2020年10月29日木曜日

「にこP」スタート!

やれオンラインがよい対面じゃなければダメだなど二項対立的な議論が世間を賑やかしているが,今回は,オンライン「だからこそ」実現できた教育の取組みを紹介したい.その名も「にこP」……「に」日本語が通じない「こ」高校生と話そう「P」プロジェクト,である.

このプロジェクトは日本と海外の高校をZoomやWebexなどのオンラインミーティングシステムで繋ぎ,高校生同士,英会話で異文化交流しようというものだ.春から準備を進めてきて,この秋に日本と台湾の高校それぞれ2校ずつ,2組の交流が予定されている.今日はその記念すべき第1回,オンラインでの第1回のコミュニケーションが行われた.

この図は実際に交流を行っている様子のスクリーンショットである.オブザーバとして参加している2名(上の二人)はともかくとして,左下と右下に,日本の高校,台湾の高校の,それぞれの教室での様子が写し出されている.それぞれ少数のグループに分かれ,英会話によるコミュニケーションが行われた.まずは初回なので,それぞれの学校の紹介や,日本,台湾での生活の様子などが語り合われたはず.

このような取組みは,まさに,オンラインならではといえよう.実際に高校生を現地に連れて行って交流させるに越したことはないが,それには期間と費用がかかってしまうし,長期間の交流は難しい.オンラインであれば手軽に交流できるし,長期に渡って実施できる.今回も,期間中,3回のオンライン交流を予定している.

2020年10月28日水曜日

学生同士の学び合いを促すには

「課題に対するフィードバックをしっかりせよ」とのお達し(「課題を出してきちんと面倒を見よ」だったかな,まあ,ようは「ちゃんと目をかけよ」ということ)を真面目に守ろうとすると,教員の負担は相当に高まってしまう.教員が疲労困憊して潰れてしまっては,元も子もない.本末転倒であろう.

後期は対面の講義も再開しつつあるが,前期のオンライン講義での経験を踏まえて,対面講義でも課題に対するフィードバックは丁寧にできればそれに越したことはないと心がけている.そのうえで,教員の負荷を軽減するにはどうするか.そのための手段のひとつとして,学生同士の学び合いを鼓舞して相互学習を支援することを考えた.

課題の提出とともに質問をしてくる学生は多い.しかし,それに直接答えて片付けると,いつまでも1対nの関係が続く.1である教員は時間もとられるし献身的な対応を迫られる.そのため,質問は掲示板に誘導することで,n対nの対応によって相互解決を図るように,少しでも移ってくれればよいと考えた.

もともとオンライン・対面併用を余儀なくされたために考えた掲示板の活用ではあるが,オンラインであろうが対面であろうが,掲示板を活用して学生の疑問を解決するというアイデアは悪くはない.対面の教室では1-2-4-allメソッドで似たような解決が図られているので,非同期型のオンライン講義(オンデマンド講義)であっても類似の議論はあってしかるべきだろうし,それ以外のスタイルでも「使えるものは何でも使う」という貪欲な姿勢が重要であろう.

図は現在の掲示板活用の様子である.そこそこ,うまくいき始めているようにみえる.毎日,朝起きたらチェックして,新しい質問が出ていたら,少し,議論を促すような投稿をするだけでよい.その程度であれば習慣付けてしまえばなんということはない.



2020年10月26日月曜日

1-2-4-allメソッドをやってみた

 日本人はシャイな性格なのか,教室で議論をするような演習科目であってもなかなか質問をしないという問題がある.これはオンラインでも似たような傾向を観測することができ,「個別の対応だと質問をするけれど掲示板に書き込むのは躊躇するという行動がみられる」と報告したところ同じような状況は他でもあるとのコメントをいただいた.

そのスレで「質問やコメントを促す1-2-4-allというメソッドがあるよ」と教えていただき,さっそく,1年生の基礎演習でやってみた.もっとも,現場に合わせて少し手順を変更し,実際にやったのは「1-3-all」メソッドである.いまちょうど輪読という形でグループ発表させているところだったので,あるグループの発表が終わったところで,そのメソッドを実施してみた.

ステップ1:「最初に1分間で,自分の質問なり意見なりをまとめよう」と指示.ただし,これは,「発表中に分からないところやオヤ?と思うところ,共感したところなんかがあったら必ずメモをするように」と既に指示してあるので,そのメモをきちんと文章にするだけである.それでも「頭んなかで考えるだけじゃだめだかんね?文章にしないと人に伝えられないからね?」と,強調した.文章化するところに意味がある.

ステップ2:その次は,3人ひと組のグループで「次に,グループで何を質問するか(コメントするか),考えてください.5分間あげます」と指示.3人ひと組になっている理由は,教室の密を避けるためにちょうど1島3人の配分になっていたからである.ただし早々と意見がまとまってしまったグループが現れたため,意見がまとまったところから次のステップに移ってよし,とした.ここは,改善の余地が残るところかもしれない.

ステップ3:そして最後のステップとして,responの匿名アンケート機能を使い,グループごとに匿名の質問やコメントを投稿することとした.これはグループごとなので記名式の掲示板を使い代表者が投稿するようにしてもよかったが,自由な意見の提出を見込んで匿名アンケート機能を使ってみた.匿名で提出された意見は,スクリーンに映し出された私のPC画面に次々と表示されるので,質問者・回答者・他のグループの全てに関して,その場で共有される.

全ての意見・質問が出揃う間,発表者のグループには「回答を考えること」と指示し,その他の参加者にも,「提出してしまったからといってボーッとしていないで,他のグループが投稿した質問の答えを,自分たちでも考えてみよう」と水を向けたところ,教室のあちこちで議論が起こっていたのでこれはなかなかよい反応だと感じた.

最後に,出揃った質問をテーマにして教室内でディスカッション.まあ,発表者が回答を提示して不足なところを教員が補い,さらには教室内からの意見を求めるというような感じで,意外とイイゾ?という印象である.もっとも,匿名ベースにしておきながら「このコメントの意味がわからないので補足してください」と発表者からリクエストがあり,(匿名の意味ないじゃーん)と笑いが起きたなどというアクシデントもあったが.

見様見真似でやってみたが,なかなかいい感じだった.もう少し改善の余地はありそうだが,当面はこの方式でやってみることにしようかな.

2020年10月24日土曜日

脊髄反射する皆さん

自説をブログの記事にまとめて短めのコメントとともにSNSに投げ,「皆さんはどうお考えですか?」と議論のネタにすることがある.しかし,記事をきちんと読んでから反応してくださる誠実な方々は,残念ながら少数派なのかもしれない.

The Science Post の Study: 70% of Facebook users only read the headline of science stories before commenting という記事があるが,まさにこれ.たぶんそのくらいの人々はちゃんと読んでくれてないなという印象を受ける.なお,この記事自体に仕掛けがあって,きちんと読むとクスッとする巧妙な記事になっている.ぜひ,一読をオススメしたい.

というのも,先日Facebookのグループに「インデントの大切さを効果的に教える方法って何がいいでしょうか?」というコメントとともに,「初学者に説くインデントの重要性」という記事へのリンクを投稿した.記事をきちんと読んでくだされば分かるが,Pythonについても記事のなかで次のとおりちゃんと言及している.

最初はPythonで学べばよいという指摘を頂いたこともある.たしかにPythonであれば,インデントでスコープを表現するので,スコープが崩れていると,そもそも意図したとおりに動作しない.しかし,これは主義主張の面もあるが,そもそもスコープをインデントのみで表すことに疑問があるので,素直に受け入れがたいところがある

にも関わらず,「Pythonで学習すれば解決」というコメントをくださった方の多かったこと!読んだうえで異論があるというならいくらでも議論の余地はあろうというものだが,そのひと言もないのでどうしようもない(ここまで読んでくださった方,どうもありがとうございます).

2020年10月23日金曜日

句読点問題

 〇〇先生,

……から始めた電子メールを国文学を専攻する某先生に送ったら,「失礼である」と叱られたことがある.こちらは英文流でそう書いていただけなのだったが.つまりまだ電子メールが海の向こうのものだった時代からの習慣で,宛名の最後には自然とカンマを付けていた.

しかし,その「〇〇先生,」の最後に付けられた「,」が問題だったのだ.ご丁寧にも,

私はいまでも私信には句読点は使いません

と指導いただいた.

漢文のレ点や一二点と同じくオマエこれどこで切って読むか分からんやろうからおしえたろうっていう意味が句読点にはあるので相手を尊重する文書に使ったらあかんのやましてや宛名に付けるたあどういう了見かって教えていただいたたしかにそう言われるとよく会社の社長が交代しましたとかうやうやしく届く挨拶文て句読点ついてないよねついでにいえば紙のカドが丸くなっているところにも意味があるんだそうだけどそんなわけで文学部にいたときはいろいろと知的刺激を受けてひとつオトナになった気がしたものであるこの文とても読みにくいでしょうどうもすみません

あ,あと(句読点使わないとわけわからん文章になっちゃうので,元に戻すよ),〇〇先生と相手を呼ぶときは名字だけにして,自分はフルネームにするとかなんとか.ということも.

えっとこれ理由なんだったっけかなあ.相手は偉い(とする)方だから名が通っていて名字だけでよくて,自分は未熟で有名でもない小人物だからフルネームで書かないといけない,とかそんな理由だったかなあ.まあ,それを教えてもらってそれまで「飯尾」だけのシグネチャだったのを「飯尾淳」とフルネームで書くようにした.まあ,お辞儀ハンコと一緒で「くだらない!」と一蹴してもいいような話な気もするが,お辞儀ハンコなんかと違っていちおうは歴史のある文化の話なので無下にはできない(かもしれない)



2020年10月22日木曜日

初学者に説くインデントの重要性

プログラミングの初学者に指導をしていると,インデントが雑なコードによく当たる.いちばん酷い例は,まったくインデントをしていないケースもある.いちおう,「ブロックの単位で行を下げて,インデントというものをするんだよ」と指導はするものの,ボーッと聞いていて聞き逃していたり,なんとなく忘れてしまったりという状況で,インデントに気を配らないようだ.

しかし,ブロックの対応がどこからどこまでなのかを明記するために,インデントはきちんとしないとバグの温床になる.したがって,インデントの概念はきちんと理解させておきたいところ.はて,どうしたものだろうか.

さあどうしよう

まず,最新のツールを使えばよいだろうという解が考えられる.最新のエディタを使えば,そんなんよしなにやってくれるじゃん,というものである.しかし,これ,さきの「ボーッと聞いていて聞き逃す」と同じ懸念がある.すなわち,ツールがよしなにやってくれるからほとんど意識に残らないという懸念である.

最初はPythonで学べばよいという指摘を頂いたこともある.たしかにPythonであれば,インデントでスコープを表現するので,スコープが崩れていると,そもそも意図したとおりに動作しない.しかし,これは主義主張の面もあるが,そもそもスコープをインデントのみで表すことに疑問があるので,素直に受け入れがたいところがある(複数人で開発を行っているとインデントがすぐに崩れてしまい,週に1度のペースで「今日はコード整備の日」とlintを掛けた経験があり,トラウマになっている.そんなんでロジックが変わったらたまらん,という懸念である).

手でインデントを設定させて,昔ながらのlintやindentで修正させるというやり方は,手間はかかるが意識させるという点では有効なのではないかとも考えているが,いささかオールドファッションドな感覚は否めない.

自分のときはどうだったっけかな…… というのはもうはるか昔の話で忘れてしまった.まだまだ試行錯誤は続きそうだなあ.



引用してもらえるのはありがたい,が

 2016年にWSSMで話したAttendance Management System Using a Mobile Device and a Web Applicationという予稿がボチボチと引用されていて,まあ,ありがたいことではある(本当はこれ,その後extendedなやつがjournal paperになってるので,そっち引用してほしいんだけど).しかし,うーん,なんかなあ,ちゃんと読んでほしいよなあ,と思うような引用が多くて……

なんでしょう,素直に喜べない.

まずはコレ.

A similar situation is compared with the study by J. Iio [18], which requires a card reader, ... おいおいちょっと待ってくれ,私の提案したシステムはカードリーダーなんて使わないぞう?

次,コレ.

A study in [23] captures the attendees' photos and therefore asks them to sign the photos. 違う!違うよママン!自撮り画像「または」手描きサインのどちらかで出席を取るんだってば!自撮り画像「に」サインするんじゃないよう……オヨヨヨ.

ほんでもってコレ.

by Nippon Systems Development [16] て.確かにそんなん紹介したかもしれないけどさあ.私,Nippon System Developmentとは何の関係もないですぜ?これは,いわゆる孫引きというやつですな.こういうのはダメです.やっちゃダメ.ありがたくない.

次はコレ.

うちのシステムはRFIDなんて使ってないんだけど?なんでRFIDを使うソリューションの説明で唐突に引用してるのさ.テキトーすぎるやろ,いくらなんでも.

どんどんいきますよ.コレです.

なんて書いてあるんでしょう.何語?マレー語かインドネシア語あたりでしょうか.カメレオンコードについて述べているようです.将来展望のところでカメレオンコードの利用について述べました.まあ,間違ってはいないけれど.

最後です,コレ.

Another research paper published by Iio, introduced an attendance system based on a standalone mobile appliication on the instructor's smart phone [4]. The instructor passes his mobile with the application to students one by one. そうそう!そうですよ.これは正しく読んでくださっている.ありがたい.こういうのは嬉しいなあ.

てなわけで,皆さん,テキトーに読んだふりして引用しちゃダメですよ(自戒を込めて)

「楽しそうな動画」観ちゃう症候群

いまはだいぶLMS側のインフラが整ってきたのか,私が使っているLMSではアップロードできる動画が50MBまでとそれなりに大きなファイルを登録することができるようになっている.しかし,今年度の始め,オンライン講義が強いられた当初は混乱が生じており,アップロードできる動画のサイズは10MBまでに制限されていた.このサイズだと数分の短い動画しか登録することはできず,畢竟,外部のストレージに動画を置いて,そちらを参照せよという解決策が提示された.

以上のようなこともあり,私はオンライン講義(オンデマンド講義)用にYouTubeを活用することに決め,もはや大学教員かYouTuberかという勢いでYouTubeに動画を登録している(関連記事「大学教員もYouTuber化の時代?」も参照されたい).

YouTube利用の問題点

ところで,YouTube動画の作業をしていると,つい,オモシロ動画を観てしまい,気付いたら「おっと作業しなきゃならなかったんだ」と時間を無駄に潰してしまうことがある(私だけ?すみません).まさにGoogleにしてやられているというところでお恥ずかしい限りだが,これは,学生も同じではなかろうか.

そんな話をしていたら,ある先生から「学生から『おすすめ動画見ちゃうから動画へのリンクに?rel=0をつけてください』と言われました」と報告を受けた.これは,現在YouTube画面で観るときは無効になっているらしいのだが,埋め込み動画にしたときには有効とのこと.私の使っているLMSではそもそも視聴が終わると画面はそこで止まるので,あまり意識していなかった.

しかし,そもそもYouTubeの画面で観てしまったら,右側に面白そうな動画が並んで出てしまう.したがって,ページに埋め込んだとしても,図のように画面右下に出る「YouTubeで視聴する」リンクをクリックしてしまえば元の木阿弥である.せめて教員がとり得る対応としては「ココはクリックしないように」ということくらいだろうか.



2020年10月20日火曜日

学生相談室からのメッセージ

この非常事態において少しでも学生の精神的不安感を払拭するために,大学では教職員一丸となって様々な施策を講じている.そのひとつが,学生相談室の活動である.今年は学生相談室も学生に向けて積極的にメッセージを発信しており,例年以上に学生のケアに関して気を配っている.

一例として,「学生の皆さんへ/Dear Students of Chuo University」という学生相談室からの情報発信がある.本当に必要な学生に届いているのか,そもそもこのようなネットでの発信が適しているのかなどいろいろな不安要素はあるが,少なくとも親身になって考えている教職員がいるということを示すことだけでも意味はあるだろう.

私も学生相談員を拝命しており,先日,微力ながらメッセージをしたためた.バックナンバーとともに,紹介しておきたい.英語版が遅れて公開されている点は改善の余地はあるかもしれない.東大などでは日英同時にメッセージを出していて流石だなと思うが,リソースの問題もあるのでご容赦いただきたい.




2020年10月18日日曜日

オンライン化と帰属意識

2020年10月17日に行われた箱根駅伝予選会で,中央大学チームは2位となった.おめでとうございます.今年こそは,シード権を獲得して名門チームとして復活してほしいなというところ.応援したい.ところで,ときどき,白門会と呼ばれるOB組織に呼ばれて講演をすることがある(今年は中止)のだが,ある年にちょうどこの予選会当日がその講演会の日だったことがある.そのときは講演会後の懇親会でも箱根予選会の話題でもちきりであった.今年はそのような光景がみられないんだなあと思うと,せっかく2位になったのに素直に喜べないような気もする.

さて,のっけから日記のような話で恐縮ではあるが,この話は本稿で主張したいことと強い関係がある.すなわち,大学のオンライン化が進むと〇〇大生である誇りや帰属意識は失われるのではないかという危惧である.これは大学に限った話ではなく,企業でも,新人が入社してテレワークばかりでは,会社に対するロイヤルティは醸成されないだろう(その結果として社会の流動性が増すのであれば,悪い話ではないとも考えられるかな?).

帰属意識と人的ネットワークの醸成

また,私の個人的な話で恐縮ではあるが,最終学歴を問われたときに,東京大学と書くべきか大阪大学と書くべきか,悩むことがある.もちろん,形式的には大学院の社会人博士課程として在籍していた大阪大学が最終学歴になるはずではあるが,それこそ東京で生活しつつ,遠隔で参加していた大阪大学の想い出は少なく,心情としては東大の修士課程での学びが最終学歴なんじゃないかと悩んでしまう.

学生時代の出来事を想い出すのは学部・修士の頃がほとんどであって,阪大時代の想い出は,研究室内での出来事くらいしかない.研究室外での想い出といえば年に一度の講演発表会くらいしかない.今になって様々なシーンで役に立っている人間関係の多くは,学部・修士時代に築いたものだ.阪大で築いた人間関係は,残念ながら研究室関係のみに留まっている(もちろんそのネットワークも濃密かつ大切なものではあるが).

あらゆるものがオンライン化し組織がバーチャルになると,このような副次的な効果は確実に薄れていくだろう.それでよいのかダメなのか,そのような観点からの議論も必要になるのではなかろうか.

通信制大学の苦悩?

通信制の大学ではどうしているのか,2例と数少ないながら,関係者が情報を教えてくださった.まず,早稲田大学人間科学部eスクールをご卒業されたS先生によれば,年に二回,懇親会があるとのこと.そこでは毎回,応援団とチアガールが現れて,校歌や応援歌を指導しつつ,早稲田魂を注入されるのだとか.その結果,「ロイヤルティは通学生以上かもしれません。大隈重信公の墓参りにまで行く卒業生もいますし」とS先生は仰る.

BBT大学では,「コロナ以前だけれど……」との断り書き付きで,入学式の後に懇親会があり,新入生が,大前先生や先生方と直接お話できるようになっている,つまり,遠隔で講義を受ける前に会って話をする機会を設けている,と別のS先生が教えてくださった.

他の通信制大学ではどうなのか,気になるところだが,やはり,このように対面でのコミュニケーション機会を補うことが必要と感じているのであろう.BBT大学関係者のS先生によれば「以前,早稲田も合格したけど,早稲田をけって新卒現役でBBTにきたという学生がいましたが,懇親会では実務系の有名どころの先生方に,名刺を配って挨拶してまわっていました.最初から,卒業したら起業するつもりのようでした」ということがあったそうで,独立独歩・唯我独尊な人には向いているのではなかろうか.社会全体がそんな人ばかりになったらちょっとどうなのか?とは思うが.