食べられる.

ところが,そこは辛い料理好きのタイ人向けなのか,余計なものが付いてくるのだ.私としては,もちろんウェルカム.その余計なものとはなにかというと,オレンジ色をしている唐辛子ソースと,小さめの生ニンニク,そして,小さい青唐辛子である.

これらはカオカームーを食堂で食べると,テーブルに備えられている連中である.日本のカレー屋で,テーブルに福神漬けが備えられているみたいなもの.正直,このセットでビールのロング缶2本はいける.とくに小さい青唐辛子がヤバい.ぶっ飛ぶよ.

2025年12月17日水曜日

銀行クエスト(お気楽クルンテープ通信 No. 24)

日々生計を立てて暮らしていくうえで必要なことはなんだろう?まずは居室.衣食住の「住」.衣食もさることながら住処がないと,生活は安定しない.部屋が整ったら次は何か.電気や通信などインフラ整備も欠かせない.

インフラの費用に関して,いま実は困っていることがある.何に困っているかというと,水道代,インターネット回線代,そして家賃の支払いである.

とりあえず家賃の支払いに関しては,いろいろと面倒を見てもらっている中大タイ・オフィス職員のTさんにだいぶお世話になっていて,12月の支払い分まではまるっと預けてしまい,それでなんとか凌いでいる.電気代は毎月支払いのスリップが届けられるが,コンビニ払いができるので,いつもニコニコ現金払いでオーケー.インターネット回線の代金も,手配してくれたTさんのところに請求が行っているようなので,とりあえず立て替えてもらって,あとで支払うということになった.

しかし,いずれにしても,銀行口座がないと,なかなか辛い.銀行口座さえあれば,イマドキなのでネットバンキングでいかようにもなろうというもの.それに,タイでもQRコード決済が普及しており,学食ですら現金決済よりそちらのほうが望まれる状況になっている.そのためには銀行口座が必要だ.

ということで銀行口座を用意しなければということになったのだが,昔と違い,今は旅行者がふらっと銀行口座を作れる時代ではない.パスポートを身分証に用いるのはよいとして,ビザなし,ないしは,ツーリストビザで口座開設してくれる銀行は,今はない.

先週,やっとノンイミグラントED(RS)ビザを取得したので,これで銀行に口座を作れると考え,意気揚々,口座開設しようと銀行に赴いた.

ネットで調べたところ,シーロムにあるバンコク銀行本店には,日本語デスクがあって日本語で相談に乗ってくれるらしい,とわかった.そこで,まずバンコク銀行の日本語デスクに赴いたのだが,結果はNG.

担当者によれば,バンコク銀行で外国人が口座を開くには,パスポート,1年以上のビザ,会社からの紹介状,1年以上のタイの住所,そして,携帯電話番号が必要なのだとか.ビザはいずれ延長申請するつもりだが,今は来年の2月までのぶんしかない.

というわけで,あっけなく退散.なおバンコク銀行本店の日本語デスクは「日本語で話しかけても叱られない」くらいの日本語レベルであったのでご注意を.最終的にはほぼ英語でやりとりした.

はて困ったぞと大学からのレターを見せたら,やはりレターに書いてある銀行の当該支店に行くべきだ,ということになった.仕方がない.今日は大学には行くつもりがなかったのだが,これだけのために大学に行くことにした.なんとしてもクルンタイ銀行KMITL支店に行き,口座を開かねば.

ちょうど昼どきだったが昼も食べずに大学に行った.しかし,空腹には勝てぬ.けっきょく学食で昼食を食べてから,クルンタイ銀行KMITL支店を訪問した.

クルンタイ銀行KMITL支店はKMITLの構内にあるが,隣にアユタヤ銀行の支店もある.クルンタイ銀行のほうが奥まっているので,間違えてアユタヤ銀行に入りそうになったが,バンコク銀行で相談に乗ってもらっていたとき,「水色の銀行」というキーワードが出ていたので,間違えなかった.

日本でも,赤い銀行やらみどりの銀行やらというけれども,バンコクの銀行もコーポレートカラーで区別されているのである.これは,ちょっとした豆知識.

クルンタイ銀行では,ED(RS)ビザ,大学からの紹介状,それと客員研究員としてのインビテーションレター,タイの携帯電話番号,この四点セットで,無事,口座を開設できた.めでたしめでたし.あ,あとデポジットの500バーツも必要.

手続きの最中,ケータイにショートメッセージでワンタイムパスワードが送られて,その入力が求められた.「おっと今このスマホには日本のsimが入っているからちょっと待って,すぐ替えるから」と入れ替え作業を始めたら,窓口のお姉さんに笑われてしまった.まあ,マイペンライ.

写真はクルンタイ銀行のデビットカード(キャッシュカード)と,右はBTSのラビットカード.クルンタイ銀行のカード,かっこよくない?そして,ラビットカードがあるといちいちチケット買わないでもBTSに乗れるよ. 

2025年12月12日金曜日

続々・再びイミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 23)

リエントリーの申請をするために整理券をもらいにいったら「書類が足りない」とすげなく却下された飯尾の運命やいかに!の続き.はたして何が足りなかったのか.

「パスポートのコピーを出せ」という.ああ,そうか,そういえばそれが必要だった.コピー?持ってるよ.前回の申請のときにKMITLのスタッフが予備をたくさん用意してくれてたんだった.ちょっと待って……とカバンをゴソゴソしたのだが.

「コピーは新しく取らないとダメよ.だって,ビザが更新されてるでしょ」という.たしかに.そりゃそうだ.そして先週フィリピンに出国しているから,最新の入国スタンプがあるページのコピーも取り直さなきゃ.

というわけで,すごすごと引き下がり,再び,階下のコピー屋に行って,パスポートのコピーを撮り直したのである.動転していて,新しいビザのページ,最新の入国スタンプがあるページ,プロフィールのページと,3ページのコピーをお願いしてしまったが,プロフィールのページのコピーはすでに持っていたので不要だった.まあ,1枚2バーツ,誤差の範囲ではある.

コピーの束を引っ提げて,再度,整理券をもらいに行く.今度はOK,Cカウンターへ意気揚々と行ってみると,処理されてるのは100番前後,自分の番号は,206番.100人くらいキューに溜まっているのか.しょうがないな.

便利なもので,整理券にあるQRコードをスキャンすると,リアルタイムで「何人待ってるか」が出てくるようになっている(写真).

これがあれば,下の階のフードコートでゆっくりお昼をいただきながら,待っていられる.お腹が減ったので,いそいそと階下に降りて行き,ランチタイムと洒落込んでいた.待ち行列の人数は順調に減っている.お昼食べてる間に自分の番が来ちゃったらどうしよう.

すると,あろうことか.数字の減り加減が12時を過ぎてパッタリと止まってしまったのである.昼食を終えてイミグレーションに行ってみると,ドアが閉められて入り口は閉鎖されていた.職員もランチライムだ.なんてこった.お昼食べてる間に自分の番が来ちゃうなんて,杞憂もいいとこ.

午後の再開からだいぶかかって,自分の番が来たのが14時半頃.そこでもうひと悶着である.書類を出したら欄外に「モバイルの電話番号書け」と.あー,そうだった!前回それでわざわざsimを買ったのだった.

なかばパニックになりながらも「いやタイの番号持ってるんだけどね,今のケータイには日本のsimが入ってて,タイのsimは家に置いてきちゃったから番号が分からない.日本の番号でもイイ?」とダメ元で訊いてみた.すると「電話番号覚えてないの?しょうがないわねえ,じゃあメールアドレスでよいよ」と許してもらえたよ.我ながら交渉力付いてきたなあ.オッサンオバハンの図々しさはいとも簡単に国境をとび越える.

そんなわけで,リエントリーのスタンプが押されたパスポートを無事に手にしたのは,ずいぶんと遅い時間になってしまった.

今朝,Route 1のシャトルバスが着いたのは東側の出入り口,Gate 1だった.帰りは前回と同様,南側の出入り口,Gate 2から出た.ここに無料のシャトルバスは来るのかな?とキョロキョロしてみると,看板がある.バスが来る気配はまったくなかったが,看板があるということは,来るのだろう.しつこく待っていたら,20分ほどして,今朝のバスと同じ白いEVバスが来た.待てば海路の日和ありとはまさにこのことか.

それにしてもRoute Cと書かれていたのが不思議だった.行きに乗ったバスはRoute AではなくRoute 1だった.こちら,なんでRoute 3じゃないんだろう.

そして行き先がどうも違うらしい.まあ,どっかの駅の近くに行くだろうと,エイヤッと乗ってしまった.いくつかの停留所を経て,着いたのはナショナル・テレコム駅とラックシー駅のちょうど中間あたり.チェーンワタナ・ソイ5の入り口というなんとも中途半端な場所である.

ここにバスが来るということは,行きもここで無料のシャトル場所に乗れるのだろうか.しかし,今朝のバス乗り場に比べると,いかにも頼りないバス停なので,やや不安.やはり,ガバメント・コンプレックスからのシャトルバスのほうが安心である.

駅へはラックシーのほうが近いような気もしたが,道路を渡らずに行けそうなのはナショナル・テレコムなので,そちらに向かった.そこからはBTSで快適に戻れる.

いやはや,しかし,今回も難儀な手続きであった.あと1回,ビザの延長手続きで来ないといけないんだよなあ.冒険の旅はまだまだ続くらしい.

続・再びイミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 22)

ビザの変更がやっと認められたと思ったのも束の間,パスポートを取り上げられて2時間後に来いと伝えられた飯尾の運命やいかに!の中編である.中編?ごめん,まだ続きます.

ぼーっと待っていてもしょうがないので,まず,リエントリー・パミッションの申請用紙を再びもらいに行った.リエントリー・パミッションとは,再入国したときにビザを継続するための措置のことだ.

通常,ビザは一回こっきりのシングルタイプと,何度も出入りするマルチタイプがある.多くのビザはシングルで,マルチというのは大枚叩いて長期滞在するようなタイプのビザに限られる.

それでは困るじゃないかというのもごもっともで,出入りするたびにビザを取り直すのか?というと,そんな面倒なことは不要.シングルのビザは,一度出国したら滞在許可の権利が消えてしまうのだが,それを継続させるために,リエントリーの申請ができるようになっている.

ご丁寧にも今回切り替えたNon-Immigrant ED(RS)というタイプのビザには,Please contact the Immigration Office for a Re-Entry Before Leaving Thailand(タイを離れる前に,リエントリーについて入国管理局に相談してね)というスタンプが押されていた.親切なことである.

今回,ビザが切り替わるので,再度,リエントリーの申請をする必要がある.今回は何回か出たり入ったりする予定があるため,マルチでの申請をすることにした.前回はフィリピンに出張した1回こっきりだったので,シングルでの申請だった.

なお,シングルだと1,000バーツ,マルチだと3,800バーツ,支払わねばならない.なので,4回以上出たり入ったりするならマルチがお得.まあ,今回は,再度,延長申請するまでは3回で終わってしまうかもしれないのだが,パスポートの残りページ数も怪しいし,毎回申請するのも面倒なので,何度もシングルのリエントリーを取る方針は避け,マルチで取っておくことにした.ビザを延長したら,さらにまたリエントリーを申請し直さないといけないというのも面倒だが,致し方ない.

まあ,そういうわけで再度リエントリーの申請をするために,用紙をもらったというわけだ.先日撮影した顔写真も持ってきた.これで3枚目.ああ,次にまた延長申請するときに必要で,そのあとのリエントリーの再申請にも要るのか?10枚も不要かと思っていたが,半分は確実に消費するのか.4枚じゃ足りなかったじゃないか.

ところが,写真を貼る糊を家に忘れてきた.慌ててコンビニで購入した.2本パックのスティックのり,19バーツ.2本も要らないんだけど.

2時間は長い.リエントリーの書類で書けるところは全て書き,残った時間は下の階にあったコーヒーショップで,淹れたてのコーヒーを飲みながら仕事をして潰した.

11時にイミグレーションに戻り,Cカウンターに行ってみると「まだできてない.遅れてる」という.うへぇ.「番号を呼ぶから待ってなさい」と告げられた.ええ,待ちましたとも.

30分くらい待っただろうか.ようやく33番が呼ばれ,ベタベタとスタンプが押されたパスポートが返された.長かったよ…….

そして,再びリエントリーの申請に向かう.整理券カウンターに行き,意気揚々と「リエントリー」と告げる.これでまた整理券がもらえるはずだ!と思いきや,「書類が足りない」と,却下.はてさてどうなる?

次回に続く.写真は無料シャトルバスに乗っているところ.

再びイミグレーションに行ってきた(お気楽クルンテープ通信 No. 21)

前回イミグレーションに行った話の続きである.前回はビザのタイプを変更する申請をしに行ったのだった.紆余曲折あって最終的に,12月11日にリザルトを取りに来なさい(パスポートにスタンプを押してもらいに来なさい)ということになっていた.なので,その手続きに行った,というわけである.

パスポートにスタンプを押してもらうだけだからすぐに終わるだろうとタカを括っていたのは大間違いだったことが後に判明する.そんなことはつゆとも思わず,早朝に自宅を出てチェーンワタナのイミグレーションに出かけた.

今回,BTSのグリーンラインとピンクラインを乗り継いで,ガバメント・コンプレックス駅までやってきたのは前回と同じ.前回は駅からイミグレーションのあるビルまで延々と歩いたのだが,今回は無料のシャトルバスがあるという情報を得ていた.

ところがその乗り場がよく分からない.チャッピーに聞いてみても,「Exit 3を出て,チェーンワタナ・ソイ7の入り口に向かえ」というばかり.地図で示してくれると何度も言ってくるのだが,要領の得ない地図を示すばかりである.Googleマップの地図を示すよと言いつつ,全く違った地図を出してくるので苦笑するしかない.

まあ行ってみればなんとかなるか,と,駅の3番出口からソイ7に向かっていったら,あったよ,バス乗り場が.場所はここ(図).ソイ7の丁字路,中央分離帯のところにバス乗り場があって,白いモダンなバスが停まっていた.Route 1と書いてあるバスに乗れば,イミグレーションのあるビルの入り口まで,つれていってくれる.

チェーンワタナのイミグレーションに行く方法の解説はいろいろとネットに転がっているが,公共交通機関を使っていくならば,2025年12月現在,ピンクラインでガバメント・コンプレックスまで行き,この無料シャトルバスに乗るのが最適解に違いない.もちろん裕福な方におかれましては,タクシーやらGRUBやらでバーンと乗り付けたってちょうだい.

さて,イミグレーションである.もう場所は分かっているので迷うことなく入り口に向かってみると,業務開始の8時半をちょうど過ぎたくらいなのに入り口はまだ閉まっていて,その前にものすごい人だかりができていた.

人だかりを観察してみると,皆,整理券らしきものを持っている.しかしその整理券はどこで配っているのか分からない.いつももらう整理券は,オフィスのなかの窓口で配られるはずである.はてさて,と見回してみると,券を持っていない人はものすごく長い列を作っていた.どうもそこに並ぶべきのようだ.

整理券の謎は解けぬまま,列に並んで順番を待っていた.列には300人くらい並んでいたようにみえた.まず人だかりの群衆がイミグレーションに吸い込まれていき,その次に列が消化されていった.私が中に入れたのは,9時少し前くらいだったろうか.曜日の関係なのか,先日,来たときに比べて人が多いようである.

整理券発行の窓口で,今日の日付と「Result」のハンコが押してある前回のレシートを見せる.「結果を取りに来た」と伝えると,すぐに整理券を発行してくれた.毎度のCカウンターに行けという.

今回,私が手にした整理券の番号は33番だった.順番は比較的早く回ってきた.日付指定されたくらいだから,スタンプをポンと押しておしまいだろう……と軽く考えていたら,整理券に「11:00」と書き込まれた.パスポートを預かるので11時に来いということだった.

おいおいなんだよーと思いつつも,従うしかない.さあ,どうなる?長くなったので,次回に続く

2025年12月10日水曜日

トイレ問題(お気楽クルンテープ通信 No. 20)

ちょいとフィリピンに出張してたりして間があいた.今回はちょっとしたネタである.尾籠な話でもあるので食事中には読まないほうがよいかも.

次の写真を見ていただきたい.男性用トイレの入り口である.ハンドタオル用のペーパータオルと,一巻きのトイレットペーパーが正面に設られており,右下に屑籠がある.トイレの構造はどうなっているか.左手前に洗面台があり,奥には小便器が二つ.タオルやトイレットペーパーが設られている壁の向こうは個室のブースが三つ並んでいる.

この写真をみて,なにか違和感を覚えないだろうか?違和感なくそのまま個室に向かったあなたは,おそらく後悔することになるだろう.

日本だったらまず有り得ないが,個室のなかに,トイレットペーパーは用意されていないのである.ここにある一巻きから必要な分を先んじて確保しておいてから,ブースに向かえ,ということらしい.

緊急事態が発生した際にトイレに慌てて向かうと,つい,忘れてしまいがちになる.アラーム発生,トイレに急行,ブースをチェック,ラッキー,開いていた.鍵閉めて,パンツを下ろして,ああ,間に合った,ひと安心.その後が問題だ.

先んじてのペーパー確保を怠ると,人間の尊厳を失うインシデントが発生することになる.

今年の春にタマサート大でとある式典に参加したときのことである.式典は2部構成になっていて,前半は偉い先生方の挨拶とセレモニー,写真撮影と休憩を挟んで後半は講演会というスケジュールになっていた.私は後半に講演を担当することになっており,前半はおとなしくちんまりと座ってセレモニーを眺めていた.

緊張していたというわけでもないのだが,前半の途中でお腹が痛くなってきた.これはやばい.いちおう貴賓席に座っていたので,ちょっと抜け出して,というわけにもいかない.なんとか頑張って,写真撮影まで,私は耐えた.

グループでのにこやかな写真撮影を終えて,私はダッシュでトイレに向かった.そのあとの顛末は,賢明な皆さんならもうお分かりだろう.まさに,先の「ひと安心」以降の展開が発生,トイレットペーパーがないことに気付き,絶望の底に沈んだのである.

スマホで同行の先生に連絡して紙を上から投げてもらおうかと考えた.オーマイガー!ポケットの中にスマホはなく,どうやら席に置いてきたもよう.残念.その手は使えず.どうしよう.

そこでふと気付いた.東南アジアでトイレに行ったことがある皆さんならご存知かもしれない.こちらのトイレには,たいがい,水道のホースが付いている.要するに手動のウォシュレットである.これでなんとかならないか.

今まで使ったことがなかったので,おそるおそるノズルを尻に向け,引き金を引くと水が勢いよく出てくる.だいぶ冷たくてヒャッとなる.お尻がビシャビシャになってしまったが,水で汚れを流してなんとか問題は解決した.その後,しばらく空冷で乾燥させ,濡れないようにと注意しながらズボンを穿いた.外でペーパーを入手し,ブースに戻る.濡れているお尻を紙で拭いて,一件落着となった.

後日,その話を学生に披露したら,インドネシアにルーツを持つMくんが「先生,それ使い方が違います」という.「あれは,水を流しながら,手で尻を洗うんです」だそうだ.なるほど文化の違いというものは,たいへん面白い.

2025年12月1日月曜日

続・猿の街へ(お気楽クルンテープ通信 No. 19)

列車に乗ってロッブリーを訪れた話の続きである.駅を降りて,祭りが行われている会場のはずの,プラ プラーン サーム ヨート(Phra Prang Sam Yot)寺院に歩いて向かった.駅からすぐである.5分もかからない.

ところが同遺跡は閑散としていた.観光客がいないわけではない.私と同様,祭りを目当てに来ているらしい欧米人ぽい観光客もちらほら,数人,歩いている.ちゃんと調べてこない,いや,調べてはきたんだが,十分な情報を得られなかった粗忽者が私の他にもいた!と思うと安心する.

どうも,今年は,数ヶ月前に猿たちの大量捕獲をやったらしく,祭りも中止になったらしかった.なんたること.それでも,路地裏には生き残っていた猿たちがいて,ああ,やはりここは猿の街なんだと,わざわざやってきた自分を納得させたのであった(写真).もうそれで満足である.

そんなわけで,祭りの賑わいは体験できなかったが,かえって静かに観光できたのは良かったのかもしれない.プラ プラーン サーム ヨートで観光チケット200バーツを購入,ふらふらと街を散策してみることにした.

なお,プラ プラーン サーム ヨートを観るだけなら50バーツである.というか,外から観るだけで十分と思われ,拝観料を払う必要もないかも.

200バーツのチケットを買うと,プラ プラーン サーム ヨートの他に,ワット プラ シー ラタナー マハータート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat),クライソンシーハラート宮殿(Kraison Siharat Palace),バーン・ウィチャエーン(Wichayen Residence)に入場できる.クライソンシーハラート宮殿はかなり離れた位置にあったので断念したものの,残りの三つは歩いて回れるエリアにあるので散策することにした.

今回は,プラ プラーン サーム ヨート,バーン・ウィチャエーン,ワット プラ シー ラタナー マハータートの順番に回った.

バーン・ウィチャエーンからワット プラ シー ラタナー マハータートに向かう途中,市街地を通り抜けていくと,テーサバーン1市場というマーケットがあるエリアがある.このエリアは街全体が露天市になっていて,とても活気がある.何かを買わないまでも,そぞろ歩きするだけで楽しかった.

ワット プラ シー ラタナー マハータートも,観光客はほぼおらず,ゆっくりと時間だけが流れていく感じを体感できる.天気もよく,ゆったりとした時間が素晴らしかった.

ワット プラ シー ラタナー マハータートは駅前にある.アユタヤ王朝に思いを馳せる時間を堪能し,駅に向かうと,ちょうど10:56発バンコク行きの列車が来るところだった.帰りは座席指定なし,28バーツ.日本円にして100円ちょい.タイ国鉄は貨幣価値の感覚を狂わせる.

往復5時間,滞在わずか1時間のショートトリップではあったが,十分に堪能した.ロッブリー,いいとこですよ.

猿の街へ(お気楽クルンテープ通信 No. 18)

週末を利用して,ロッブリーという街に行ってきた.バンコクから列車で2時間くらいの地方都市である.

ロッブリーは,アユタヤ王朝時代に第二の都市として栄えた街として知られている.が,今では猿に占拠された街というほうが有名なのではなかろうか.日本は最近,熊が街まで降りてきていろいろ事故が起きているらしい.一方,ロッブリーは野生の猿,カニクイザルが街を占拠してたいへんなことになったことで世界に知られた街なのである.

そんな猿たちに果物や野菜やらをビュッフェ形式で提供する祭りがあると聞いて,タイ滞在中にぜひとも訪れてみたいと,かねてから考えていたのだ.その祭りは11月最終週の日曜日に行われるという.奇しくも昨日は11月30日の日曜日.いてもたってもいられず,朝イチの列車に乗って,ロッブリーを訪れた.

バンコクからロッブリーに行く列車は1日に数本出ていて,一番列車は111便,クルンテープ・アピワット駅を7:30に出発する.朝のクルンテープ駅は閑散としていたが,乗り場前の待合場所は乗客で賑わっていた.

バンコクの中央駅といえばファランポーン駅が伝統のある中央駅である.対して,バンスー駅,改め,クルンテープ・アピワット駅は,将来,チェンマイに至る新幹線の乗り入れを見据えて近代的かつ巨大な駅になっている.列車への搭乗も,飛行機にボーディングする際のような近代的な手続きになっていた.

なお,MRTブルーラインとSRTレッドラインの乗り換えはわかりやすい一方で,長距離列車乗り場は北の端に向かって閑散としたなかを延々と歩かされるので要注意.本当に大丈夫?と不安になりつつ進んでいくと,到着,再び人の賑わいが現れる.

行きの列車はかなり混んでいて,途中のドンムアン駅を過ぎるとほぼ満席になっていた.3等車のボックスシートは座席指定込みで50バーツ,たいへん安い.座席の番号が列車の壁にマジックで手書きだったのはご愛嬌というか味があるというか.

行きしはずっと窓から外を見ていた.線路に並行して新幹線の高架を建設中の様子がよく見えた.進捗具合は,2〜3割といったところだろうか.いつ出来上がるか知らないが,東南アジアのことだから,気が付いたら出来上がっていたということになるのだろう.

さて,のんびりとしたタイ国鉄の旅だが,車内販売のオババがひっきりなしに通路を行ったり来たりしていたのはいささか鬱陶しかった.お弁当はちょっと美味しそうだった.ただし,朝ごはんは家で食べてきたし,まだ朝なのでお弁当を食べる時間でもない.

バンコクを出発してから2時間強で,列車はロッブリー駅に滑り込んだ.ロッブリー駅では猿がお出迎え(写真).本当に猿推しの街なんだなあ.

長くなったのでこのへんで.続きは次回