2025年11月2日日曜日

タイの先生、王妃の話(お気楽クルンテープ通信 Vol. 5)

タイの大学の先生方から名刺をもらうと,ちょっと驚くことがある.Assistant ProfessorやAssociate Professor,日本語でいう助教や准教授の肩書きを持つ先生方が,学部長だったり学長だったりするのだ.

日本ではまず考えにくい.うち(中大iTL)は違うけれど,日本には教授だけが教授に参加できるという大学もあるらしい.うちでも流石に行政職,学部長だのセンター長だの,いわゆる組織の長になるのは教授職じゃないといけないという暗黙のルールがある.暗黙?明確に決まっていたかも.学則かなんかで決まってたかな.ああ,組織のルールに無頓着なのがバレてしまった.いずれにしても,准教授が学部長に選ばれたなんて話は聞いたことがない.

それで,タイの大学ではどうなんだろう?と,AIに聞いてみた.どうなんだ?と.次はその答えからの抜粋である.

🎓 Academic Ranks vs Administrative Roles in Thailand

Academic ranks in Thailand follow a progression: Lecturer → Assistant Professor → Associate Professor → Professor. These ranks are based on academic achievements, publications, and years of service.

Administrative roles like President, Dean, or Vice President are not strictly tied to academic rank, though higher ranks are often preferred.

まず,アカデミックな職位と行政職の役割は明確に区別されている.助教と講師の関係が日本と逆のような気もするが,Lecturer(講師)から始まって,助教,准教授,教授と昇進すると説明されている.そしてそれは明確に研究業績に基づくものとされる.

一方の,学長やら学部長やらという行政職は,より高い職位の方が選ばれがちであるとはいえ,厳密には結びついていない.なので,准教授の学長や助教の学部長が生まれるというわけだ.

へぇー.面白い.権威とかどうなってるんだろう.関係ないのかな.

閑話休題.

10月25日にシリキット王妃が逝去し,街は服喪ムードに溢れている.人々の生活はほぼ変わらず,昨夜,ハロウィンの晩は,あちこちでハロウィンパーティなんかして人々はだいぶ燥いでいたようだが,それはそれとして街のいたるところにシリキット王妃を偲ぶ掲示が出ている.

これはプロンポンにあるショッピングモールの入り口.大画面で喪に服している.

パヤータイのオフィスビル入口には記帳場が設けられていた.

大学も大々的に哀悼の意を掲げている.

コンビニのレジですらこれ.このほかにも,写真はないけれど,BTSのホームドア内側にあるデジタルサイネージや,うちのマンションのエレベータのなかにあるサイネージまで,黒基調の追悼メッセージが表示されていた.ネット上でも,各種ウェブサイトにアクセスしてみると,同じような黒い画面が出てくることが多い.シリキット王妃がいかに国民から愛されていたかがわかる.

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2025年10月30日木曜日

在留届(お気楽クルンテープ通信 Vol. 4)

3ヶ月以上海外に逗留する在留邦人は,外務省に「在留届」という書類を出さないといけないらしい.こういうの,誰も教えてくれないんだもん.初めての人はわからないよねー.

旅券法第16条の規定で,外国に住所等を定めて3ヶ月以上滞在する日本人はその住所等を管轄する日本大使館・総領事館へ在留届の提出が義務付けられているとのこと.なお,この堅苦しい表現は外務省のウェブサイトにあるFAQに書かれている文言を参考にしたのだけれど,住所等の「等」ってなんだろうな?

在留届を出しておくと,緊急事態が発生したようなときにそこに連絡が来るなんてこともあるようで,海外在留邦人の強い味方というわけだ.もっとも,政府側でも海外に出張っている邦人の実態を把握しておきたいという管理面の狙いはあるだろうが.唯我独尊,孤軍奮闘,雑草魂……反体制を気取る私とはいえそこまでマヌケではないので,こんなことで無駄に抗っても意味がない.私のプライベートな情報まで素直にまるっと差し出すことにしよう.

というわけで,在留届なるものを提出した.日本人がタイの銀行で口座を開設する際に在留証明書なる書類が必要になるらしく,在留証明書はこの在留届が前提になっているのだろう.在留届がなければ在留証明書も発行してもらえないはずだ.いろいろ調べていて在留届の存在をたまたま見つけた.見つけられてよかった.銀行口座が作れないどころか不法滞在になるところだった.ならないか.

昨今は便利なもので,オンラインで在留届の情報を提出できるオンライン在留届という制度がある.オンライン在留届のウェブサイトにあるフォームにポチポチと情報を入力し,「必須」とあるところは全て埋めたら,簡単に届出できた.あっけなく終わってちょいと拍子抜けしたくらい.

ちょっとだけ困ったのが自宅の電話番号を入力させるところ.なぜかっていうと,電話ひいてないから.携帯電話もデータ通信オンリーのe-simなので,電話番号はあるようなないようなという感じ.いちおうなんか番号めいたものは付いているのだが,音声通話はできないし.なにしろ15日間ごとに激安e-simを買いつないで凌ごうという作戦なもんだから,そもそも番号もコロコロと変わってしまう.

いまどきの通信手段は電話に限らないのだから,電話番号を求められても困っちゃうのよねー.と,愚痴をこぼしていてもしょうがないので,KMITLの先生の電話番号を入力しておいた.適当だな.マイペンライ.まあ,何かあったときは,そこに連絡が行けばいろいろ伝わるでしょう.

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2025年10月29日水曜日

オンライン学会に参加(お気楽クルンテープ通信 Vol. 3)

昨日,今日はICTILAという国際会議にオンラインで参加している.International Conference on Technology and Innovation in Languages and Artsという学会である.キーノートスピーカーとして何か喋ってくれとインドネシアのL女史から頼まれ,たしか当初は20分と聞いていたが,蓋を開けてみたら,45分も喋らされることになっていた.彼女の依頼はいつもこうなので,まあ,もはや慣れた.

学会の会場はインドネシアは西スマトラにあるPadang(パダン)という都市である.L女史の故郷でもあり,これまでインドネシアを訪れるたびにパダン料理をご馳走になっていて,一度は行ってみたいと思っている場所だ.ちなみにパダン料理というのは,韓国のバンチャンみたいに小皿でたくさん料理が出てきて,手を付けたぶんだけ支払うというユニークなものである.どの皿も美味しいのでインドネシアを訪れた際にはぜひともパダン料理レストランを訪れてみることをオススメする.

それで,せっかく近くまで,といってもバンコクとパダンだとまあそれなりに距離はあるけれど,日本からを考えると相対的には近くまで来ているのだから現地行って喋ってもいいよーと申し出たのだが,予算がないからオンラインでと断られた.自費で行くからと言ってもよかったんだけど,先方からの回答を読み間違えて完全オンラインで開催するのかと勘違いし,じゃあオンラインでオッケーと答えた.

だが,そうではなかった.ハイブリッド開催だった.会場の様子をオンラインで伺っていると,けっこうな人数の参加者がおりたいへん賑わっている.やっぱり行けばよかった.でもまだこっちの生活が軌道に乗っていない状態なので,結局のところ,オンライン参加は結果オーライだったのかもしれない.

それにしても開催前日になってもオンライン会議の接続先を連絡してよこさないのでこちらからせっついたら,当日の朝になってやっと教えてもらった.インドネシアだなあ.ていうかいかにも東南アジアっぽいというか.まあ,かくいう私も発表資料を当日の朝に作っているくらいなので,お互い様か.マイペンライ.

ところで,オンライン学会の難しさというか,音声の取り回しは慣れないと本当に難しい.今回は,会場で中継している端末のマイクがミュートされていなくて,自分の喋る声が少し遅れて聞こえてくるので本当に喋りにくくて困った.最初に,喋りにくいからミュートにしてよ!って伝えたつもりだったが,私の説明がマズかったか,伝わらず,ミュートにしてくれなかった.致し方なく,こちらのスピーカーを絞りに絞って,なんとか凌いだという次第.

自分の声が少し遅れてくると本当に喋りにくい.これは人間の性質らしい.この性質を利用してずいぶん昔に産総研の栗原さんたちがスピーチ・ジャマーという機械を発明して,イグ・ノーベル賞を受賞している.超指向性マイクと超指向性スピーカーを組み合わせた装置である.

黙らせたい人に向かってスピーチ・ジャマーを向け,そのお喋りを超指向性のマイクで拾う.そして少し遅らせて,これまた超指向性のスピーカーを使いピンポイントで当人にフィードバックさせるという代物だ.狙われた人は,少し遅れて自分の声が耳に入るので自動的に喋られなくなる.超指向性のマイクとスピーカーを使っているので,当人以外は何が起こっているかわからないまま,やかましい人を黙らせるという機械である.

うまいこと考えたもんだと当時はとても感心した.イグ・ノーベル賞受賞もさもありなん.スピーチ・ジャマーというネーミングも素晴らしい.妨害者を意味する「jammer」と「邪魔」を掛けているんだよね?

さて,こちらでのアルコール販売の話ふたたび.

朝,セブンイレブンに朝食を買いに行き,水も切らしてしまったので飲料も買おうと奥に進んだところ,アルコール飲料の棚が閉じられていた.ご丁寧に各国語で説明があり,日本語でも「販売時間は11時〜14時までと17時〜24時まで」と書いてある.そうなんだ……

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2025年10月28日火曜日

タイ語と弁当(お気楽クルンテープ通信 Vol. 2)

昨日はリモートで東京に繋ぎ,オンラインでゼミをした.最初は向こう側の設定で学生がドタバタしていたが,まあ,なんとかなるもんだな.ITに関する専門家の端くれのつもりではあるものの,なかなかに感動的だ.ITの進化には目を見張るものがある.

ゼミが終わったあとに,近所のスーパーにシンハーを買いにいったら,「マイダーイ」と言われ,さながら勘定奉行がごとく手のひらをこちらに差し出された.午後4時半ころである.マイダーイというのはタイ語でダメという意味だ.それで「ああ今日はアルコールダメな日か」と思った.タイにはたまにアルコール販売禁止の日がある.どういう基準で決まるのかは知らないが,たまにぶち当たるととても残念な気分になる.

しかし,あとで識者に教えてもらったところによると,アルコールの販売は時間制限があって夕方は午後5時を過ぎないとだめなんだとか.彼のジェスチャーは「5時まで待て」という意味だったわけだ.

「ダーイ」というのは可能を表す助動詞だそうである.いま私がこちらで居を構えたマンションの玄関には顔認証装置があるのだが,認証されると「……カオダーイ」と音声で案内が流れる.最初のほうはまだよく聞き取れない.それで,カオというのは入るという意味で,カオダーイは「入れます」ということになる.それにしても玄関を通る都度「顔だーい」って言われて,顔認証なんだものそりゃそうでしょという思いが頭に浮かび,心のなかでいつも苦笑いしてしまう.

さて,「マイダーイ」である.「マイ」は,否定を表す.レストランで「マイペ」と伝えると,料理の辛さを抑えてくれる.「ぺ」は辛いという意味であり,私は辛いのが好きなのでもっと辛くしてくれはなんと言うのか?と聞いたら「ぺ・マクマーク」というのだそうだ.マクマークは,もっともっと,という意味らしい.マイペンライのマイも,おそらく無問題の「無」なんじゃないかな.ということで,もうお分かりだろう.マイとダーイ,なので,マイダーイは「できない」=ダメ,ということなのだと理解したが,どうかな?

タイ語といえば,こちらに来て毎日一つずつタイ語の文字を覚えていこうと頑張っている.Duolingoにタイ語のコースがないのがとても残念だ.Duolingoは韓国語を勉強するのにとても役立った.韓国語とタイ語には共通点があって,両者はいわゆるプレースホルダに相当する文字を持つ.韓国語の「ㅇ」とタイ語の「อ」である.日本語や英語にはない概念なのでなかなか馴染めないが,他の言語でもあるのだろうか,面白いよね.

韓国語との共通点をもう一つ.タイ語でいろはの「い」に相当する「ก」は「kɔɔ kài」(コーカイ)と読むのだが日本人の私が耳で聞くと「ゴーカイ」に聞こえてこれは韓国語の「ㄱ」に通じるものがある.韓国語の「ㄱ」も澄んだり濁ったりする.濁音と清音の聞き分けはけっこう難しい.

ところで,話は変わって,弁当の話.

この部屋にキッチンは付いているが食器と調理器具をまだ揃えていないのでコンビニの弁当にだいぶ世話になっている.セブンイレブンが歩いてすぐのところにあるので便利このうえない.で,どんなものを食べているかというと,こんな感じ(写真).これで50バーツ前後なので日本円にしてだいたい250円くらい.まあリーズナブルではある.

これがおしなべて辛いのだ.私は辛い食べ物は問題ない,というか,どっちかっていうと好きなので,私にとってはウェルカムではある.しかし,そんな私でもけっこう辛いと感じるほどの辛さである.これ,辛いの苦手なひとは厳しいんじゃないかなあ.

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2025年10月27日月曜日

PMアワード受賞

一般社団法人ことばのまなび工房が実施している「日本語を話さない人とのコミュニケーション&コラボレーションプロジェクト」がPMI日本支部から2025年PMアワード奨励賞を受けた.実にめでたい話だ.写真は(本人いわく)「高く評価されて鼻高々」な代表理事の若林先生である.

この表彰式とその後のレセプションパーティ,私も行きたかったが,いかんせん遠くバンコクに落ち着いたばかりで東京に舞い戻るわけにもいかず,欠席することとなった.私の代わりに参加した,プロジェクト参加経験のある学生のKくん,楽しんでもらえたかな?

ともあれ,ありがたい賞をいただいたわけで,しかも,奨励賞である.もっと励みなさい,というメッセージとして受け取った.本プロジェクトはまだ道半ば,今後,いっそう精進していく所存である.皆様も応援してください.どうぞよろしくお願いいたします.

2025年10月25日土曜日

新居に引っ越し(お気楽クルンテープ生活 Vol. 1)

こちらでの生活拠点はプロンポン駅から歩いて5分ほどのマンションである.迂闊にも日本人街のど真ん中に居を構えてしまったので,異国感はあまりない.まあ,それも良し悪しではある.すぐそばにセブンイレブンと24時間営業のスーパーマーケットがあり,しごく便利な場所ではある.

ところで,バンコクには来たものの,まだマンションの契約をしていないので,最初の3日間はホテル暮らしだった.いつまでもホテル暮らしというわけにもいかず,昨日,いろいろな手続きを済ませ,入居した.デポジットが2ヶ月分必要ということで,けっこうな金額を支払う必要があったが,少し多めに現金を持ってきていたので問題なかった.

昨日は,鍵を受け取り,契約書にサインし,玄関の顔認証装置のための顔写真撮影をした.インターネットの業者が来てネットを開設してもらい,これで通信環境も万全である.家賃の支払いのために銀行口座を開きたいところだが,観光ビザでは銀行口座を作れない.ただ銀行講座の開設に関しては,KMITLのスタッフが尽力してくれているらしいのでそれを待つことにする.

いろいろな手続きは中大タイオフィスのスタッフであるTさんが面倒をみてくれてとても助かった.彼女が居なかったら何もできなかったに違いない.今回,電話は持たず,屋外での通信は15日ごとに1,000円強というklookの激安e-simで凌ごうと考えているのだが,銀行のATMを操作するにも電話番号の認証が必要だという状況を知り,どうしたもんかと少々悩んでいる.1年以上滞在するなら,こっちの電話を買ってしまうんだけどな.

ひと通り事務処理を済ませ,あとは家財道具の買い出しをした.水,トイレットペーパー,シャンプー,ベッドリネン一式,ハンガー,洗剤,ビールなど.最後のが重要,命を紡ぐマテリアルである.まあ,それはともかくとして,買い出しにはKMITLでもらったショッピングバッグが実に役に立った.何が幸いするか,本当にわからない.

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2025年10月24日金曜日

タイ語でタイポグリセミアは成立するのか?

今週からバンコクでの生活が始まった.バンコクでいったい何をするのさ?という質問をされると,実は具体的に,何月何日にこれをやる,という詳細なスケジュールががっつり決まっているというわけでもないのでなかなか回答に困ってしまうのだが,いちおうは在外研究費としてそれなりの研究費をいただいているのでちゃんとした計画はあり,SMILEプロジェクトのタイ側のサポートというか現地を訪問してフィールドワークをすることになっている.

ただし,それ以外にもKMITLの先生方と共同研究をすることは決まっていて,問題は何をするかなのだが,まあ,その相談も込みでこれから考えていこうという,いかにもマイペンライな状態ではある.

タイポグリセミア各国語版

ということで,いま,一つ気になっているのが,タイ語でタイポグリセミアが成立するのか?ということである.とりあえずは英語とその他の欧米諸国のいくつかの言語,マレー語,日本語(ひらがな分かち書き版)で成立することは,関連研究の調査と我々の経験で分かっている.また,先日のCOSCUPで講演したときに「中国語でも成立しますよ」という情報をいただいた.中国語で成立するということは分かち書きなしでも成り立つということで,現在,日本語でも分かち書きなしの通常版タイポグリセミアを実験すべく,学生とあーだこーだとやっている.

で,せっかくタイの先生方と共同研究する機会を得たので,タイ語ではどうだろうかということを試してみたいのだ.

しかし,タイ語はそんなに甘くないのであった.かねてより,タイ語の自然言語処理は難しいとタイ人の自然言語処理研究者から聞いていたが,外国人の私から見ると,より難しそうに感じる.

タイ語の難しさ

まずはこれを見てほしい.いま宿泊しているホテルの最寄駅,パヤータイ駅で撮った写真である.

「ทางออก」と書いてある.私のタイ語レベルはまだ初級も初級だが,タンゴーク(ターン・オォーク)と発音するということは知っている(カタカナ読みだけど……).一つ一つ,文字をざっくり解説すると,ทがt,าがa,งがng,อがoで,กがkに相当する.

ここで,「ทはt」ということ覚えておいてほしい.

では,次の写真を見ていただきたい.駅名の表示である.「พญาไท」である.

個々の文字についての解説は控えるが,最後の文字,皆さんは読めますね?先ほど「覚えておけ」と強調しておいたtに相当する文字である.しかし,これはパヤータイ.パヤーアイトではない.はて?

じつは,「ไท」でthaiになる.ไがaiなのだが,子音が右に付くのである.通常,子音+母音で音を表すところ,このパターンでは母音+子音で音を表すという組み合わせになっている.さらに細かいことをいうと,ญの下にはみ出ている部分はaに相当するので,母音が下にはみ出ていることになる.

このように,タイ語では,左から右に素直に読んでいくのではなく,上に行ったり下に行ったり,ときには飛ばして読んでから左に一度戻ったり,という読み方をする.

はてさて,こんな言語で,タイポグリセミアって,成り立つんだろうか?

2025年10月23日木曜日

南国生活スタート(お気楽クルンテープ通信 Vol. 0)

一昨日,10月21日に東京からバンコクにやってきた.これから7ヶ月あまり,モンクット王工科大学ラートクラバン校(KMITL,King Mongkut's Institute of Technology Ladkrabang)に客員研究員としてお世話になる予定である.昨日はKMITLで私を受け入れてくださるIoT情報工学科(Dept. of IoT and Information Engineering)の学科長やいろいろとご尽力くださった国際課(OIA, Office of International Affairs)の先生方にご挨拶に行き,これからのことについていろいろと相談をした.思いがけずKMITLの学長にもお会いでき,ご挨拶して記念写真まで撮ったのはちょっとしたハプニングというかなんというか.

それにしても,今回の件,COVID-19パンデミックがなかったら当時その関連するテーマで行われたオンラインセミナーに講師として話題を提供することもなかったし,そこにKMITLのM先生がオンラインで参加してさらに質問だったか何かでメールで問合せを受けなかったら知り合いになることもなかった.さらには,我々がSMILEプロジェクトをやっていなければKMITLとChuo iTLで交流活動をすることもなかったし,M先生の提案がなければKMITLと中大で大学間協定を締結することもなかった.そして,その協定がなかったら私が客員研究員としてKMITLにやってくることもなかった.こうやって振り返ってみると,激流のなかを流されている小舟のような気持ちになってきた.運命というかなんというか,だから人生は面白い.

さて,いろいろ出張で自宅を留守にすることが多い生活を続けてきたが,半年という長い期間,自宅を離れて一人で暮らすのは四半世紀ぶりである.しかも異国の地で.まあ,いろいろ事情があって期間中にちょいちょい東京に帰ることもあるんだけど.このIT時代なのでいろいろとしがらみは自動的に付いてきてしまうのが難儀ではあるが,まあそれは致し方なし.それはともかくとして,これから半年,何が起こるかとても楽しみで,オラ,わくわくすっぞ!

2025年10月14日火曜日

多言語対応の難しさ

この夏,一般社団法人ことばのまなび工房のウェブサイトをリニューアルした.再構築した理由は,前ウェブサイトを担当していた理事が退任してしまったため,私が引き継がねばならなくなったからである.ちょうどよい機会とばかり,ウェブサイトだけでなく,DialogbookやSpiceBoxといった各種のシステムを,一つのサーバに集約して一括管理することにした.

なお,DialogbookはSMILEプロジェクトで使用している自作の学習ポートフォリオシステムであり,SpiceBoxは国際会議SPICEを運営するために用意したプログラム管理&発表評価システムである.こちらもやはり自作のアプリで,HCD研究発表会においてすでに長年の実績がある同システムをもとにSPICE用にカスタマイズして作成したものである.

ウェブサイトの多言語対応

話がズレた.ウェブサイトのリニューアルである.諸所の事情から,ほぼスクラッチから再構築することになった.使い慣れているWordPressを利用し,新しいサーバに構築しなおした.さらに,せっかくだからと多言語対応してみようということにした.

以前から日英の二カ国語には対応させていたのだが,前任者から「いろいろ苦労した」と話を聞いていた.そこで,今回は事前にいろいろ調べて,ありモノで対応できるならそれをうまく活用しようという方針にした.

調べてみると,Bogoというプラグインがよく使われているらしい.ということで,それを導入してみた.現在,https://www.kotoba-kobo.jp/ (英語), https://www.kotoba-kobo.jp/ja/ (日本語), https://www.kotoba-kobo.jp/ko/ (韓国語)の三言語に対応している.

次のスクリーンショットを見てほしい.これは日本語モードのトップページである.右上に,言語切り替えのリンクが置かれている.ここで言語を切り替えると,メニューも自動的にそれぞれの言語に切り替えられ,記事もそれぞれの言語のものになる.

たいへんうまくできている.運用も極めて簡単だ.いずれかの言語で記事を投稿したとする.編集画面に,他言語版の記事を用意するというボタンが現れているので,それらを押すと,記事がまるっとコピーされ,それぞれの言語版の記事が用意される.あとは,それぞれの記事をその言語に翻訳して,公開するだけである.とってもシンプル.

いくつかの難しさ

しかし,やってみてわかったのは,多言語対応をきちんとやるのは,なかなか難しいということである.世界的な多国籍企業で各種の言語リソースが投入されているような組織でもない限りは,きっちりと多言語対応するのは困難が伴うだろう.

まず,用意した言語分の記事が登録されてしまうので,管理が煩雑になる問題がある.リニューアルしたウェブサイトには,固定ページを除くと,いま7本の記事が投稿されている.三言語に対応しているので,内部的にはその3倍の,21本の記事が用意されている.

対応させる言語の数を増やしたら,さらに大変になるだろうということは,火を見るよりも明らかだ.

翻訳の質保証も問題である.いまは,ほぼ機械翻訳に頼りきっている.幸いにして,英語と韓国語は私が読めるので,ざっと見て,おかしな訳出があったら手で修正するようにはしているものの,自然な翻訳になっているかどうかは自信がない.ここは,やはりそれぞれの言語に対して母語話者がチェックして必要があれば修正できるような体制を用意すべきだろう.

さらに,どこかを修正したら,それを他言語に対しても,手動で修正をかけなければならないという問題もある.これは,プログラミングにおける「コピペはあかん,関数にして再利用せよ」という哲学に通じるものがある.

以上のような難しさがあるため,今回の件に関していえば,あともう一言語,中国語版くらいは用意したほうがよいかなと考えているが,どうしたものかといささか考えあぐねている.機械翻訳がそこそこ優秀になってきている今,他言語版を用意する必要は実はそれほどなくて,まるっと自動で機械翻訳させる仕組みを用意するだけで良いんじゃね?という極論にも至ってしまい,いやはや,どうしたものだろう.

2025年10月9日木曜日

剽窃ダメ!絶対!

某大物漫画家によるパクリ騒動が炎上している.このテの話題,数年に一度,思い出したように炎上しますなあ。著作権の侵害だ,いや,肖像権の問題だ,など,いろいろな意見で盛り上がっていて,やはり大物漫画家だけあって,熱心なファンがアクロバティックに擁護する意見なんかも出していて微笑ましい(いや,ダメだろ)ものの,やはり,剽窃はいけない.

トレパク,パクリ,模写,いろいろな言い方があるが,ここははっきりと「剽窃」と指摘すべきである.万引きは窃盗です.パパ活は売春です.

剽窃はなぜいけないか

さて,では剽窃は何がいけないか.いろいろと問題点は指摘できるが,ここでは,私の経験と照らし合わせて次の問題点を紹介しておきたい.

はい出ました.この意見である.「これだけ見ても,イラストから真似たのもあるんじゃ?」♪───O(≧∇≦)O────♪

はいはい,こういう意見が必ず出てくるわけですよ.こんな意見(綾辻, 2025)もあったぞ?

でも、放っておいたら世間的には天才漫画家として崇められている江口寿史の方がオリジナルということになり、自分の方がニセモノ扱いされてしまうかもしれず、これほど悲しいことはない。

蛇足だが,これは「引用」なのでなんの問題もなく,かつ,無断でやってよい.というか,本来,引用は断り無しにやるものだ(文章を引用する場合.図版の引用はまたちょっと事情が異なる).昨今,無断引用などという珍奇な用語が流布しているが,書いた文章を公開しようという者であるならば,引用のルールくらいきちんと学んでいただきたいものである.

私の経験

もう昔話だし,時効でもあるけれど,私がかつて,こんなことをされたという剽窃事例を紹介したい.ネットもまだ黎明期といってよい頃,21世紀に入ってすぐ,くらいの出来事である.

何が行われたかというと,私の書籍に掲載されていたプログラムのソースコードが,「まるっと」ウェブサイトに掲示されていたという事例である.しかも,ご丁寧に,書籍では日本語で入れていたプログラム内のコメント文を,全て,英語に翻訳して.

まだS先生はご存命のようなのでイニシャルで示すが,それをやらかしたのは,O大学,S先生の研究室に所属していた博士後期課程の学生で,S研究室のウェブサイトに,ご丁寧にもソースコード一式が勝手に載せられていたのである.

2000年あたり,ということでググればすぐにわかってしまうが,画像処理関係のプログラムを指南する書籍である.当時はGitHubはまだなかったかな.ソースコードを共有するとすればSourceForgeなどを使っていた時代である.本の内容をフォローアップする出版社のウェブサイトなどもなく,書籍に掲載していたプログラムをCD-ROMなどで提供することもしていなかった.

ということは,彼は,全て,手打ちで入力し,さらにコメントも英訳したということである!けっこうな量があったので,努力賞はあげてもよいかもしれないけれど.

さて,問題は,彼のウェブサイトに,出典もなにも書かれておらず,全て,自前でプログラムを用意したというような記述があったことである.これは由々しき問題だ.彼のソースコードが元ネタであり,私が剽窃したと捉えられてしまうではないか.

向こうは画像処理では大御所のS先生である.いや,S先生のところの学生である.私もまだ駆け出しに毛の生えた程度の年齢だったので,いかにも分が悪い.

今であれば断固としてクレームを入れ,毅然とした態度をとるところだが,当時は私も日和っていて,どうしたものかと悩んだだけで終わってしまった.幸にして,こちらが剽窃したという話は出ず,当該ウェブサイトも学生くんが卒業してしまったか,いつの間にか消えていた.

こういうことがあるので,剽窃は,ダメですよ.ほんと,ダメだからね.

参考文献

綾辻つづみ(2025)【ショートショート】江口寿史にトレパクされて (2,709文字),note,https://note.com/nabewata_lit/n/n4884be5d7d89