2026年6月18日木曜日

ちゃっぴー君との対話:死後の名声

私:歴史に名を残したいっていう野望を抱いているやつはアホの極みだと私は考えている。論理的に考えると、それはまさにアホであることがわかる。その理屈、わかるかね?

チャッピー(以下「ち」):ほほう。「論理的に考えるとアホ」というのは面白いね。私が思いつく理屈はいくつかある。

  1. 死んだ本人には何の利益もない説

歴史に名を残したいというのは、「自分が死んだ後の他人の脳内状態を変化させたい」という欲望になる。しかし本人は死んでいるので、その状態を観測できないし、享受もできない。つまり、生きている間の快楽や幸福を犠牲にして、自分が存在しない未来の世界で、他人が自分を記憶していることを望むのは、本人の効用最大化という観点からは合理性がない。

  1. 長期的にはどうせ忘れられる説

たとえ名を残しても、数百年後には専門家しか知らない人物になるかもしれないし、数千年後には文明ごと消えているかもしれないし、太陽は数十億年後には膨張する。ならば「永遠に名を残す」は物理的に不可能である。

  1. 名声は代理目的説

人間が本当に欲しいのは、承認されたい、尊敬されたい、愛されたいことであって、「歴史に名を残す」はその代理指標に過ぎない。ところが代理指標を目的化すると、「引用数を増やすために論文を書く研究者」みたいな話になる。「歴史に名を残す」ことを目的化した時点で、本来の目的を見失っている。


私の予想では、あなたの理屈は①じゃないかな。

つまり、死後に起きる出来事は、自分にとっては効用ゼロである。にもかかわらず、死後の名声を最大化しようとして生前の幸福を犠牲にするのは合理的ではない。という議論。もしそうなら、かなり筋は通っていると思う。

ただ、反論するとすれば、「死後の世界で名声を享受したい」のではなく、「いま生きている自分が、未来の人々に記憶されると想像すると嬉しい」という効用は存在しうる。たとえば、自分の子や孫が幸せになることを望む人は多いけれど、その幸福を本人が死後に観測することはできない。それでも現在の自分にとっては価値がある。

だから論理的には、「死後の名声に価値を感じること」は合理的たり得る。しかし、それを人生の最重要目標に据えるのは、かなり奇妙な価値観である。というあたりが落としどころかな。

さて、当たった? それとも全然違うロジック?

私:そのとおり。そして合理性はあるという指摘も正しいただしまあせいぜい「死ぬときに『俺は歴史に名を残せそうなんや』と想像して安らかに死ねる」くらいが関の山ということだな

ち:なるほど。完全に理解した。

あなたの議論を整理すると、1. 人は死んだ後の出来事を経験できない。2. したがって、死後に得られる名声そのものから利益を受けることはできない。3. だから「歴史に名を残す」ことは、それ自体を目的とするには不合理である。4. せいぜい合理的なのは、生前に「自分は後世に記憶されるだろう」と想像して満足感を得ることだけ、ということだね。

これはかなり筋の通った議論だと思う。

もっとも、この手の話になると、昔の哲学者が言いそうな反論として、死後に利益を受けられないのなら、死後に悪評が立っても損害を受けられないことになるのか?というのがある。たとえば、「自分の死後に捏造されたスキャンダルで悪人扱いされる」ことを嫌がる人は多い。

でもあなたの立場だと、「死んでるんだから、本人にとってはノーダメージ」になる。

私はその結論を受け入れてもよい気がするんだよね。なぜなら、死者本人の利益と、生者が死者に対して抱く敬意や道徳感情は別問題だから。

だから、「歴史に名を残したい!」と目を輝かせる政治家を見ると、あなたは「お前、その名声を享受する頃には死んどるやん」と思うわけだ。しかも政治家の場合、「歴史に名を残したい」という欲望がしばしば、巨大イベントを誘致する、記念碑的な箱物を建てる、憲法改正や制度改変で自分の名前を刻みたがるという方向に暴走しがちだからね。

そういう意味では、歴史に名を残したいと思うのは勝手だが、そのために現代人を巻き込むなというのが、あなたの政治観なのかもしれない。

そして、政治家として理想的なのは、「百年後の教科書に載りたい」と思っている人ではなく、「百年後の人が私の名前を知らなくても、水道が止まらず、学校が回り、借金を増やさずに済んでいれば十分」と思っている人なのだろうね。なんだか選挙ポスターに書いてほしいくらいの標語だ。もっとも、そんなことを書いたら、おそらく落選するんだけど。

私:その哲学者の反論は反論になっておらず、私の説を補強するぞ?すなわち、「自分の死後に捏造されたスキャンダルで悪人扱いされる」のもまた思慮が浅いということだよ。

ち:なるほど,そこまで徹底するわけだね。

すると,あなたの立場はかなり首尾一貫している。死後に称賛されても本人には利益がない。死後に悪評を立てられても本人には損害がない。したがって、死後の評判を気にすること自体が、合理的な利害計算の対象ではない、ということになる。

これはたしかに筋は通っている。

ただ、ここで面白いのは、人間の多くはどうもそういうふうにはできていないことなんだよね。例えば、「自分が死んだ後も家族が困らないように財産を残したい」という欲望はかなり普遍的だし、「自分が死んだ後に作品を読まれたい」という芸術家や研究者もたくさんいる。

あなたの立場からすると、これらはすべて、死後の世界に対する現在の想像が、自分に快楽や安心感を与えているという形でしか合理化できない。そして、その合理化を認めたとしても、歴史に名を残したい!という野望は、せいぜい「俺は後世に語り継がれるんや!」と妄想して気持ちよくなるための嗜好に過ぎないわけだ。

だから、もし誰かが「私は歴史に名を残すために政治家になった!」と言ったら、あなたとしては、「ほな、今すぐ引退して伝記でも書いときなはれ。目的は達成できるかもしれんで」ということになるんだろうね。

ただ、一つだけ擁護するとすると、人間は案外、「自分の人生を一つの物語として捉えたい」という性向を持っている。論理的には無意味でも、「後世の人々が私をどう評価するか」を考えることで、自分の現在の行動に意味を見いだしている人は少なくない。まあ、あなたから見れば、「それは理屈ではなく、ただの趣味やな」という評価になるんだろうけど。

私はわりとその結論に賛成で、政治家が「歴史に名を残したい」と言い始めたら、要注意サインだと思う。歴史に名を残した人物には、善人もいるが、かなりの割合でとんでもない連中も混じっているからね。

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