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2024年9月4日水曜日

木曽の宿場町めぐり

諸事情があり木曽の宿場町を巡るツアーの「ガイド兼ドライバー」を勤めることになった.訪れた宿場町は,訪問した順に,妻籠宿,馬籠宿,奈良井宿.元信州人としてそれらの宿場町については初等教育において机上で習ってはいたが,実際に訪れたのは今回が初めてである.

どの宿場町も風情があり,思っていたよりずっとよかった.それぞれについて感想を記しておきたい(写真は最後に訪れた奈良井宿).

妻籠宿

「つまごじゅく」と読む.ひなびた風情がたいへんよろしい.とにかく「江戸時代に造られた宿場町の保存に徹するぞ!」という姿勢がよい.観光客に迎合する気ゼロ.来るなら来いやーというストロングスタイル.そのくせ,「十八世紀中期に建築された旅籠を解体復元したものです」なんていう,江戸の空気をそのまま運んでくるようなタイムマシンがしれっと存在していたり,桝形の跡という街作りの仕掛けがそのまま残されていたりして,江戸大好きっ子が喜びそうなアトラクションがいくつかあって楽しい.

駐車場は有料で500円.駐車場の広さはそこそこあるのでハイシーズンの休日以外であれば問題なく駐車できそう.駐車場から宿場町へのアクセスは,可もなく不可もなくといったところか.クルマ以外で行きにくい場所であり,公共交通機関でのアクセスはよくない.

馬籠宿

「まごめじゅく」である.妻籠よりかなり観光地化が進んでいる.宿場町全体が坂になっており,伊香保温泉とか台湾の九份とかを彷彿とさせる……は言い過ぎか.観光地になってしまっているので,江戸の宿場町のロマンを求める人にはちと物足りないかもしれない.

北側入口から入り南側入口に向かって坂を下りながらの散策がよいだろう.南側入口から坂を上っていくのは,観光と健康を兼ねたい!という変態さん以外にはオススメしない.今回,90代の後期高齢者がいたので,クルマを北側入口近くの無料駐車場に停め,南に向かって坂を下りつつ,ドライバーである私は途中から坂を戻って南側入口付近までクルマを回すというサービスに徹した.かなりしんどかったので,ドライバー氏は送迎に徹したほうがよいかも.

北側入口にはさほど広くない無料駐車場がいくつかあったものの,南側入口付近には無料駐車場が見当たらなかった(有料駐車場はいくつかある).妻籠より馬籠のほうがメジャーっぽいので,駐車場問題は少し気になるところではある.

奈良井宿

最後は「ならいじゅく」.どちらかというと妻籠に近い「観光よりも保存」というスタンスを感じたが,妻籠ほどのストイックさはなく,交通の利便性もあり観光客はウェルカム!でも観光客に阿るのもね……という印象であった.

無料駐車場があり駐車場からのアクセスもよい.なにしろJRの奈良井駅からすぐという交通至便さである.訪れやすい宿場町といえよう.

無料駐車場の反対側には木曽の大橋なる檜の立派な橋が架けられていた.ん?木曽の大橋?そんなん知らんぞ?と調べてみたら,平成3年竣工だとか.そりゃ知らないわけである.私はすでに東京人になっていた.

所感

いずれの宿場町も,外国人観光客が半数以上で驚いた.平日だからということもあろうが,そもそも交通の便があまりよろしくない.交通至便な奈良井宿にしても,各駅停車しか停まらないJR奈良井駅まで東京から行くのはけっこうたいへんだ.なにしろその電車も一時間に一本しか走っていない.

彼らはいかにしてその存在を知ったのか,いかにしてそれぞれの宿場町にやってきたのか,どこに宿泊しているのか,いろいろ謎ではあるが,そのバイタリティは見倣いたいところであると,しみじみ思った.

2024年7月28日日曜日

ゴーアラウンド体験談

今回のニース出張は,行き帰りともロンドンのヒースロー空港経由という旅程で出かけた.ロンドンまではJL,ロンドン - ニース間はBAの利用である.事件(というほどでもないが……)は帰りのニースからロンドンに向かう便,BA345便で発生した.

ニースからロンドンまでは2時間強のフライトである.遅い昼食がてら,搭乗前にラウンジでしこたま飲んでいたので,機内ではずっと眠っていた.気がついたらロンドン上空,ゆっくりと降下しているのを感じ,「ああ,着陸か……また遅れたな,乗換え大丈夫かな」などとウトウトしつつ,ヒースロー空港の滑走路にアプローチする様子を窓から眺めていた.

すると,突然の加速で急上昇である.ナンダなんだ?と,びっくりした.次に示す図は後からflightrader24で調べたそのときの記録である.南東から飛んできて,ちょっと待たされて東からヒースロー空港にアプローチ,ゴーアラウンドで北側をくるっと回って再度の着陸という軌道が描かれているのがお分かりだろうか.

このflightrader24というサービスで当時の飛行経路がバッチリわかってしまうのもすごいが,さらに掘ってみたらもっとすごいアイテムが出てきた.それが次のツイートである.

これはスクリーンショットだが,実際のビデオは(消されない限りは),https://x.com/AirportWebcams/status/1816876074195718638にアクセスすれば見られる.ともあれ,原因は,着陸しようとした滑走路から退かねばならんやつがモタモタしてたから,ということらしい.

これまで,国内外を問わず飛行機であちこち出かけてるけれども,ゴーアラウンドを経験したことがなかった.今回が初めての体験である.国交省の資料によれば羽田でも1年に100回程度は発生しているらしいので,さほど珍しいものでもないらしいが,私にとっては珍しい経験だった.

そして何より,flightradar24だのAirport Webcamだの,いまはサイバー空間に何でも記録されてしまう時代なんだなあ,ということをあらためて実感した出来事であった.

2023年1月8日日曜日

台湾にて古き日本を偲ぶ

正月早々,1月3日から6日まで,台湾に出張した.前回の訪台は2019年のCOSCUP参加のときだったはずだから,実に3年半ぶりである.羽田から松山空港に飛び,持参したEasyCardがMRTの駅でちゃんと使えたのは(当たり前の話ではあるが)なんとなく嬉しかった.

今回訪台した目的は,我々が進めている SMILE project に参加している台湾の学校訪問,および,高雄師範大学関係者とのミーティングである.師範大学の先生方とは,2024年に高雄で実施予定のシンポジウムに関する事実上のキックオフミーティングを行った.

台湾に来ると,いつも「ホッとする」感じを味わうのは何故だろうか.古き良き昭和の日本を感じるのである.もちろん,それは台湾が遅れているなどということではない.久しぶりの台北は,地下鉄の整備もさらに進み,確実に進化していた.日本以上に経済の発展も進んでいる.

しかしながら,人々が温かいのである.我々が券売機でEasyCardにチャージしようとして,なぜか機械がうまく動作せずマゴついていたら,ひとりの青年がスッと寄ってきて手助けしてくれたので,ことなきを得た.

こんなこともあった.台湾人と日本人はその容姿が似ており区別がつきにくい.地下鉄のホームで電車を待っていたら,中国語で何かを尋ねられた.もちろん我々には何を尋ねられているのか皆目わからない.困惑していたら,「あなたがた日本のかたですよね」と上手な日本語を操るオバさんが現れて,我々を助けてくださった.

このようなインタラクションが日本で皆無であるとまでは言わない.しかし,令和の日本で着実に失われつつある光景なのではないかとの印象もある.人々を思いやる心は大切にすべきものだと改めて気付かされた.

台湾は食事も美味しいし,人々も温かい.美しい観光地にも恵まれている.東北での震災で早々に援助の手を差し伸べてくださったのも台湾であった.もちろん,外交はまた別の問題なので,だから台湾とは手を組むべきで敵対する国はどうこうなどと簡単に論じるものではないことも確かではある.しかし,それ以前に,民間人の交流として台湾の皆さんとは仲良くしておきたいと思うのだ(もちろん,民間レベルでは,韓国や中国とも同様であることは異論を待たないことには注意されたい,ていうかこんな補足が必要なのがちょっと情けない話ではある).

写真は高雄灯台からの眺めである.旗津区の街並みと湾を挟んだ対岸がみえる.高雄は今回はじめての訪問だったが,なかなかに素敵な街であった.